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恋の予感4

「うわっ」 鍵をかけたつもりだったのに、何故かかかっていなくて、薫は首を傾げながらドアを開けた。 途端に目に飛び込んできたのは、玄関に座り込む樹の姿だった。 「びっくりさせるなよ、樹。どうしておまえ、そんなとこに座ってるんだ?」 薫が声をかけると、樹はのろのろと顔をあげた。なんだかものすごく暗い表情で、ぼやーっとこちらを見上げている。 「どうした? 具合、悪いか?」 樹はぼんやりしたまま首を横に振って 「だいじょぶ。義兄さん、これ」 樹が差し出すバッグには見覚えがあった。このバッグは自分のだ。でもこれは…… 「冴香が、来てるのか?」 薫が部屋の方に視線を向けると、樹はまた首を横に振り 「ううん。これ、俺に渡して、帰った」 「……そうか。中身は俺の服や下着だろう? 別に急いで突っ返しに来なくたっていいのにな」 薫は苦笑すると、樹の頭をぽんぽんと撫でて 「遅くなってごめんな。近くのスーパー、もうシャッターが降りかけてて、少し遠出して別の店まで行ってたんだ。ほら、小麦粉と海苔、あと油も買い足したぞ。それからこっちはロールケーキだ。半額になってたからお土産な」 樹はのろのろと薫の差し出す買い物袋とケーキの箱を見た。 「ほら、部屋行くぞ。そんなとこに座ってたら、中に入れないだろう?」 薫が笑いながら促すと、樹は頷いて立ち上がった。 「お。鶏肉、下ごしらえの途中だったのか?」 まな板の上に置きっぱなしの肉と包丁を見て、薫がそう言うと、樹ははっとしたようにそっちを見て 「あ……ごめ……なさい、俺」 慌ててそっちへ行こうとする樹の腕を掴んで 「いい、いい。後で一緒にやろう。どんな風にするのか俺にも教えてくれ」 言いながら、部屋の中に向かう。 「それで、冴香のやつ、何か言ってたか?」 部屋に入ると、樹はいつもの定位置のソファーに座って、膝を抱え込んだ。さっきの暗い表情といい、なかなか目を合わせないことといい、冴香と何かあったんじゃないかという気がした。 樹は俯いたまま首を横に振り 「……ううん。別に、なにも」 「黙ってバッグだけ置いて帰ったのか?」 「……うん……」 薫はバッグを机に置いて、中身を確認してみた。 やはり服や下着、更にはご丁寧にも向こうで使っていた歯ブラシやマグカップまで入ってる。 冴香はしばらく距離を置きたいなんて言っていたが、縒りを戻す気なんて、さらさらないんじゃないのか? なんだか、ちょっと可笑しくなってきた。ここまでスッパリ切られると、逆に諦めもつく。至らない部分はあったかもしれないが、冴香との付き合いには、薫はいつも真摯だったし、誠実であるように努めたつもりだ。何の理由の説明もなく、こんな態度を取られる筋合いはない。 妙にサバサバした気分で、マグカップを机に置いて、ふと振り返ると、樹と目があった。なんだか泣きそうな顔をしている。 「こらこら。どうしておまえが、そんな顔してるんだ。冴香に振られたのは、俺の方だぞ」 樹は眉をきゅっと寄せて、また俯いた。 薫はソファーに歩み寄り、隣に腰をおろすと 「気にするな。おまえが気を遣うことじゃないんだ。それにな」 薫は樹の柔らかい髪をそっと撫でると 「なんか完全に吹っ切れたよ。なんだろうな、正直ちょっとすっきりした。俺はあいつと付き合っている間、もしかしたら少し無理をしていたのかもな。あいつのご機嫌を損ねないようにと、結構気を遣ってた気がするよ。冴香の本音が分からなくて、ずっともやもやしてたんだ」 「……結婚とか……するつもりだった? 冴香さんと」 「ん~? どうだろうな。このまま付き合ってたらいずれはって、漠然と考えてはいたけどな。あいつも俺もまだ学生だから、お互いに自分の将来がどうなるのか、まだ分からないし、叶えたい夢もある。家庭を持つとしても……随分先のことだ」 「……叶えたい……夢。一流の建築デザイナー……?」 おずおずと顔を覗き込んでくる樹に、薫は思わず苦笑して 「ああ。そうだ。俺はいつか自分の事務所を立ち上げたいんだ。それにおまえを、あの美しいメルヘンの島に連れて行ってやらないとな」 樹は大きな目をぱちぱちさせて 「メルヘンの……?」 「行ってみたいって言ったろ? エーゲ海の白い街並み。あの写真集に載っていた場所だ」 樹は驚いたように目を見開いた。 (……なんだよ。前に約束しただろう? 信じてなかったのか) 「……ほんとに……連れてってくれるんだ……」 「もちろん。俺は約束は守るぞ。その為に今、必死で勉強してる。絶対に連れて行ってやるから、楽しみにしてろよ」 薫が手を伸ばして、樹の手を握ると、樹は照れたようにぷいっと横を向いて、でも手をきゅっと握り返してくれた。

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