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君という光9

気持ちの踏ん切りがつかないまま、薫は図書館で仕事関係の資料を調べていた。 休みの日は結局いつも、こうして普段は出来ない建築の勉強に費やして過ごす。それは、今の事務所で、ある程度の目処がついたら、独立して自分の事務所を立ち上げる為だ。 その為には、実務経験を積む傍らで、覚えなければいけないことは山積みだったし、まだ収入が安定しているうちに、個人的な実績も作っていかなければならない。 しばらくは没頭していた。いや、無理やりそれに集中していた。他のことを頭から締め出す為に。 ふと、横からの視線を感じて薫は顔をあげた。さりげなくそちらに目をやるが、立ち並んだ書棚の間には誰もいない。 ……?……気のせいか。 薫は首を竦めて腕時計を見た。 時刻は13時20分。 空腹はあまり感じないが、図書館での調べ物は終わったし、隣の敷地の美術館にあるレストランで軽く何か腹に入れよう。 薫は閲覧していた本を手に立ち上がった。 車を美術館の駐車場に停めると、薫は先に建物の脇にある彫刻庭園に向かった。 この庭園を囲む記念館の外観は、大きなアーチを描くハーフミラーのガラス面で構成されていて、巨大な鏡が周りの風景を映し出し、ちょっと不思議な空間を作り出している。 ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に出てくる「鏡の国」をイメージしたここは、「アリスの庭」と名づけられ、子供や動物を題材にした彫刻作品が配置されている。 美術館には何度も来ていたが、ここ数年、この中庭はわざと避けていた。 ここは、樹との思い出の場所なのだ。 樹はこの想像を掻き立てられる小さな庭が、大のお気に入りだった。美術館に連れてくると必ずここでしばらくの間、楽しそうに彫刻を撫でて回る。表情のあまり豊かではない樹が、少しぎこちなく頬をゆるめて楽しげに歩いて回る姿を、壁に寄りかかって眺めるのが薫は好きだった。 ……そうか。7年だ。 樹との思い出が苦しくて、ここに来なくなってから、もうそんなに経つのだ。 庭園には誰もいなかった。ひっそりとただそこに存在していて、過ぎ去った年月など少しも感じさせない。 薫はぐるりと庭を一周して、ため息をついた。 今さらここで、樹との思い出に浸っても、やはり苦しさは増すばかりだ。 踵を返して、本館の入口に戻ろうとして、思わず息をのんだ。誰もいないと思っていた中庭に、人影が見えた。 あの頃、樹がよくやっていたように、カエルの彫刻の脇にしゃがみ込んでしげしげと見つめているのは、柔らかそうな茶色の髪の毛の少年だった。 ……樹……っ。 違う。あの少年が樹であるはずはない。 年格好もよく似ているが、別人だ。 樹はもう15歳の少年ではないのだ。

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