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慕ぶ月6
「…………」
薫に手を引かれ、ちょっと舞い上がった状態でトイレの前まで来たのはいいが、樹は男性用トイレ入り口で、再びぴたっと足を止めた。
「ん?どうした。入らないのか?」
急に立ち止まり尻込みし始めた樹に、薫は怪訝な顔をして振り返る。樹は男性用と女性用の入り口を見比べてから、眉を顰めて薫を見た。
「……僕……どっち?」
薫は一瞬きょとんとしたが、樹の言わんとすることに気づいたのか
「あ……あーーー……。そうか」
樹の全身を改めて見て、うーん……と眉を顰めた。
樹は今、女の子の格好だ。でも性別は男な訳で……。外見だけなら女性用だろうが、もちろんそれは許されない。かと言って、この完璧女子の姿で、薫と一緒に堂々と男子トイレに入るのも……厳しい。
「……兄さん、1人で、行ってきて」
「いや、だっておまえ、どうするんだよ?」
「僕は……いい」
「いや。ダメだろう。トイレは我慢すると身体によくないぞ」
(……うん。でも……別にすごくトイレしたいってわけじゃないし)
「いいから行って。僕、ここで、待ってる」
薫はますます悩み顔になり
「別にいいんじゃないか?その格好で男の方に入っても」
(……ダメでしょ。きっと、ギョッとされる)
「僕、そんなに、したくない」
頑なに言い張る樹に、薫はちょっと考えてから
「じゃあ、女子の方、行ってこい。その格好なら大丈夫だ」
(……や。ダメでしょ! それ、犯罪じゃないの?)
「いいから!」
トイレの入り口で揉めている2人に、他の客たちが怪訝な顔をしているのに気づいて、樹は慌てて薫の背中を押した。
(……男同士で手繋いでると、義兄さんが変な目で見られるからってこんな格好したのに、これじゃ、余計に目立っちゃうよ)
樹はちょっと涙目になりながら、薫の背中をぐいぐい押した。そのまま中に入りかけた薫が
「あ。そうか!」
急に叫んで、くるっと樹の手をかわすと、腕を掴んで通路の奥に歩き始めた。
(……???)
戸惑う樹を突き当たりまで引っ張って行って
「ほら。ここなら大丈夫だ」
ドヤ顔で振り返った薫が指差したのは……
(……え……多機能トイレ?)
「な?これで解決だ。おいで」
薫はぽやんとしてる樹ににこっと笑いかけると、ドアを開けて樹を先に中に入れ、自分もその後に続いて一緒に入ると、ドアを閉めた。
(……?!?!)
「なんで、兄さんも、入って来んの?!」
樹は多機能トイレの広い個室で、薫を呆然と見上げた。
「ん? ああ、そうか。つい勢いで……」
指摘された薫は照れたように頭をかいた。
(……つい……勢いでって……)
たしかに多機能トイレなら、男女共用だから、樹が入っても問題ない。でもだからって、2人で入ってどうするの!
樹は呆れてため息をついた。
「兄さんって……たまに、考え無しだよね……」
脱力したように呟く樹に、薫ははははっと声をあげて笑うと
「でもこれでトイレの問題はクリアーだろ? でも盲点だったよなぁ。店入っていきなり、こんなことで悩むとは思わなかった。普段、女装してる人って、こういうトイレがない時はどうしてるんだろうなぁ」
のほほんとした薫の様子に、樹は思わず苦笑いして
「とにかく、兄さんは、もう出てよ。2人でトイレ入るとか、絶対に変だから」
「ああ、そうだよな」
薫は頷いて、外に出て行こうとして、ふいに足を止めた。振り返って樹の腕を掴み、ぐいっと引き寄せると、ちゅっと唇にキスをする。
(……っ)
驚いてぴきっと固まる樹に、薫はちょっと照れたように笑って
「可愛いよ、樹。その格好な、すごく似合ってる。どのカップル見ても、おまえより可愛い娘なんか全然いなかったぞ。連れて歩くの、兄さん、自慢だ」
「え……」
「だからもっと自信持って、堂々としてろよ」
薫はそう言って、片目を瞑ると、呆然としている樹を残して出て行った。
(…………………………)
顔がじわじわと熱くなる。樹は、キスされた唇を指先でそっと押さえた。
「……兄さん……」
なんだろう。胸がすごく苦しい。ドキドキが止まらない。
(……こんな不意打ち……するなんて、ズルい)
何にも考えていなさそうに見えた薫は、自分が自信をなくして尻込みしてたのに、気づいていたのだ。もしかして、強引に手を繋いで、トイレまで連れてきてくれたのは、今の言葉を自分に伝えようとしたからかもしれない。
頬だけでなく、目の奥までじわじわと熱くなってきて、樹は慌ててぱちぱちと瞬きをした。
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