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薄月5
薫に車で連れて行ってもらったのは、樹が想像していたよりもずっと大きな図書館だった。利用しているのは大人ばかりで、樹のような子供は全然いない。
樹は緊張して、薫の後ろを恐る恐るくっついて歩いた。
「あっちが一般図書でそこが専門書な。雑誌とか子供向けのコーナーはこの階の1番奥と、上の階にもあったはずだ。借りたい本が見つかったら、俺に言ってくれ。まとめて借りてやるからな」
薫が小声で説明してくれるが、樹はすっかり雰囲気にのまれてしまって、黙って頷くのが精一杯だった。
薫は専門書のコーナーに向かって歩き出した。樹も慌ててその後を追う。館内は人がいっぱいいるのにしーんとしてて、ちょっと音をたてても響いてしまいそうで、樹は緊張でガチガチになって、薫の後ろにへばりついていた。
雑誌や小説の置いてあるコーナーを教えたのに、樹はそっちには行かず、薫の後をついてくる。
薫はデザイン関係の本を手に取って、中をぺらぺら捲っていたが、樹が所在無げにずっとそばにいるのが気になってしょうがない。
「おまえ、この辺の本は見ても分からないだろう?」
薫の問いかけに、樹は本棚をきょろきょろと見回した。
並んでいる本はどれも、建築デザインの専門書ばかりだ。薫が様子をうかがっていると、樹はなんだか怒ったような顔になって、本棚の下の方から分厚い写真集を引っ張り出して
「俺、これがいい」
そう呟いて本を胸に抱き締めた。
(……おいおい。おまえ、それ絶対興味ないだろ)
何故そんなに意地になってるのかは分からないが、樹は本を抱き締めたまま、むすっとした顔で薫をじっと見上げている。その意地っ張りな表情が可愛くて、薫はつい、にやけそうになるのを必死で堪えた。
「分かったよ。じゃあ、窓際の机のとこに行ってな。俺も自分の本を見つけたらそっち行くからな」
樹は無言で頷くと、重たそうに写真集を抱えながら、通路の1番奥の閲覧コーナーへと歩いて行った。
薫が何冊か選び終えて机の所に行くと、樹は膝の上に写真集を開いたまま、窓の外をぼんやり眺めていた。
ここはちょっと高台になっていて、窓からは広瀬川と、その周辺に広がる緑の多い公園が見降ろせる。近くには美術館や資料館などもあって、どれも豊かな自然の造形を利用した、市民の憩いのスポットだ。
薫はこの図書館を気に入っていて、高校の頃はよく自転車で家から通っていたが、樹はこの辺りに来たのは初めてだったようだ。こないだの遊園地の時みたいに、興味津々できょろきょろしては、薫と目が合うと詰まらなそうに仏頂面をしてみせたりして、薫は何度も顔がにやけそうになった。
窓からの陽射しに、樹の柔らかい髪が透けている。何度見ても、感心するくらい綺麗な子だと思う。家に来る前は、松島で母親と2人で暮らしていたと聞いた。父親のことは、樹がまだ赤ん坊の頃に亡くなったのだとしか、薫は知らない。
「他の本も探してくるか?」
薫が声をかけると、樹ははっとしたようにこちらを見上げてから、慌てて膝の上の写真集に視線を落とした。樹が見ているのは、偶然だが、薫の高校の時の愛読書だった。世界中の美麗な建築物の写真が、詳しい解説と共に載っていて、薫はここに来る度に、夢中でページを捲っては、美しい写真の数々に魅入っていた。
薫は樹の隣の椅子に腰を降ろすと
「その本な。俺のお気に入りの1冊なんだぞ。俺もいつかこんな美しい建物をデザインしてみたいって、高校の頃、夢中で見ていたんだ」
樹は顔をあげ、じーっと薫の顔を見てから、もう1度手元の本に視線を落とした。
「あんまり何度も見てたからな、どこに何が載ってるか暗記してるよ。55ページ、開いてみろよ」
樹は薫の言う通り、ページを捲った。
「それ。俺の1番好きなデザインだ」
樹はこくんと頷くと、食い入るように写真を見つめた。
「一見奇抜なデザインに見えるけどな、細部まで計算されていて、恐ろしく機能的で美しいんだ。俺の憧れだ」
あらゆる角度から撮られた、その建物の写真。樹は真剣な顔で写真の横の解説を読み始めた。
薫は思わず微笑むと、自分の持ってきた本を開いて、鞄から筆記用具を取り出した。
薫がノートに何か書き込みながら勉強している横で、樹はずっと写真集を見ていた。正直、建築デザインなんて全然興味はなかったけど、おまえには分からないだろうと薫に言われて、思わずムキになって選んでしまった写真集。でも、義兄の愛読書だったと聞いた途端、急に興味がわいてきて、樹は分厚い本の最初のページから、細かい文字も全部読んでいった。
時々、目が疲れると、55ページを開いて、薫の憧れの建物の写真を眺めてみる。
樹にはこの建物がどんなに凄いデザインなのか、いまいちよく分からなかったが、薫の言う通り、とても綺麗な形だと思った。
この写真のことを説明してくれた時の、薫の表情を思い出すと、また胸がドキドキしてきた。
「俺の憧れだ」そう言った義兄の顔は、すごく優しい顔をしていて幸せそうだった。
義兄は将来、建築デザインの仕事をしたくて、一生懸命勉強してるのだ。あんな顔が出来るくらい、夢中になれるものがあって羨ましい。樹にはまだ、自分が将来なりたい夢なんて全然思いつかない。薫はやっぱり、自分よりずっと大人で格好いい人だと思う。
(……僕の憧れは……兄さん……)
樹はちらっと義兄の横顔を盗み見た。胸の奥がきゅんと痛くなって、樹は慌てて目を逸らした。
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