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隠れ月10
「樹っ何を……何をされたっ?」
薫は完全に床にしゃがみ込み、項垂れる樹の肩を揺すった。
「……にぃ……さん……」
樹は顔をあげようとしない。
掠れた涙声で自分の名を呟くと、ふぅぅく……っと声を殺して泣き始めた。
(……あいつらっっっ!)
薫の頭に一気に血がのぼる。あのゲス野郎ども、俺の樹に何を……っ。
「今のヤツらだな? 樹! ああっ、くそっ」
こんなことになっているなんて気づかなかった。樹がトイレであいつらに襲われているのに、自分はのほほんとその外で待っていたのだ。しかも、知らずにあいつらをまんまと行かせてしまった。間抜けな自分にムカついて、薫は舌打ちすると思わず立ち上がりかけた。
「にいさんっっっ」
樹ががばっと顔をあげ、悲鳴のような声を絞り出す。
「やだっやだやだにいさっやだぁ!」
しゃくりあげ、涙声で喚きながら、腕を伸ばしてしがみついてきた。
中途半端な体勢で樹に縋りつかれて、薫はよろけてまた床に膝をつく。しがみつく樹の細い指が、腕にぎりぎりと食い込んできた。
樹はガタガタと震えている。
「樹……っ」
薫は、唸るように樹の名を呼んで、その華奢な身体を抱き竦めた。強く強く、抱き締める。
その身体の震えを、止めてやりたくて。
(……1人に、するんじゃなかった。1人で、行かせるべきじゃなかった。俺がちゃんとついて来てやればよかったんだ。こんな……こんな怖い思いをさせてしまうなんて)
思っても仕方がない後悔に、胸が締め付けられる。樹に理不尽なことをしたあの男たちへの憎悪に、胸の奥がどす黒く染まる。
あんなにも楽しそうに、幸せそうに、笑っていたのだ。
ついさっきまで。
それが今は、可哀想なほど震えて、泣きじゃくっている。
(……俺の、大切な、樹が)
薫は床に完全に尻をつき、樹の身体をすっぽりと包み込むようにして抱きかかえた。
自分の身体で、樹を全て覆ってやりたかった。肝心な時に助けてやれなかった自分への歯痒さに、ぎりっと歯を食いしばる。
(……樹……ごめんな。ごめんな、樹……樹……)
「樹……少し落ち着いたか?」
怖がらせないように、そっと声をかける。
さっき、腕を伸ばしてドアのロックボタンを押した動きだけで、樹は可哀想なくらい怯えたのだ。あれから随分時間も経って、身体の震えも声を殺して泣きじゃくるのも、だいぶおさまってはきたが。
しがみつく身体を少しだけ離して、顔を覗き込もうとしたが、樹は細い指で食い込むぐらい腕を掴み締めて、激しくいやいやをした。
「樹。ここから出て、どこか落ち着ける場所に行こう?」
既に何回か、このトイレを使いたい客が、ドアをノックしていた。あまり長時間閉じこもっていると、店の人間や警備員を呼ばれるかもしれない。
樹は騒ぎになったら、余計にショックを受けるだろう。なるべく人目につかないように、樹を連れて帰りたい。
「なあ?樹。俺の上着を貸してやるから。とにかくここを出よう?」
樹は黙って首を横に振る。
「でもずっとここに居たら、人が集まって来てしまうぞ?」
薫の言葉に、樹がぴくんと震えた。
「このトイレを、いつまでも占領していたら不審に思われる。……わかるよな?」
なるべく穏やかに説得すると、樹はそれでもしばらくじっとしていたが、やがて諦めたように、手の力をゆるめた。
「いい子だ。立てるか?」
樹は微かに頷いて、薫から手を離した。薫はなるべく怯えさせないように、そっと樹の身体を支えながら、自分も立ち上がった。
深く俯いたまま肌蹴た前を手で隠している樹に、薫は自分の上着を脱いで、素早く羽織らせてやった。
樹はその大きすぎる上着の前を、まるで抱き締めるようにして再び縮こまる。
(……荷物は……持ってきている。だが一旦レーンに戻って精算してしまわないと)
本当ならば、戻って来た樹と、もう1ゲームするはずだったのだ。樹はきっとすごく楽しげに過ごしただろう。こんなことさえ、起きなければ。
(……怪我は……していないのか?あいつらに……何をされた?)
樹の顔色を確かめて、もし怪我をしているのなら、病院に連れて行ってやりたい。だが、今の状態の樹にそれを言っても、きっと激しく拒絶するだけだ。
(……とにかく……ここを出よう。車に乗せて……アパートへ連れて帰ろう)
「樹。歩けるか? それとも、兄さん、おんぶしてやるか?」
樹は相変わらず俯いたまま、首を横に振って
「帰りたい……」
やっと聞こえるような掠れ声で、囁いた。
その声に、胸がぎゅっと締め付けられる。
薫は顔を歪め、そーっと腕を伸ばして、樹の身体をふんわりと抱き締めた。
「ごめんな……樹」
樹は身体を強ばらせたが、腕の中でじっとしている。
「……兄さん……悪くない、から」
震える掠れ声で小さく呟く。
「行こう。ここの会計を済ませて、車に乗って、アパートに帰ろうな」
樹はぐすっと鼻を啜って、こくん……と頷いた。
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