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第3章 突然の君1
「じゃ、私そろそろ帰るから」
「え……。泊まっていかないのか?」
床に降りようとする冴香の手首を、薫はまだベッドに寝転んだままの状態で掴んだ。
冴香はふふ……と笑ってやんわりとその手を外すと、
「ダメよ。明日の朝いちでレポート提出があるって言ったでしょ。今日は帰ってそれ、やらないと」
薫は渋々起き上がり、シャツを羽織った。
「じゃあ、部屋まで送るよ。なんだったらそのレポート、手伝うけど」
冴香は床に降りて、手早く身支度を整え、乱れた髪を手櫛で直しながら
「いいわ。あなたはここにいて。まだ外は明るいもの。1人で帰れるから」
「いや。……送る」
薫はベッドから降りて、脱ぎ散らしていたジーンズを穿くと、もうすっかりいつもの雰囲気に戻ってしまった、つれない恋人の腕をぐいっと引き寄せた。至近距離で薫の顔を見上げる冴香の目が揺れている。
薫は無言で抱き締めると、すくうように彼女の唇にキスをした。
柔らかい感触。甘やかな香り。
さっきまでの情欲の名残りが、身体の奥で疼く。
唇を割って舌を絡める。細い腰に手を伸ばし、その女性らしい柔らかいラインを確かめるように指を滑らせた。薫の悪戯に冴香はくすぐったそうに身をよじり、薫の胸にあてた両手を突っ張らせて、深まりかけた口づけを唐突に終わらせた。
「……だーめ。帰れなくなるから」
「だったら明日の朝、早起きして帰ればいい。せっかくバイトも休みなんだ。もっとゆっくりしていけよ」
薫と冴香と付き合い始めてから、半年が過ぎた。最近は、週に1度か2度は、互いの部屋に泊まるようになっていた。もちろん、部屋で会う時は、ごく自然に身体を重ねる仲だ。
今日は事務所のバイトも休みで、薫としては、もっとゆっくり恋人と戯れていたかった。
薫の不満顔に、冴香は困ったように苦笑して
「ごめんなさい。今日は本当に無理。来週、あなたの誕生日でしょ。ご馳走とケーキを用意するから、私の部屋に泊まりに来て」
今の甘いキスで、再び身体の奥に火がつきかけた薫としては、そんな先の約束なんかじゃ満足出来なかったが、これ以上駄々をこねて、彼女を困らせるのも大人気ない気がした。
薫はつれない恋人の唇に、名残惜しげにもう一度キスすると、
「わかったよ。今日は大人しくひきさがる」
「ふふ。ありがとう。ね、薫。本当に今日は送らなくていいわ。また明日、大学で会いましょう」
姿見の前で化粧を手早く直すと、冴香は笑顔で手を振り、部屋を出て行った。
取り残された薫は、はぁっと溜め息をつき、ベッドにどさっと腰をおろした。壁の時計に目をやると、まだ19時過ぎだ。久しぶりに予定のない1日で、冴香と朝までずっと過ごすつもりでいたから、唐突に出来てしまった暇を持て余してしまう。
いつも出来ない読書でもするかと、机の上に目を向けるが、専門書や資格試験のテキストぐらいしかない。
テレビを観る気にもなれなくて、薫はもう一度ため息をつくと、そのままごろんとベッドに横になった。
冴香と恋人という関係になり、薫の世界は広がった。一緒に食事をしながらたわいもない話をしたり、今まで縁のなかった女性ものの店に買い物に付き合ったり、電車で遠出してみたり。グレーだった世界に華やかな色がつき、味気ない日常が一変した。中でも一番の変化は……やはりセックスを経験したことだろう。
想像の世界の中だけだった女の子の柔らかい身体の感触。キスも愛撫もその先の行為も、薫にとっては衝撃的な体験だった。
だから、正直、情けないが、薫は彼女の身体に溺れているのだ。
今だって、キスだけでまた昂ってしまった自分の身体を持て余していた。
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