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袋小路の愛10
旅館に戻り、客室係に案内されて部屋に入る。
樹は旅館の人が説明している間は、窓際のソファーに座って大人しくしていた。だが、出ていくと途端にぴょこんっと立ち上がり、物珍しそうに部屋の中を探検し始める。
「いい部屋だな。海が真下に見える」
薫は、そんな樹の好奇心が抑えきれない様子に、内心笑いを堪えながら声をかけた。
洗面所を覗き込んでいた樹が、くるっとこちらを振り返る。
「にいさん、ここのお風呂、広い。外にもある」
「そうか。でももう少ししたら、デカい風呂の方にも行ってみよう」
樹は頬を紅潮させてこくんっと頷くと、今度は隣の部屋の襖を開けた。
「わ……」
「どうした?何かあったか?」
「ベッド。大きいの2つ。旅館なのに」
薫は立ち上がって樹のそばに歩み寄ると、一緒に部屋を覗き込んだ。
「ベッドじゃない部屋もあったんだぞ。でもこっちの方が、旅館の人があまり入って来なくていいかなってな」
樹は不思議そうに首を傾げる。
「母さんが生きてた頃、ここには何度か泊まりに来てる。布団の部屋だと風呂に行ってる間に、客室係が上げ下ろしに来るんだ」
樹は目を丸くして頷いている。
薫は樹の肩を抱いて引き寄せると
「人に出入りされるとうっとおしいだろう?せっかくの夜だ。落ち着いて2人だけで過ごしたいからな」
ちょっと低い甘い声で囁いて、意味ありげに笑いかけると、樹はじわっと目元を薄く染めた。
「…………」
「なんだよ、その目。何、怒ってるんだ?」
樹は眉を寄せ睨みつけてきて
「にいさん、変なこと、考えてる」
「考えてないぞ?おまえこそ、なんか変なこと想像しただろう?」
樹は頬まで赤くなって大きく目を見開き
「してない」
焦ったような樹の顔が可愛くて、ついついもっと揶揄いたくなる。薫は樹の腰に手を回して抱き寄せると
「俺はおまえと2人きりで、ゆっくり過ごしたい。……ダメか?」
耳元に小さく囁いてみる。
吐息がかかって擽ったいのか、樹はピクンっと震えて耳まで真っ赤になった。
……ああ……可愛いな。
いつも感じる樹の甘い香りが強くなった。薫はその形のいい耳に唇をそっと押し付けて
「ダメか?樹」
樹はぷるぷる震えて首を竦める。
「……だ……め……」
「そんなこと言うな。俺はおまえと2人きりがいいんだ」
囁きながら、柔らかい耳朶を唇で挟んでみる。
樹は「ぁ……」っと小さく声を漏らし、こちらの腕に縋りついてきた。
樹の甘い体臭がいっそう強さを増す。この香りは毒だ。これがいつも理性を失わせる。そそられて煽られて、歯止めが効かなくなる。
樹の頼れる兄でありたい自分と、誘惑に抗えない自分。どちらも本音だ。だから心は千々に乱れる。
薫ははぁっと息を吐き出すと、樹の身体をすくい上げ、横抱きにした。急な浮遊感に樹はひゅっと息をのみ、目を見開いてこっちを見つめる。
「ごめん。樹。少しだけ、な」
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