283 / 343
鬼事遊び 〈1〉
撫でるように、宥めるように通り抜けていく風が、悩める頬をそっと擽る。
言葉が途切れ、静寂が揺蕩い、仄かな灯りから細やかな紫煙が流れていく。
灰が零れ、夜風に浚われて闇へと消え、喧騒からは程遠い空気が漂っている。
「本当に、強情な人ですね。貴方という人は」
時おり咥え、煙草を吹かせながら遠くを見つめていると、傍らから声がする。
視線を向ければ、同じように彼方を見つめていたナキツが居り、微かに息をついて口を開いている。
「今に始まった事でもねえだろ。それに、強情なのはお互い様だ」
「俺は……、そんな事ありません」
「お、言ったな。自分じゃ分かんねえもんだよな。でも……」
「貴方さえ関わらなければ、俺は……、もっと聞き分けが良くて、周りなんてどうでも良くて、振り回されずに冷静でいられる」
「ナキツ……?」
「貴方だけです。こんなにも譲れなくて、強情にもなるのは……、貴方にだけです。真宮さん」
名を紡がれ、視線が絡み付き、言葉を失う。
返答出来ず、愛を囁くような台詞に気恥ずかしくなり、容易く調子を狂わされる。
流されている場合ではないのに、見つめ合ったまま声も出せず、何を言い出すのだと頭がこんがらがる。
「何言ってんだ、お前。そうやってまた……」
「逃げないで下さい」
「逃げてなんか」
「真宮さん……」
「おい、ちょ、ナキツ……。危ねえから、火……」
何処と無く憂いを帯びた眼差しが、一身にまとわりついて離れず、ナキツがゆっくりと近付いてくる。
反射的に離れようとするも、結局はとどまって見ていることしか出来ず、肩にやんわりと触れられる。
いつの間にか、戸惑うような空気に満ちていると察するも、縋り付くような視線に捕らわれて罪悪感が募る。
撫でる手が、ゆっくりと首筋を這い、ざわりと痺れるような感覚が背筋を駆け抜けていき、咄嗟に歯を食い縛る。
色艶を孕む雰囲気に、流されまいと慌てて手元を見つめ、煙草が危ないからと訴えるも止まらない。
「ナキツ……」
「真宮さん……。キス、してもいいですか」
「は? な、に言って……。お前、どうした……。状況分かっててそんな」
「嫌ですか……? 俺とするのは」
「お、お前な……、いい加減からかうのは」
「そんな事しません。茶化そうとしているのは貴方です。俺はいつだって真剣ですよ。真宮さん……、駄目ですか?」
「お前は……、ずるい奴だな」
「はい。何処にも行かせたくなくて、必死なんです。貴方にだけです……」
間近に迫られ、甘やかな囁きの数々に耐えられず、そっぽを向こうとすれば頬へと温もりが触れる。
擽るように、慈しむように彼の指が頬を滑り、照れ臭くてたまらなくなる。
初めから聞いていないとばかりに、反対の頬へと口付けをされ、気が付いて視線を向ければ目が合う。
「おい……」
「好きです。真宮さん」
「ナキツ……、ん。おい、待てって……」
煙草を取り落とし、ハッとして視線を注いでから顎を擦られ、再び目を合わせる頃には逃れられない。
唇を重ねられ、咄嗟に身を引こうとするも阻まれ、すりと首筋を撫でられる。
ちゅく、と口内へ舌が入り込み、唾液が絡み付く。
頬が熱くなり、耐えるように眉間に皺を寄せるも、眼差しに力が入らない。
ざらつきが中を擦り、鼻にかかった吐息が零れ、舌を撫でられて熱がこもる。
ん、と感じ入る声が漏れ、触れられたヶ所からより過敏に、与えられる刺激を感じ取っていく。
ナキツ、と息も切れ切れに名を紡げど、再び口を塞がれて舌が絡み付き、糸を引き合って唾液が伝う。
訴えるように、縋るように差し出した手が、ナキツの腕へと触れる。
感触を確かめるように、這い上がる手が肩へと触れ、首へと触れ、頬に、髪に触れて彼を感じ取る。
「んっ、は、あ……、な、きつ……やめ」
「行かないで下さい」
「ん、はぁっ、ん、う……」
「真宮さんっ……」
離れては吸い付き、息を漏らしながら語り、唇を重ね、唾液を滴らせては思考が働かず、ぼんやりとだらしなく口を開ける。
蜜のように甘ったるく、鼓膜を擽って熱情を宿らせ、か弱き抵抗なんて彼には通じない。
「はぁ、はっ、ん、はあ……」
ようやく解放される頃には、すっかり息が上がって身体は熱くなり、真っ向から視線を合わせられない。
顎を伝う唾液を掬うように、そっと気遣うように口付けをされ、肩に腕を回されて引き寄せられる。
額と額が合わさり、優しい手付きで髪を撫でられ、間近に息遣いを感じる。
「駄目ですね、俺……。どんどんわがままになってく……」
暫し額を合わせ、そうして静かに離れたかと思えばゆっくりと、ナキツが肩に顔をうずめてくる。
「ナキツ……。悪い」
「謝るのは俺のほうです……。すみません、真宮さん。お手を煩わせました」
「そんな事は……。俺は、お前に……」
「何も言わないで下さい。まだ俺、側に居たいですから」
紡がれる言葉と共にナキツが離れ、目の前には見慣れた柔和な表情が映る。
少し困ったように笑われ、言い掛けた台詞を制され、反対に思い詰めるような険しい顔付きになっていく。
「あわよくば、気が変わったりしてくれないだろうかとも思いましたが、貴方を見送るしかないようです」
「ああ……。何を言われても、変えるつもりはないからな」
「……真宮さんは、優しい。優しすぎて、誰も見捨てられない。何もかも一人で背負い込んで、守ろうとする」
「ん……? それは、大事だからな。もちろん、お前の事も」
「貴方の事は、一体誰が守るんですか」
「俺? そんなもん必要ねえよ。自分の身くらい自分で……」
守れるからな、と言おうとしたところで、複雑な表情を浮かべているナキツに気付き、言葉が潰える。
「貴方は満足かもしれない。でも、俺は……、貴方を、真宮さんを守りたい。どんな手を使ってでも」
せめて身近で大切な者は、この手で必ず守りたいと胸に誓ってきたけれど、彼はそれを望んでいない。
どんな手を使ってでも貴方を守りたいと言われ、思いもよらぬ言葉に視線がさ迷い、少なからず狼狽える。
「言葉にするのは簡単ですが、今の俺では……、あの男には勝てない。貴方を守るのは容易ではないし、真宮さんにも俺では歯が立たない」
ともだちにシェアしよう!