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ひとひらの羽根は血に塗れ
話し声、音色、衣擦れ、あらゆる物音が渦を巻くようにぼやけた思考を覆っている。
眠りに落ちながらも、どことなく意識があり、周囲の音がうっすらと聞き取れている。
見知らぬ温もりが頭上にあり、先程から慈しむように幾度となく撫でられる。
それを心地良くとも、不快にも感じられぬまま、ただ無感情に脱力した身体を明け渡す。
もう少し深く眠ろうか、なんて朧気に考えて、意識を無理矢理に底へと沈めようとする。
だが、突如として降り掛かった言葉に、下り始めた意識が足を止めてしまう。
「おやおや。こんなところでおねんねなんて、見かけによらず趣味が悪い」
頭を撫でていた手が止まり、強張った指先から警戒心が伝わってくる。
意識はあれど、強烈な眠気に阻まれ、鉛のように重い身体が動く事を拒んでいる。
「君は隠れんぼが得意だね。捜すのに苦労したよ。潔癖症に見えるのに、こんな爛れた場所にも出入りするんだね。驚いたよ」
水の中に居るような心地でも、自分に向けられた言葉である事を不思議と察してしまう。
反応が無くても気にならないのか、男は楽しそうに声を掛けてくる。
「いつもはもっと綺麗な格好してるのに、今夜はどうしたの? スウェットにパーカーなんて、まるで家から飛び出してきたみたい。ひょっとして君には、付け入りやすい一面もあるのかな? 完全無欠に見えるのにね」
目蓋を押し上げ、諦める気配も無く語り掛けてくる声を聞きながら、気怠い身体をゆっくりと起こしていく。
「酷い顔をしているね。どうしちゃったの? 漸君。怖い夢でも見たのかな」
「誰……?」
「う~ん、分からないのも無理はないよね。俺は君の事をよく知っているけれど、会うのは初めてだものね」
「誰だって言ってんだよ……」
「そんなに怒らないで。俺はね、薊っていうんだ。よろしくね、漸君」
「薊……?」
「顔色悪いけど大丈夫? こんなところで安酒煽ってたら、身体悪くするよ?」
身体を起こした事で視界が揺れ、咄嗟に額を押さえてやり過ごそうとする。
喉が渇き、鈍く頭が痛み、彼の相手をしていられるような気力は残っていない。
周りに陣取っていた見知らぬ男女が、皆一点を見つめたまま時が止まっているかのようだ。
卓に散らばる灰や吸い殻、食べ残しやグラスの先に青年の姿が見え、こんな場所には似つかわしくないような上品な佇まいをしている。
そうして隣に、もう一人立っている事に気が付き、何とはなしに視線を向ける。
冷淡な視線と交わり、無骨な空気を纏う男の額に走る傷が目に入り、側に置かれていた灰皿を引っ掴む。
「ああ、待って待って。ほら、黒瀧がそんなだから。俺みたいにこう、笑わないと」
「無理です」
「諦めるのが早いなあ。ごめんね、漸君。怖がらないで? 手荒な真似はしないから」
「怖がる……?」
何を言ってる……?
無造作に掴んだ灰皿から吸い殻が零れ落ちるも、これ以上汚れようが気にならなかった。
周りの視線に気が付き、急に冷めて投げ捨てるように机上に戻すと、背もたれに深く沈み込む。
ただでさえ苛つく夜に、神経を逆撫でするような笑みが向けられている。
「やっと会えて嬉しいよ。君とはもっと素敵な場所で会いたかったけどね」
「俺に興味あるんだ」
「とてもね。君がそんなに不安定な理由にも、興味があるよ。一体誰のせいなの?」
全てを見透かしているかのような視線が気に入らない。
締め付けられるように脈打つ頭が痛く、此処に来てからの記憶も曖昧になっている。
塗り潰して、覆い隠して、見えない振りをして、最早何かも分からぬ衝動を持て余している。
目の前の男に興味は無いが、煩わしい事は間違いない。
「アンタの事は知らないけど、そいつ。覚えてるよな……?」
背もたれに身を預けながら腕を上げ、無感情に見下ろす男を指し示す。
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