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隠れ月11
薫のジャケットで上半身をすっぽり隠して、樹はずっと後ろにぴっとりとくっついて歩いていた。
会計を済ませ、破れた服の代わりを買うかと尋ねても、黙って激しく首を横に振る樹を連れて、足早に駐車場へ向かう。
車に乗っても、樹はジャケットの前をぎゅっと掴んだまま、深く俯いていた。
薫は運転しながら、病院に行くかと尋ねたが、樹は黙って首を横に振るだけで、顔を上げない。
重苦しい沈黙のまま、薫はアパートへと車を走らせた。
行きの車の中で味わった、うきうきとした高揚感は、跡形もなく消えてしまっていた。
アパートの部屋に入ると、樹は部屋の隅のソファーにへたり込むように座って、項垂れたまま動かなくなった。
何をどう声を掛けていいのか言葉が見つからず、薫はそっと台所に向かった。
やかんに火をかけてお湯を沸かす。棚から、樹の為に買っておいたココアの袋を取り出した。
少し落ち着いたら、何があったのか話を聞かなければ。
樹は嫌がるだろうが、聞かないわけにはいかない。
あの男が出てきた時に、自分に向かって吐き捨てた言葉を、今頃になって思い出した。
「このホモ野郎」そう言ったのだ、あの男は。
樹はどこから見ても女の子の格好だった。だから多分あいつらは、樹を女の子だと思って襲ったのだ。
……とすれば、最悪なことにはきっとなっていない。服を破られて、酷く怖い思いはしただろうが、恐らく……それ以上の行為はされていないはずだ。
薫は大きくため息を吐き出して、流しに手をついた。
突然のことで、自分もかなり動揺していた。
大丈夫だ。樹は男の子だ。
身体を悪戯されてはいない。
お湯が沸騰して、やかんがピーっと音をたてた。火を止めて、樹の為に少し甘めのココアを作る。自分用には粉のコーヒーをいれて、カップを持って部屋に戻った。
樹はさっきと同じ場所で、まるで人形のように動かない。
「樹。ココアをいれたぞ」
静かに声を掛けてみる。樹は少しだけ身じろぎしたが、俯いたままだ。
薫はカップを机に置いて、樹の側へゆっくりと歩いていった。すぐ前でしゃがみ込んで
「なあ、樹。何があったか……話してくれるか?」
薫の問いかけに、樹は反応しなかった。自分で自分を抱き締めるようにして縮こまっている。
薫はしばらく黙って、樹の様子を見守った。辛抱強く待ってから、もう1度声を掛ける。
「樹。何があったか……」
「ごめんなさい」
掠れた小さな声が、薫の言葉を遮る。
「ごめん……なさい。せっかく、連れて行って、くれたのに」
「おまえが謝ることじゃないよ」
「ごめんなさい」
樹はこちらの声が聞こえていないみたいに、謝罪の言葉を繰り返した。
「樹。謝らなくていい。何があったのか、兄さんに教えてくれ」
しばらくの沈黙の後、樹は少しだけ頭をあげて
「トイレ、出ようと、したら、男の人が、入って来て」
「うん」
「口……口塞がれて……後ろから、動けなく、されて」
樹の声が震えている。薫は手を伸ばして、樹の手にそっと触れた。
「服を脱がされそうになったんだな? 殴られたりは、してないのか?」
樹は黙ってこくんと頷く。
「あいつらは、おまえが女の子だと思って、襲ってきたんだ。服を破られただけか? 本当に暴力は受けていないんだな?」
樹の身体が不意に震えた。
こくこくと頷きながら、ふぅぅく……と震えるような声を漏らす。
薫は樹の手を両手で包み込み
「怖かったな。ごめんな」
「に、さん、悪く、ない」
「顔、あげてくれ、樹」
樹はひっくひっくとしゃくりあげながら、のろのろと顔をあげた。うさぎのように泣き腫らして真っ赤の目が、薫を見つめる。
ようやく顔を見れた。
薫は腕を伸ばして、樹の頭を抱き寄せた。
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