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隠れ月4

「そう、しょげるなよ」 薫がそう言って頭をそっと撫でると、樹はひょいっとその手をかわして 「だって……倒れない」 「最初はみんな、あんなものだ。まだ3回投げただけだろう‍?」 樹はすっかり意気消沈した表情で、ちろっとこちらを睨みつけ 「全部、途中で落ちちゃうじゃん」 「うん、まあそうだな。おまえの場合は、ちょっと球が軽すぎるのもあるよな」 そうなのだ。ものすごく緊張しながらも、わくわくした様子の樹に、薫は手取り足取りで投げ方を教えてやった。 樹は張り切って、一球目を投げた。……はずだったのだが、球は下にごとんっと落ちて、のろのろと足元を転がっていった。 タイミングが合わずに、指からするりと抜け落ちたのだ。 薫は急いで球を追いかけ拾い上げると、今度は樹の後ろから寄り添い、球を持つ樹の腕を完全にサポートしてやった。 そうして挑んだ仕切り直しの投球は、指を離すタイミングこそ合ったが、球は大きく上に弧を描いて、レーンにごとんと音を立てて落ちた。すっかり勢いを殺された球は、まるで蠅が止まれそうなほどのろのろと、レーンをふらつきながら滑り、とうとう耐えきれずに、脇の溝にポトリと落ちた。 係員を呼んで、溝で止まってしまった球を外してもらい、もう1度挑戦。 横目に見える樹の顔が、可哀想なほど凹んでいて、薫は内心苦笑した。 今日の樹は、いつもより表情が豊かだ。それがすごく新鮮で愛らしい。 薫が力を完全にコントロールしてやった3投目。球は真っ直ぐにレーンを転がり、樹は固唾を呑んで、球を目で追っていた。 だが、あと少しでピンに届くという所で、力尽きて溝に落ち、10本のピンにはかすりもせずに、奥に吸い込まれていった。 樹はその場にへたりこんでしまいそうなほど、がっくりと肩を落とした。 (……ムキになり過ぎだよ、樹。そんなにしょげなくていいのにな) 若干、涙目になっている樹のそんな姿も、薫の目には酷く愛おしく感じた。 「……たっ……倒れたっ」 球の行方を見守っていた樹が、くるんっと振り返って、弾んだ声をあげた。 「ああ、倒れたな」 頬を紅潮させ、きらきらした目で、こちらを見る樹の表情が、あまりにも愛らしくて無邪気で、薫は頬を緩ませた。 (……なんて可愛い顔するんだよ、まったく) いつも表情が乏しい樹が、ここに来てから珍しく見せてくれている中でも、とびきりの笑顔だ。そんなに笑えるのかと、思わずドキッとするほどの。 6投目にして、樹の超スローボールは、無事に目的地に辿り着いた。見守る薫の握り締めた拳がちょっと痛くなるくらい、途中で止まってしまいそうでハラハラしたが。 樹はぴょんぴょんと音がしそうなほど弾みながら、薫の側まで駆け戻って来た。頭を撫でようとする薫の手をひょいっとかわして、天井から設置されているモニターを見上げる。 「わ。わ。すごいっ。5本も、倒れてる!」 そうなのだ。のろのろとかろうじてレーンに留まっていた球は、端の1本にコツンと当たって力尽き溝に落ちた。でもその1本が斜め後ろ向きに倒れ、ドミノ倒しのように、隣りとその奥をぽてぽてと倒していったのだ。 薫は樹の横に歩み寄り、一緒にモニターを見上げて 「本当だ。凄いな、樹。一気に半分倒したぞ」 薫のその言葉に、樹は蕩けそうな笑顔になったが、すぐにモニターを見直して 「でも、兄さん、全部倒したし」 そう言ってモニターを指差した。確かに、直前の投球で、自分はストライクを取ってしまっている。樹にいいところを見せたくて、ようやく出したストライクだが、ちょっとタイミングが悪かった。 「あ。ああ。あれはまぐれだよ。弾いたピンがたまたま跳ね返って、全部倒れたんだしな」 薫が苦笑しながら言い訳すると、樹はちょっと真顔になって首を傾げてから 「でも兄さん、格好よかった」 ぼそっとそう言うと、にっこり笑った。 (……うわ) 眩しい笑顔というのは、こういうのを言うんだな、と思う。普段あまり笑わない樹だからこそ、そのギャップがドキドキするほど眩しい。向けられるその瞳に賞賛の色が滲んでいて、ちょっとにまにましてしまいそうだ。 「そうか。惚れ直したか‍?」 照れ隠しに思わず、ぽろっと軽口が出た。途端に、樹は笑顔を消して、じーっと数秒こちらを見つめた後で、ふいっと目を逸らしてしまった。 (……あ~。失敗したな。残念) もうちょっと、あの無邪気で素直な笑顔を見ていたかったのだが、樹の普段とのギャップに浮かれてしまっている自覚はある。 「よし。じゃあ残りの半分、頑張って倒して来いよ」 そう言って、頭を軽く撫でると、樹は何か言いたげに口をもごもごさせたが、結局何も言わずに、次の投球に向かった。

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