41 / 448

三日月の思い7

冴香はサンドイッチを上品に頬張り、ちょっと首を傾げてから 「ね、薫。夏休みに、父に1度会ってくれないかしら」 薫は食事の手を止めて顔をあげ、冴香の顔をまじまじと見つめた。 「それは……」 「そんな堅苦しいことじゃないの。ただ、父に薫のことを話したら、1度家に連れて来なさいって。嫌なら無理にとは言わないけど」 薫は冴香の目を見つめて微笑み 「分かった。離れて暮らすお父さんにしてみたら、大事な娘に変な虫がついてないかと心配なんだろうな。いいよ。夏休み、君のご実家に伺わせてもらうよ」 冴香はほっとしたように頬をゆるめて 「薫を見たら、きっと父も母も安心するわ」 「それはどうかな。でも君のご両親をかえって不安にさせないように、頑張るよ」 薫の答えに冴香は楽しそうに笑った。 樹はもう1度、呼び鈴を鳴らしてみた。中でベルの鳴っている音はする。でも、それに応える気配はない。 (……今日は祝日だから、義兄さん、どこかに出掛けているのかな) さっき地下鉄の駅の時計を見たら、18時過ぎだった。プレゼント選びに時間がかかり過ぎて、遅くなって焦ったていたが、まだ帰ってないならここで待ってればいいかもしれない。 そのまま1時間が経ち、樹はだんだん不安になってきた。 (……もしかしたら……カノジョさんのとこに泊まりに行ってるのかも) 今日は薫の誕生日だったのだ。よく考えてみれば、カノジョと過ごしている可能性が高い。 樹は手に持った英字の袋を見つめた。出来ればこないだのお礼をちゃんと言って、自分で渡したかった。でも、帰って来ないなら仕方がない。 樹は義兄の部屋のドアに付いてる郵便受けを見た。 (……手紙……。そうだ。手紙書いてあそこに入れて帰ろう) そう考えてから、樹ははたっと気づいた。手紙っていったって、紙もペンも持ってない。 (……あ。コンビニ。地下鉄の駅のとこにコンビニがあった。あそこで紙とペン買って……) 樹はいったんアパートの階段を降りて、コンビニに向かった。あそこはこないだ嫌な目に遭ったから、なるべく行きたくないのだけれど。 コンビニに着くと、レターセットみたいなやつを探した。でも500円もするから買えない。100円の綺麗な色のメモ帳を買って、さんざん悩んで、お店の人にボールペンを借りた。台のところで義兄に手紙を書く。文面が気に入らなくて何回も書き直した。 『兄さんへ。 この間はありがとうございました。 お誕生日おめでとう』 いろいろ書いてみたが、結局はすごく短い文になってしまった。気持ちをそのまま文章にするのって難しい。 樹はコンビニを出て、急いでアパートに戻った。もしかしたら自分がいない間に、義兄が帰って来ているかもしれない。それなら、プレゼントだけ渡そう。 呼び鈴を鳴らしてみる。でもやっぱり誰も出ない。 樹はため息をつくと、プレゼントの袋を破れないようにそっと開けて、中にメモを入れて封をし直した。 郵便受けに袋をそっと入れると、カタンと下に落ちる音がした。 義兄に直接会えなかったのは残念だけど、仕方ない。 その時、車が駐車場に入ってくる音がした。樹は慌てて、手すりから下を覗き込む。 (……あ。義兄さんの車) 樹は振り返ってドアの郵便受けを見た。なんでこんなタイミングなんだろう。もうちょっと早ければ、直接渡せたのに。 樹は急いで階段を降りて、駐車場に向かった。 車が停まっても、義兄はなかなか出て来ない。どうしたんだろうと近づいていくと、助手席のドアが開いた。車から出てきたのは、こないだ義兄の部屋から出てきた綺麗な女の人だった。樹ははっとして、慌てて柱の影に隠れた。 運転席のドアが開いて、義兄が出てくる。 「冴香、マンションまで送っていくよ」 義兄が、道路の方に向かおうとするカノジョの腕を掴んだ。カノジョは振り返って義兄に笑いかけ 「すぐそこだからいいわ」 「今日は楽しかった。料理もプレゼントもありがとう」 「どういたしまして。じゃ、また明日、大学で会いましょう」 そう言ってまた背を向けようとするカノジョの手を、義兄はぐいっと引き寄せた。 「冴香……。好きだよ」 夕闇迫るアパートの駐車場。 樹の目の前で、2人のシルエットがゆっくりと重なった。 樹はドキドキして目を逸らす。 柱の影から出るタイミングを、完全に失っていた。

ともだちにシェアしよう!