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庇護者 19
眉根を寄せ、不機嫌を露わに睨み付けても、彼は悪びれもせずに微笑んでいる。
「怖いなァ、そんなに睨まないでよ。いい子にしてるだろ? 俺」
「そうやって油断させるのがお前の手口だからな」
「手口だなんて、人聞きの悪いこと言うなよ。俺はこんなに、真宮ちゃんと打ち解けようと努力しているのに」
「ハッ、よくそんな薄っぺらい言葉が次々出てくるもんだよな。尊敬するぜ」
「真宮ちゃんがそう言ってくれるなんて嬉しいなァ。俺も、お前の薄っぺらい正義感が大好きだから」
浴槽の縁に肘を置き、頬杖をつきながら愉悦を孕んだ漸が、一方の手を泡へと彷徨わせる。
掬い上げると、崩れ落ちた泡が湯の中に消え、手の内から脆くも流され消えていく。
そうして再び手の平に集めた泡を握り潰すと、血を流すように指の隙間から残滓が蕩けて腕を伝う。
「さっきは何であんな事した」
「あんなことって?」
「いちいち言ってやらねえと分かんねえか? 道路に飛び出した事だ」
「ああ、そんな事もあったっけ」
「どういうつもりだ」
「今日は随分と問い質すよなァ。何か、先生にでもお説教されてるみてえ。あ、もしかしてそういうプレイ?」
「はぐらかすな」
「あ~あ、ホントノリ悪いんだから。そんなもんにいちいち理由なんかあるわけねえだろ? バカかよ、お前」
「不意に死にたくなったって?」
「さあ……、どう捉えてもらっても構わねえけど」
伏し目がちに泡を見つめてから、気怠げに前髪を掻き上げて立ち上がると、話は終わりだとばかりに漸が湯船から離れていく。
「おい、まだ話は終わってねえぞ」
見上げて呼び掛けるも、彼はひらひらと手を振ってからシャワーを浴び、無理矢理に招き入れておいて薄情にもさっさと出て行ってしまう。
「ハァ……。何なんだよ、アイツは」
泡で溢れた湯を殴り付け、苛立ちを露わに独り言を漏らすも、ただ虚しく時だけが流れていく。
「何考えてるかさっぱり分かんねえ。俺もほっときゃいいのにな……」
それでも無視しきれない事は、己が一番よく分かっている。
「ああ、クソ。腹立つな」
解消出来ない憤りに悩まされ、指で眉間を揉み込んでから溜め息を漏らし、億劫そうに湯船から離れていく。
泡に塗れた身体をシャワーで洗い流し、どうしようもない想いを抱えながらも歩き出すと、浴室を後にする。
手近にあったタオルを引っ掴んで無造作に髪を撫で、なるべく無心に身体の水分をも拭き取る。
そうして棚に置かれたバスローブに気が付き、羽織りながら脱ぎ捨てていた衣服を拾い上げると、洗面所から出て洋服掛けに袖を通していく。
「乾くかなァ、それ」
「さあな」
渇かなければそれまでだ、と思いながら衣服を吊し終えると、先に風呂から上がっていた漸の声がする方へと視線を向ける。
「はい」
「あ?」
「水。冷蔵庫に入ってたから」
唐突にコップを差し出されて訝しむと、彼が冷蔵庫の場所を顎で指し示す。
「お酒のほうが良かった? 真宮ちゃん、好きそうだもんね」
「どういう意味だ」
「深い意味なんかねえって、睨むなよ。ただの水が、そんなに心配? 俺も飲んでるだろ?」
もう一方のコップに口を付け、喉を潤す様を分かりやすく見せてくる。
それを見て観念すると、漸の手から渋々容器を受け取り、口を付ければ冷たい水が流れ込んでくるのが分かる。
一気に飲み干し、空になったコップを硝子製のテーブルに置き、何とはなしに室内を見渡す。
「そんなに喉渇いてた?」
「そんなんじゃねえよ」
「それとも……、そんなに美味しかった? それ」
「味なんかしねえよ」
「そっか。なら良かった」
「あ? どういう意味……」
言い掛けたところで、身体が仄かに温まっていくのを感じる。
些細な疑問を芽生えさせる程度であったが、何事かと考える時を刻むにつれて、喉元から侵すように熱が広がっていくのを感じ取る。
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