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第8章.初月の心1
(……早く、家に、帰んないと)
樹はそれだけを頭の中で繰り返しながら、地下鉄の駅を出て、仙台駅に急いだ。頭の中は真っ白だった。胸だけがずっとドキドキし続けてる。
券売機の前で財布の中を見る。家の最寄り駅までは、やっぱり足りない。ひとつ手前の駅までの切符を買って、改札を抜ける。
ちょうどホームに滑り込んできた電車に乗り込んだ。電車が走り出すと、樹は急に膝ががくがくして、しゃがみこみそうになり、必死に手すりに掴まった。
真っ白になっていた頭の中に、霧が晴れるように浮かんでくる情景。
目の前で重なり合った2人のシルエット。
急に何かで刺されたみたいに、胸の奥がずきっと痛んだ。樹は息を止め、ぎゅっと目を瞑って、その痛みをやり過ごす。
『冴香……。好きだよ』
義兄の優しい声が、頭の中に繰り返し響いた。その言葉が樹の心に鋭い棘のように突き刺さる。
(……好き……。そうだよね。義兄さんはあの人が好き、なんだ。恋人なんだもん、当たり前だよね)
目の奥がじわじわと熱くなる。なんでだろう。訳が分からない。
なんでこんなに、ショックを受けてるんだろ。
どうして……こんなに苦しい?
どうして……こんなに胸が痛い?
どうして……どうして……?
「……好き……」
(……ああ……そうか。僕は、義兄さんが……好き、なんだ)
鼻の奥がつんとする。こんなところで、格好悪いのに。こんなみっともないのは、嫌なのに。
目からぽろぽろと、涙が零れ落ちる。樹は慌てて手の甲で涙を拭った。
胸元に揺れている小さな星型のペンダント。駅のトイレでこれをつけた時、何故だかものすごく後ろめたい気分になった。
こないだ義兄に優しくしてもらってから、樹はずっと義兄のことばっかり考えてた。
やっと……分かった。このもやもやした気持ちが何なのか。
(……ダメじゃん。こんなのおかしいよ。
僕は男なのに。義兄さんも男で。血は繋がってないけど兄弟で。それなのに僕は……義兄さんのことが、好きになっちゃったんだ……)
涙が、止まらない。本当に、バカみたいだ。
樹は後から後から溢れてくる涙を、袖口で何度も拭った。
ダイレクトメールに紛れていた小さな袋を手に、薫は首を傾げていた。
(……郵便物じゃないよな、これ。宛名も切手もない)
薫は袋を開けて、中身を見て驚いた。
白い紙に包まれた月の形のペンダント。一緒に入っていた、空の模様のメモに書かれた文字。
『兄さんへ。
この間はありがとうございました。
お誕生日おめでとう』
少し右上がりの丁寧な文字。
(……兄さんって……。これは、樹からだ)
自分が留守をしている間に、ここに来てくれたのか。誕生日を知って、わざわざプレゼントを持ってきてくれたのか。
昨日は帰ってから、どうせダイレクトメールばかりだろうと思って、郵便物をチェックしなかった。だから、この贈り物に気づいたのは、今朝だ。
(……まいったな……)
昨日気づけば、すぐに実家に電話をして、樹にお礼を言えた。
何の反応もないまま、ひと晩が過ぎてしまって、樹はどう思っただろう。きっとがっかりしたはずだ。可哀想なことをしてしまった。
薫は手の中のペンダントを握り締め、時計を見た。もう8:30を過ぎている。今日は金曜日だから、中学生の樹はもうとっくに学校だろう。義母に電話して伝言を頼むのもなんだか違う気がして、薫はしばらく考え込んだ。
午後の講義の後は事務所のバイトが入っている。19時頃終わるから、その後で直接実家に行ってみよう。父親と顔を合わすことになるのは何とも気が重いが、先日、樹が家出をしていたらしいのも気にかかっていた。その件もちょっと探りを入れてみた方がいいかもしれない。
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