286 / 343
鬼事遊び 〈2〉
箱庭は、快音に身を委ねた若者で溢れ、眠れぬ一夜を過ごしている。
喧騒から外れ、入り組んだ通路の先にて扉を一枚隔てれば、更に奥で得も言われぬ緊張感が駆け抜ける。
壁を背に、退路を絶たれながら睨めつけるも、佇む青年の挙動は変わらない。
照明により、絹糸のような白銀が一層煌めきを帯び、端正な顔立ちを殊更妖しく引き立たせている。
「それで……? どうして今は一人なわけ? 真宮と喧嘩でもした……?」
漸、と呼ばれる悪しき青年が口角をつり上げ、猫なで声を聞かせて嗤笑する。
先程から頬を撫でられ、不快感を募らせながら軽く息を吐き、相容れない青年から視線を逸らす。
「そろそろやめて頂けませんか。不愉快です」
素直に引き下がるとは思えないが、心情を吐露すれば手が止まり、目前にて小さく笑う気配がする。
「相変わらずつれないなァ、なきっちゃんは」
「その呼び方……」
「なんで? いいじゃん。どう呼ぼうが俺の勝手だし、どうせ何言ったって怒るでしょ?」
頬を擦られて睨めつければ、怖い怖いと言いながら触れるのをやめ、壁へと手を添えて見つめてくる。
「で、俺の質問に対する答えは……?」
「答える義務がありますか?」
「そんなつんけんしないでよ。ただの世間話だろ? 俺はナキツ君とも仲良くしたいと思ってるのに」
「どの口が……」
「ほざいてんだって? 反省してるよ……? だからこうして手ェ組んでる。協力するんだろ、俺達」
協力、という言葉に薄ら寒さを覚えるも、目前では白銀が笑みを湛えている。
鳴瀬や、一連の言動を反省しているとでも言いたいのだろうか、とてもじゃないけれど信じられない。
「まさか貴方からそんな言葉が出てくるとは。一番程遠いと思っていました」
「うん。だって本心だから」
「信用するとは言っていません」
「手厳しいなァ。いつまで経ってもガード固いね。ねぇ、なんで……? どうしてそんなに怒ってるの」
「分からない貴方ではないと思いますが」
美々しい青年を前に真っ向から視線を注ぐも、漸は変わらず笑むばかりであり、こうしている時間が惜しい。
「せっかく綺麗なのに、そんな眉間に皺寄せてたら台無し」
「貴方が居なくなれば和らぎますよ」
「あっそう。それは悲しいね」
不毛な時が過ぎ、漸の背後に広がる景色を見遣るも、閉ざされた扉がただそこにあるだけだ。
腹の底を探るも、結局何を考えているかなんて知れようはずもなく、分かりたいとも思っていない。
時間稼ぎでもしているのかと過るも、此処で自分を縛り付ける理由が見つからず、きっと気紛れに絡んでいるだけなのだろう。
「真宮とは会ったんだよね。心配してただろ、アイツ」
知ったふうな口を聞かれて苛立つも、努めて冷静に言葉を探す。
「ええ、ご面倒をお掛けしてすみません」
「いえいえ、丸く収まった……? そんなに俺と組むのが気に入らないなら変えてあげてもいいけど」
と言われて一瞬惑うも、事態はそんなに簡単ではなく、すぐにも頭を働かせる。
「真宮さんが……、それを許しはしないでしょうね」
ふいと視線を逸らし、個室との仕切りを眺めながら紡ぎ、脳裏には誰よりも大切な人物を宿らせる。
例え漸が、真宮と組む事を拒んだとしても、彼がきっと手離しはしないだろう。
「全部分かっていてしているのでしょう。真宮さんが、貴方から離れられないのを承知の上で、他の誰かと組んでもいいなんて」
「俺は別に誰でもいいんだけど」
「誘い出すのがお上手なんですね。お陰で頭が痛いです」
「なきっちゃんも大変だね。ああいう頑固で鈍い奴の側にいると」
「そんな事ありませんよ。ですが、俺を気遣って頂けるのなら、今すぐ視界から消えてほしいですね」
溜め息を漏らせば鼻で笑われ、視線を向ければ高圧的な双眸と絡み合う。
この男は、一体何処からやって来たのだろう。
急に現れて、たがが外れた群れを放し飼いにして、何の憂いもなく彼は頂点にて笑うばかりだ。
そんな男がどうして未だに、こうして根深くチームに絡んでくるのだろうか。
「じゃあ、真宮を捜しにでも行こうかな。居場所を教えてもらえない事だし」
壁から手を離し、一歩引いた漸が微笑みながら口を開き、一番聞きたくない名前を紡ぎ出す。
行かせるしかない、この男を止められない、此処でどれだけ時間を潰しても何も始まらない。
分かってはいる、けれども簡単には受け入れられず、紡がれた台詞に返す言葉が見つからなくて暫し黙り込んでしまう。
分かっているのに、どれだけ悪影響をもたらす存在であるかを理解しているはずなのに、何にも出来ないまま送り出さねばいけないのか。
「悩んでるね。真宮の事になると本当、冷静ななきっちゃんが鳴りを潜めちゃうよね。可愛い」
「……触るな」
「おっと、怖い。真宮の手なら喜んで受け入れるんだろうなァ。こんな美人に懐かれて羨ましい」
触れる手を今度は払いのけ、睨み付けても白銀の横暴は止められず、張りつめた空気がまとわりつく。
「まあでも、従順に言う事を聞くだけの忠犬なんて、居ても居なくても変わらねえか」
凍てつくような視線が、笑みながらも真っ直ぐに突き刺さり、次第に彼を取り巻く雰囲気が変わっていく。
「お前が悪いんだぜ……? チャンスをくれてやったのに止められないから」
突っ立っているだけで絵になるような青年が、じっと見つめながら唇を歪め、甘やかさを孕んだ耳障りな声を聞かせてくる。
いまいち何が言いたいか分からず、厳しい視線を投げ掛けながら聞きに徹するも、あらゆる可能性を思い浮かべては吟味する。
「ただで返す気ねえから。まあそんな事くらい、賢いナキツ君なら分かってると思うけど」
だから嫌なんだろ、と相手が紡いでいる途中でカッとなり、気が付けば胸ぐらを掴んで仕切りに背を押し付ける。
「痛いな。乱暴はよしてよ」
「お前……」
「殴りたければ殴ればいい。それでお前の気が済むんなら。でも、そうだな……その一発で全てが変わっちゃうかな。真宮の気持ちを裏切るんだ、お前が」
言いながら胸ぐらを掴む手に触れ、すりと指を滑らせてくる。
ともだちにシェアしよう!