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隠れ月9
いくらなんでも、こんなに出て来ないのはおかしい。
薫はちらっと腕時計を見て、眉をひそめた。
(……声……掛けてみるか)
トイレにいるのが樹じゃないとしても、ちょっと長すぎる。これは多機能トイレだ。もしかして、誰かが中で具合が悪くなっている可能性もある。
薫は壁から身体を起こすと、ドアに近寄った。少し躊躇してから、ドア越しに遠慮がちに声を掛ける。
樹か?という問い掛けに、答えはなかった。だが微かに、人が動いている気配を感じた。
薫はドアに耳をあててみてから、今後は手でノックしてみた。
「中にいる人、大丈夫ですか? もしかして、気分が悪いんですか?」
やっぱり返事はない。だが、さっきより中で動く気配が大きくなった。話し声が聴こえる気がする。
(……話し声……?)
薫は首を傾げ、もっと強くドアを叩いた。
不意に、ドアロックが解除された。薫ははっとして少しドアから離れた。引き戸タイプのドアがするすると開いて、俯いた長身の男が出てきた。薫の身体を手で押しのける。
「あ……失礼」
不意をつかれ、少しよろめきながら道を開けて、男に謝りかけた時、中からもう1人、ガタイのいい男が出て来た。
(……え……? ……どうして……もう1人?)
薫はちょっと呆気に取られて、後から出てきた男をまじまじと見つめてしまった。
それが気に入らなかったのだろう。深く帽子を被った男が、ぎろっとこちらを睨みつけ
「邪魔しやがって。ホモがっ」
舌打ちしながら吐き捨て、薫を押し退けるようにして足早に去って行く。
薫は2人を呆然と見送って、首を傾げた。
(……邪魔……?……あ、そうか。今の男たちは……)
ひょっとしたら2人は、この多機能トイレの中で……本来の目的じゃないことをしていたのか。薫はそこに思い至って苦笑いした。
なるほど。それならばいつまでも出てこなかったのも納得だ。
だが、いくら中が広いとはいえ、こんな公共の場でイチャついていた彼らが悪いのだ。八つ当たりされても困る。
(……樹……。じゃあ、樹はどこだ? もしかして入れ違いになったのかな?)
薫はようやく気を取り直して、向こうに戻ろうと歩き始めた。
「……にい……さん……」
はっとして立ち止まる。
今の声は……樹だ。
薫は声のした方を振り向いた。
トイレ……から……?
「にい、さ……ん」
「……っ。樹っ」
薫は半分開いたままの引き戸をガラッと開けた。
その目に飛び込んできた光景は……。
樹がいた。
今、男たちが出てきたトイレの中に。
床に蹲って、顔だけあげている。その目は悲しげに歪んで……泣いている。
(……泣いている?)
「樹っっ」
薫は叫んで駆け寄った。
「樹、どうしたんだっおまえ、どうして」
蹲る樹にしゃがみ込んで抱き締めようとすると、樹はこちらが驚くほどびくんっと震え、自分の身体を自分で抱き締めるようにして、縮こまった。
薫はその肩を両手で掴み、息を飲んだ。
縮こまる樹の、ブラウスが、破けている。
これは……この姿は……。
薫はドアの方を振り返った。
(……さっきの男たち。あいつらだ。
あいつらが、樹に……!)
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