64 / 448

薄月3

「仲のいい友達はいるのか?」 樹は、野菜炒めの上手く切れてなくて繋がった人参を箸で摘んで、じっと見つめながら 「……いる。時々、家に遊びに行ってた。よく、離れの勉強部屋に泊めてもらってたけど……最近は行ってない」 「なんだ。喧嘩でもしたのか?」 樹は繋がった人参を口に放り込み、無表情でもぐもぐしてからぽつんと答えた。 「うん。まあ、そんなとこ」 家出した時はその子の所に泊まったりしてたのか? と、思わず突っ込んだことを聞きそうになって、薫は慌てて口を噤んだ。樹が家出を何回もしていたのか、まだ義母に確認していないのだ。よく事情を知りもしないくせに余計な口出しをしたら、樹は気分が悪いだろう。 薫は話題を変えてみた。 「なあ、樹。俺がどうして家を出たか、父さんやお義母さんから何か聞いてるか?」 樹は、ようやく顔をあげて、薫の方をちらっと見た。 「……母さんと俺がいたから」 「うん、それな。確かにそれがきっかけになったのは、否定しないよ。ただ、こないだも言ったけど、樹やお義母さんのこと、嫌いだとかそういうことじゃないんだよ。俺は父さんのやり方が、どうしても納得いかなかったんだ」 薫の話に、樹は黙って、すごく真剣な顔で聞いてくれている。 「俺の母親が身体をこわしたのは、もともと父さんの会社が上手くいってなかった頃に、収入を支える為に無理な働き方をしてたせいだった。でも父さんは会社が順調になると、母さんが病気がちなのが鬱陶しくなって、邪険にするようになったんだ。母さんが入院してた時も、ほとんど見舞いもせずに、危篤の知らせにも、仕事が忙しいって病院に来なかった。そんな風に寂しく逝かせたくせに、それから1年も経たないうちに、おまえのお母さんとおまえを家に連れてきた。俺には一言の断りもなしにだ。だから俺は、父さんに対して腹をたてていたんだ。いや、腹たててた、なんて生易しいものじゃないな。俺はあの頃、父さんを憎んでた」 樹はきゅっと唇を噛み締め、どこか痛いみたいに顔をしかめた。 「俺の態度がおまえを傷つけていたってこと、俺は気づかないでいた。父さんへの不満ばかりに気を取られてて、そういうこと考える余裕が、あの頃はなかったんだ。……ごめんな。哀しい思いさせたよな。俺はあの頃のこと、今はすごく後悔してる。もっと早くに、樹自身のことをちゃんと見て、仲良くしとけば良かった。せっかく出来た兄弟だったのにな」 樹は大きな目を見開いて、薫の顔をじっと見つめた。唇を震わせ、何か言おうとして、言葉が見つからないのか、きゅっと唇を噛み締める。 樹は口下手のようだけど、目の表情が豊かだ。その瞳に責める色はない。薫の哀しみを懸命に理解しようとしてくれているのが、伝わってくる。 本当に……もっと早く、この優しい弟と心を通わせておけば良かった。今からでも、遅くはないだろうか。 「……兄さんは……悪くない。謝ったりしなくていいじゃん」 樹はそう呟くと、ふいっと目を逸らした。すっかり止まっていた箸を動かし、ウィンナーを摘んでもくもくと食べ始める。 樹のこういう一見素っ気ない態度は、下手な慰めを言われるより、今の自分には救いだった。 「そうか。じゃあ、これから仲良くしてくれるか?」 「いいよ。俺、兄さん……好きだし。……仲良くしてあげる」 目を逸らしたまま、ほとんど囁くように言う樹の照れたような表情が可愛くて、薫はほっとして微笑んだ。 ※※※※※※※ 樹は月城のマンションに一晩泊めてもらって、朝早くに車で家まで送ってもらった。家からちょっと離れた所で、車を停めた月城が 「じゃあね、樹くん。何か困ったことあったら、いつでも言って。僕じゃ役に立てないかもしれないけど」 車を降りかけていた樹は、月城のその言葉に、思わず振り返って 「今日、学校終わったら、車で連れてって欲しいとこ、ある」 「ん? どこ?」 言ってしまってから、図々しかったかな? と思ったが、月城は面白そうな顔をして 「いいよ。僕の仕事は一応18時で終わるから、その後なら送っていってあげる。場所はどこだい?」 「……地下鉄の○○駅のとこ」 「○○駅か。うん、分かった。じゃあ、終わったら家まで迎えに行くかい?」 「ううん。あの公園の入口でいい」 家まで来てもらったりしたら、母さんにまたどこに行くのって聞かれてしまう。樹が車を降りて公園の方を指さすと、月城はにっこり笑って 「分かった。あ、でも、急に残業になって、来られなくなる可能性もあるから、これ、一応渡しとくね」 そう言って、月城が差し出したのは5,000円札だった。樹はびっくりして、ぷるぷると首を振り 「こっこんなの。もらえないっ」 「いいから受け取って。もし何か困ったことがあった時に、必要になるかもしれないからね」 「でもっ」 月城は、樹の手に5,000円札を握らせると 「じゃあね、樹くん」 呆然としている樹を残して、車で走り去っていった。

ともだちにシェアしよう!