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蒼い月13

楽しい時間はあっという間に過ぎていく。 樹はびっくりするほど器用に、カレイの煮付けと付け合せの小松菜のお浸し、豆腐とワカメの味噌汁と玉子焼きを作ってくれた。このアパートで、こんなちゃんとした家庭料理が食べられるなんて最高だ。 「おまえ、俺のとこに嫁に来いよ」 クローゼットから引っ張り出した小さなテーブルに、ひと通り皿を並べ終えて、薫が軽口を叩くと、樹は炊飯器からご飯を茶碗によそいながら、ちろっと横目で睨んだ。 「え……やだ。兄さん、世話焼けそうだし」 「そうか? 飯作るだけだぞ、俺が苦手なのは。後は家事全般何でもこなす。それにいずれ1流の建築デザイナーになって、リッチな生活させてやるぞ?」 「はいはい。あ、兄さん、箸持ってきて」 軽くいなされて、薫は口を尖らせた。 「ちぇ。本気にしてないな?」 「しないしない。いいから早く」 さっき大泣きしたのが嘘みたいに、またいつものツンツンに戻った樹に、薫は内心ホッとしていた。いろいろと気掛かりは残っているが、あの哀しげな泣き顔を見てるよりはいい。調子に乗り過ぎて、完全に樹にそっぽを向かれてしまったと焦っていたから、またこうして普通に会話出来ていることに、心から安堵した。 「よーし。食うか」 「うん」 ベッドを背もたれにして並んで座ると、薫はいそいそと煮魚に箸を伸ばした。 「おまえ、来年は高校受験だろ? 塾とか、行ってるのか?」 「う……ん……。行ってない。でも勉強は教えてもらってる」 誰に? ……とはあえて聞くまい。相手は月城に決まっている。 「行きたい高校、あるのか?」 「……兄さんと、同じとこ」 「お、南高か。あそこはいいぞ。家からだと通うのがちょっと面倒だけどな。でも周りに誘惑が何にもないから、勉学に勤しめる。進学校の割に校風も割とゆるいしな」 「ふぅん……」 「おまえ、成績の方はどうなんだ?」 樹は本から顔をあげて、うーん……と唸って首を傾げる。 「……普通」 「普通ってなんだよ。テスト5教科で何点ぐらいだ?」 樹は眉間に皺を寄せた。 「330……ぐらい?」 (……なるほど。たしかに普通だ) 「南高志望なら350は欲しいとこだな。いや、370ぐらいか」 「……兄さん、先生と同じこと言ってる」 「まだ2年だろう? これからの頑張りであげられるぞ、点数」 「それも先生と同じじゃん」 「苦手な科目は、何だ?」 「……英語……と社会」 「教えてやろうか? 兄さんが」 樹は薫の顔を見て、目をぱちぱちさせている。 「社会はそれほどじゃないけど、兄さん、英語は得意だぞ」 「……教えて、くれんの?」 「ああ。今度ここ来る時に教科書持っておいで。図書館で使いやすい参考書も探してやるよ」 「……うん……ありがと」 樹はちょっとはにかんで、また膝の上の本に視線を向けた。 (……しつこいよな……俺も) 勉強を教えるなんて言って、また月城に対抗している。樹の気持ちは尊重してやりたいが、出来ればあまり会って欲しくない。例え完全にあいつの代わりにはなれないとしても。 恋人の代わりは諦めざるを得ないと納得はしたが、無性に胸の奥がもやもやする。何故かは分からないが、月城の存在がどうしても気に食わない。 (……なんだろうな……これって。まるで焼きもちじゃないか。樹の心を奪っている月城に、嫉妬しているみたいな……。 ん……?……嫉妬……?) 薫は、ベッドを背もたれにして、床に座って本を読む樹を見下ろした。大部分は服で隠れているが、樹の白い肌に散るたくさんの紅。さっきムキになってつけたが、もともとは月城がつけた印だ。 (……印? なんの?) キスマークを相手の身体に刻むのは何故だ。 もちろん相手が愛しいからだが、あれは多分、所有と独占の証だ。 こいつは自分だけのものだと、確認して、他にも示すための……。 月城が樹につけた印。上からそれを打ち消すように、なぞって自分の印に塗り替えた。片っ端からひとつ残らずだ。 やっている最中は無我夢中だったが、今、冷静になってみると、それは不思議な感情だった。 (……俺は、樹を自分のものにしたいのか? 独占したい? 月城に会わせたくないのは……弟を守りたいという綺麗事なんかじゃない。俺は……もしかして……) ふいに降りてきた言葉に、薫は激しく動揺した。 (……俺は、樹に……恋……してるのか? この、血の繋がらない、綺麗な義弟に)

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