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突然の君9
「冗談だよ。ムキになるな。それより……明日は土曜日だ。学校は休みだよな。今日はどうする。このまま俺のところに泊まっていくか?」
樹は目を見開き、薫を見上げて
「え……嘘……。俺……泊まっても……いいんだ?」
「ああ。あんな狭いところでいいならな」
薫が笑いながら頷くと、樹は何か言いかけて口を閉じ、うろうろと目を泳がせた。またもごもごと口を動かし、でも言葉が出て来ないのか、親指を口にもっていって爪を噛む。
「嫌か? おまえが嫌なら……」
樹はぶんぶんと首を振り
「嫌じゃない! ……っでも……あ、あんたはいいのかよ……俺なんか……泊まらせてもさ」
薫は首を竦めてみせ
「構わないだろう。おまえが女の子だったら問題だけど、弟だしな。あ、でもおもてなしは期待するなよ。男の一人暮らしだから、たいしたことは出来ないぞ」
樹はまだ信じられないといった表情で薫を見つめた。
(……本当にデカい目だな。今にもこぼれ落ちそうだ)
樹は意を決したようにごくっと唾を飲み込むと
「お、俺、泊まりたいっ」
「分かった。じゃ、決まりだな。ただ、その前に家に電話するぞ。無断外泊はさすがにマズいだろう」
嬉しそうだった樹の顔が、途端に曇った。難しい表情になって、またしきりに爪を噛み始める。薫はそれを横目に見ながら
「俺が電話かけてやるよ。お義母さん、家にいるんだろう?」
「……うん。でも……きっとダメって言われる」
「そんなことないだろう。一応、これでも俺はおまえの兄貴だ。赤の他人のところに泊まるわけじゃないんだからな」
「……それは……そうだけどさ……」
「まあ、俺に任せておけよ」
暗い顔をして項垂れてしまった樹を促して、2人はアパートへと戻っていった。
部屋に戻って、薫はさっそく実家に電話を掛けた。自分から家に電話するなんて、ここに住んでから初めてかもしれない。樹は椅子に座って不安そうに薫を見つめている。
「……あ、お義母さんですか?俺です、薫です……ご無沙汰してすみません。……ええ……はい。元気です……あ、いえ。父に用事ではないんです。樹くんのことで…………あ~はい。知ってます。実はこっちに来ているんで…………ええ。それで、今日はもう遅いので、こっちに泊まらせますから……いや、別に迷惑じゃないです……はい……あーはい。それは大丈夫ですから…………ええ。分かりました。明日は俺が家まで送っていくんで…………え? …………はい……なるほど…………分かりました。伝えときます。それじゃ」
薫が受話器を置いて樹の方を見ると、樹は気まずそうに目を逸らした。
「母さん……何て?」
「泊まりはOKだそうだ。さてと。そしたら、歯ブラシは俺の予備のを使えばいいよな。問題は着替えか。寝巻きになりそうなものって、何かあったかな」
薫は壁に造り付けのクローゼットを開けて、衣装ケースの中をかきわけてみた。樹にはちょっとデカいが、Tシャツなら下着代わりのが何枚もある。下は……短パンでいいだろう。薫は何枚か取り出して振り返り
「なあ、樹。俺の着古しでもいいか? ちゃんと洗濯はしているから」
そう言って差し出すと、樹は何だか変な顔をして固まっていた。薫は首を傾げ
「おい。何て顔してるんだよ。あ、やっぱり俺のお古じゃダメか?」
「ちっ違うっ。ダメじゃないっ」
樹は赤い顔をして椅子から立ち上がり、薫の側まで行くと
「っ名前っ」
「え?」
「俺の、こと、樹って……っ」
樹が何を言ってるのか分からず、薫は首を傾げた。樹はそんな薫の反応にバツの悪そうな顔になり、
「な、何でもないっ。それより電話。俺に何伝えろって言ってたの? あの女」
「それは止めておけ」
「えっ?」
きょとんとする樹に、薫はちょっと厳しい顔をしてみせて
「お母さんだろう。あの女、なんて呼び方はするなよ」
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