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袋小路の愛9

旅館の駐車場に車を停めて、チェックインだけ済ませると、風呂と夕食の時間だけ確認してから、いったん旅館の外に出た。 旅館から直接、海岸に繋がる道を、樹と並んで歩いて行く。 この辺の浜辺は岩壁が何処までも続く。よくテレビで見かけるような、波打ち際で寄せては返す波と戯れるような、穏やかな白い砂浜はない。 「足を滑らせるなよ」 薫はそう言ってさりげなく樹の手を握った。樹はちらっとだけこっちを見たが、振り払うこともなく、じっと海の方を見つめた。 「いつかおまえを、あの海の先にある小さな島に連れて行ってやりたいな」 薫が指差す先を、樹は目で追った。 「島?」 「うん。1日に2回だけ小さな船が出ていて、それで行ける小さな島なんだ。にいさん、一度だけバイト先の人に誘われて行ってみたんだよ。小さな民宿に一泊した」 樹は目をキラキラさせてこっちを見上げていたが、また海の方に視線を移した。 「民宿……」 「ああ。着いてみたらこじんまりとした古い日本家屋だった。外観はごく普通の田舎の家なんだ。でもそこの大広間で出てきた海の幸尽くし夕飯はすごかったぞ。ウニなんかまだ動いてるんだ」 樹は振り返り、大きな目をぱちぱちさせた。 「動いてるウニ、食べるの?」 「そこの浜辺で採ったばかりのデカいやつだ。海の幸っていうより、とろけたプリンみたいだったな」 樹は大きな目をこぼれんばかりに見開いた。薫はにこっと笑って 「島の周りは全部、白い砂浜なんだぞ。真夏だったけど海パンで海に入ったら、しばらくしてみんな唇が紫色になった。海水温度が遊泳向きじゃなかったんだな」 薫が苦笑すると、樹もきゅっと首を竦めてクスクス笑った。 「就職したら、初任給で連れてってやるよ」 頭をそっと撫でてみる。樹は嫌がらずに大人しくしていたが、煌めいていた瞳は少し曇って目を伏せてしまった。 「にいさん、僕に、お金使い過ぎ」 「俺がそうしてやりたいんだ。ダメか?」 樹はそれには答えず、じっと海の向こうを見つめると 「僕は、早く、大人になりたい」 ポツリと呟いた。 「大人に?」 「うん。早く大人になって、にいさんにいろいろ奢ってあげるんだ。今までにいさんが、僕にしてくれた以上に、にいさんをいろんなとこに連れて行く」 「樹……」 「何も出来ない自分が嫌だ。早く、大人になりたい」 薫は、樹の肩を抱き寄せて 「待ってるよ。おまえが1人前になって、俺をあちこち連れて行ってくれる日を。だから、まずは高校に行って勉強も頑張らないとな」 樹はちらっとこちらを見て、何も言わずにまた目を伏せた。

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