117 / 448
雨夜の月10
樹が泣いた。
大きな目いっぱいに盛り上がった涙が、ぽろんと音がしそうな感じで、頬に伝い落ちた。
こんな絵に描いたような大粒の涙を見たことがない。びっくりし過ぎて、薫はただ呆然と樹の涙に見とれてしまった。
堰を切ったように、後から後から零れ落ちる涙が頬を伝い、溶けてどろどろになったパフェの上に、ぽとぽとと落ちる。
薫は狼狽えた。
樹を泣かせてしまった。
(……ど、どうしたらいいんだ?)
咄嗟に腕を伸ばし、樹の頭を引き寄せて、自分の胸に顔を埋めさせる。
泣き止ませようとか、慰めようとか考えての行動じゃなかった。
樹のこの綺麗な涙を、他の人間の目に晒してはいけない気がしたのだ。
樹はびくっとして、慌てて離れようとしたが、薫は離すまいとして腕に力を込めた。ふいに、かくんと樹の身体から力が抜けて、その華奢な身体の重みを感じた。
胸に無防備に顔を埋め、声もなく泣く樹を、何かから守るように、薫は両腕ですっぽりと抱き締めた。
伝わる体温、微かな震え、そしてほんのりと香る、少し甘いような香り。
(……なんだろう。この、込み上げてくる切ないような愛しさは)
薫は、今まで経験したことのない自分の気持ちに戸惑い、しばらく黙って、腕の中の樹の存在を感じていた。
怒られると思っていたのに、義兄に謝られてしまった。
(……どうして? なんで? 僕が馬鹿なことばっかりやっちゃって、義兄さんに嫌な思いさせて、いっぱい迷惑かけたのに。
義兄さん……優しすぎるよ……)
もう限界だった。目の奥がじわじわ熱くなってきて、我慢しようとしてもダメだった。
みるみる盛り上がった涙が、ぽとぽとと零れ落ちる。
薫は、驚いたように息を飲んで、こちらを見ている。
(……どうしよう。泣いてる顔なんて……こんな格好悪いところ、義兄さんにだけは見せたくなかった。でも涙、止まんない)
薫の手が伸びてきて、頭を抱き寄せられた。樹は驚いて、その腕から逃れようとしたが、薫はぎゅっと抱きかかえて離してくれない。
泣いた顔を隠すように、薫は両手ですっぽりと抱えてくれた。
その温かいがっしりとした腕に、守られている気がした。
(……ずっと誰かに助けてって言いたかった。自分ではどうにもならないいろんなこと、誰かに話だけでも聞いて欲しかった。
大丈夫だよって……言って欲しかった。
妹の事故のこと。お義父さんのこと。叔父さんとの……こと。
どれも義兄さんにだけは絶対に知られたくないけど、ほんとは助けてって言いたかったんだ)
樹は、急に身体の力が抜けて、薫の広い胸に顔を埋めた。
あったかくて、優しい、大好きな人の鼓動。
樹は、嬉しくて哀しくて苦しくて、叫び出したいのを必死に堪えて、薫に縋りついて泣いた。
「にいさん……手、離して」
胸もとから、囁くような声が聞こえる。薫は夢から覚めたように、はっとして見下ろした。
もぞもぞと樹の頭が動く。
遠ざかっていた周囲の音が、まるでスイッチが入ったように、耳に聞こえてきた。
そうだった。ここはファミレスの客席だ。一番奥の仕切りのある席だが、もちろん個室ではないから、通路を挟んだ別の席から丸見えだ。
そっと見回すと、家族連れの母親らしき女性が、不思議そうにこちらを見ていた。
薫は慌てて腕を外して、もう1度胸もとを見下ろす。目を真っ赤に泣き腫らした樹と目が合った。鼻まで真っ赤だ。
「樹……」
薫が声をかけると、樹は顔をへにょんとさせて
「トイレ……行ってくる……」
掠れた声でそう言うと、薫の身体を押しのけるようにして、立ち上がり、そそくさと洗面所に逃げていった。
ともだちにシェアしよう!