196 / 448

隠れ月10

「樹っ何を……何をされた‍っ?」 薫は完全に床にしゃがみ込み、項垂れる樹の肩を揺すった。 「……にぃ……さん……」 樹は顔をあげようとしない。 掠れた涙声で自分の名を呟くと、ふぅぅく……っと声を殺して泣き始めた。 (……あいつらっっっ!) 薫の頭に一気に血がのぼる。あのゲス野郎ども、俺の樹に何を……っ。 「今のヤツらだな‍? 樹! ああっ、くそっ」 こんなことになっているなんて気づかなかった。樹がトイレであいつらに襲われているのに、自分はのほほんとその外で待っていたのだ。しかも、知らずにあいつらをまんまと行かせてしまった。間抜けな自分にムカついて、薫は舌打ちすると思わず立ち上がりかけた。 「にいさんっっっ」 樹ががばっと顔をあげ、悲鳴のような声を絞り出す。 「やだっやだやだにいさっやだぁ!」 しゃくりあげ、涙声で喚きながら、腕を伸ばしてしがみついてきた。 中途半端な体勢で樹に縋りつかれて、薫はよろけてまた床に膝をつく。しがみつく樹の細い指が、腕にぎりぎりと食い込んできた。 樹はガタガタと震えている。 「樹……っ」 薫は、唸るように樹の名を呼んで、その華奢な身体を抱き竦めた。強く強く、抱き締める。 その身体の震えを、止めてやりたくて。 (……1人に、するんじゃなかった。1人で、行かせるべきじゃなかった。俺がちゃんとついて来てやればよかったんだ。こんな……こんな怖い思いをさせてしまうなんて) 思っても仕方がない後悔に、胸が締め付けられる。樹に理不尽なことをしたあの男たちへの憎悪に、胸の奥がどす黒く染まる。 あんなにも楽しそうに、幸せそうに、笑っていたのだ。 ついさっきまで。 それが今は、可哀想なほど震えて、泣きじゃくっている。 (……俺の、大切な、樹が) 薫は床に完全に尻をつき、樹の身体をすっぽりと包み込むようにして抱きかかえた。 自分の身体で、樹を全て覆ってやりたかった。肝心な時に助けてやれなかった自分への歯痒さに、ぎりっと歯を食いしばる。 (……樹……ごめんな。ごめんな、樹……樹……) 「樹……少し落ち着いたか‍?」 怖がらせないように、そっと声をかける。 さっき、腕を伸ばしてドアのロックボタンを押した動きだけで、樹は可哀想なくらい怯えたのだ。あれから随分時間も経って、身体の震えも声を殺して泣きじゃくるのも、だいぶおさまってはきたが。 しがみつく身体を少しだけ離して、顔を覗き込もうとしたが、樹は細い指で食い込むぐらい腕を掴み締めて、激しくいやいやをした。 「樹。ここから出て、どこか落ち着ける場所に行こう‍?」 既に何回か、このトイレを使いたい客が、ドアをノックしていた。あまり長時間閉じこもっていると、店の人間や警備員を呼ばれるかもしれない。 樹は騒ぎになったら、余計にショックを受けるだろう。なるべく人目につかないように、樹を連れて帰りたい。 「なあ‍?樹。俺の上着を貸してやるから。とにかくここを出よう‍?」 樹は黙って首を横に振る。 「でもずっとここに居たら、人が集まって来てしまうぞ‍?」 薫の言葉に、樹がぴくんと震えた。 「このトイレを、いつまでも占領していたら不審に思われる。……わかるよな‍?」 なるべく穏やかに説得すると、樹はそれでもしばらくじっとしていたが、やがて諦めたように、手の力をゆるめた。 「いい子だ。立てるか‍?」 樹は微かに頷いて、薫から手を離した。薫はなるべく怯えさせないように、そっと樹の身体を支えながら、自分も立ち上がった。 深く俯いたまま肌蹴た前を手で隠している樹に、薫は自分の上着を脱いで、素早く羽織らせてやった。 樹はその大きすぎる上着の前を、まるで抱き締めるようにして再び縮こまる。 (……荷物は……持ってきている。だが一旦レーンに戻って精算してしまわないと) 本当ならば、戻って来た樹と、もう1ゲームするはずだったのだ。樹はきっとすごく楽しげに過ごしただろう。こんなことさえ、起きなければ。 (……怪我は……していないのか‍?あいつらに……何をされた‍?) 樹の顔色を確かめて、もし怪我をしているのなら、病院に連れて行ってやりたい。だが、今の状態の樹にそれを言っても、きっと激しく拒絶するだけだ。 (……とにかく……ここを出よう。車に乗せて……アパートへ連れて帰ろう) 「樹。歩けるか‍? それとも、兄さん、おんぶしてやるか‍?」 樹は相変わらず俯いたまま、首を横に振って 「帰りたい……」 やっと聞こえるような掠れ声で、囁いた。 その声に、胸がぎゅっと締め付けられる。 薫は顔を歪め、そーっと腕を伸ばして、樹の身体をふんわりと抱き締めた。 「ごめんな……樹」 樹は身体を強ばらせたが、腕の中でじっとしている。 「……兄さん……悪くない、から」 震える掠れ声で小さく呟く。 「行こう。ここの会計を済ませて、車に乗って、アパートに帰ろうな」 樹はぐすっと鼻を啜って、こくん……と頷いた。

ともだちにシェアしよう!