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袋小路の愛6
美術館の奥にある、大掛かりな仕掛けのオルゴールに、樹の目は釘付けだった。
薫も、これを初めて見た時は、驚いた。
この世のものとも思えない美しい旋律を奏でる、巨大なオブジェのようなオルゴール。
樹にこれを一度どうしても見せてやりたかった。
「樹、どうだ?凄いだろう」
演奏が終わっても、オルゴールを見上げてぽかんと口を開けている樹に、薫はそっと囁いた。
樹は夢から覚めたような顔でこちらを見上げて、くしゃっと顔を歪めた。
「お、おい、どうして」
どうして泣くのだ。
樹の大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。薫は焦って、樹の小さな肩を掴んだ。
「にいさん、すごい……」
ぐすぐすと泣きじゃくりながら、樹が呟く。
薫は慌てて樹の肩を抱くと、ホールの隅に連れて行った。樹はがばっと抱きついてきて、声を殺して泣いている。途方に暮れながら、薫はその背中を優しくさすってやった。
「落ち着いたか?」
ようやくしゃくりあげるのをやめた樹に、薫は恐る恐る声をかける。樹は濡れた瞳で真っ直ぐにこちらを見上げて、少し照れたようにはにかんだ。
「ごめんなさい……」
「謝らなくていい。でもどうして泣いたんだ?」
樹はまだ頬に残る涙の雫を手の甲でぐいっと拭って
「だってすごかった。僕、僕、あんな綺麗な音楽、初めて聴いた。まるで天国に、いるみたいで」
言いながら、樹の目の端にまたじわっと涙が滲む。
薫はほっとして、ポケットからハンカチを取り出すと、樹の目元をそっと拭った。
「そうか。感動して、泣いたのか。にいさん、驚いたぞ。まさか泣くなんて思わなかったからな」
樹は恥ずかしそうにふいっと目を逸らす。そのちょっと拗ねたような横顔が、愛らしかった。
「俺もこいつを初めて見た時、しばらくその場から動けなかったよ。確かに天国にいるみたいだよな。天上の音楽ってこういうのを言うんじゃないかって思った」
樹は大きな目を見開いて、こっちを見た。
「にいさんも?同じこと、思った?」
「ああ。おまえは感受性が豊かなんだな。感動して泣くのは、全然おかしくないぞ。おまえの涙はすごく綺麗だった」
薫がしみじみとそう言うと、樹は顔をじわっと赤くして、またそっぽを向いてしまった。
なんて純粋な子だろう、と思う。
何処に連れて行っても、何を見せてやっても、樹の反応は素直で可愛らしい。その反応を見るのが楽しくて、もっといろいろ見せてやりたくなる。
ここに連れて来てよかった。
樹の瑞々しい感性に、またひとつ、美しい色が増えたのなら何よりだ。
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