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月の舟・星の海3

シャワーを浴びるだけなら、そろそろ出てくるだろうと見当をつけて、パスタを茹でてしまった。買い置きのミートソースの缶詰を温め、茹で上がったパスタにたっぷりとかける。 薫は奥の浴室のドアを見つめた。微かな水音は聴こえてくる。樹はなかなか出て来ない。 (……いくら何でも……長くないか‍?) 薫は首を傾げ、浴室へと向かった。 さっきの樹の能面のような表情が気になっていた。急にガラリと雰囲気が変わってしまったのも。 (……思い出して気分が悪くなっているのか‍? もしかしてまた、泣いている‍?) ドアノブに手をかけ、一瞬躊躇してから、薫は思い切ってドアを開けた。 「樹。大丈夫か‍?」 なるべく驚かさないように声をかけたつもりだったが、樹はぴょこんっと音が聞こえそうなほど飛び上がった。弾みで手に持っていたスポンジが、弧を描いて床に落ちる。 「あ、あ。すまん。びっくりさせ」 「にいさんっ」 樹は上擦った声でこちらの言葉を遮ると、くるっと背を向けて 「あっち、行ってよっ。なんで、入って来るんだよっ」 浴室に樹の悲鳴のような声が響いて、薫は息を飲んだ。 驚いたり嫌がったりするかも ‍?とは思ったが、そんな反応は予想外だった。 さっきは、自分の前で堂々と素っ裸で歩いていたのに。 「あー……悪い。あんまり遅いから、おまえ具合が……」 樹はくるっと首だけこちらを向いて 「いいから、出てってよっ」 怒鳴る樹の目が、さっきより 真っ赤だ。……というか、真っ赤なのは目だけじゃなかった。薫は目を見張り、出て行くどころか樹につかつかと歩み寄った。 「首のところ、どうしたんだ‍? やっぱり怪我してるんじゃないかっ」 樹の激しい動揺が移ったのか、思ったより大きなキツい声になった。樹は一瞬、怯んだような顔になり、浴槽の中でじりっと後ずさる。 樹の首が真っ赤になっている。いや、首だけじゃない。腕もだ。 薫は怯えたような樹の様子に構わず、近寄って腕を伸ばした。 「見せてみろ。どうしたんだ、これ」 さっき樹の全身を見た時には気づかなかった。あの時は、見ないように咄嗟に目を逸らしていたが、こんなに真っ赤だったら気づいたはずだ。 「触らないでっ!」 樹が叫んで縮こまった。薫ははっとして、伸ばしかけた手を止める。 (……どうしてこんな……。樹が自分でやったのか‍?) 薫は床に落ちたスポンジに目を落とした。 樹の腕や首の赤み、あれは傷ではない。何かで強く擦ったような跡だ。 (……擦っていたのか。あんなに真っ赤になるほど‍? ……それも、泣きながら‍?) 身体の小さな樹が、浴槽で更に縮こまっている。まるで消えてなくなりたい、とでもいうように。 薫は混乱しながら、浴槽の樹に再び手を伸ばした。 「なあ、樹。どうしたんだ‍? 何があった‍のか、兄さんに話してくれないか‍?」 大きな声にならぬよう、詰問口調にならぬよう、穏やかに優しく声をかける。 躊躇いながら、そっと頭に触れてみた。樹はぴくりとも動かず、何も答えない。 薫は屈みこみながら、指先でそっとそっと何度も髪を撫でた。 「樹。おまえが辛いと、俺も辛い。頼む。教えておくれ」 あんなことがあってショックを受けただろうと思って、あまりしつこくそのことには触れないようにしていた。 でもその気遣いは、間違っていたのかもしれない。 樹は自分で抱え込んでしまう性格だ。そっと独りにしておくよりも、多少辛くても、吐き出させてしまった方がいいのかもしれない。

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