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月の舟・星の海4

「僕、汚い、から」 不意に樹のくぐもった声が聞こえた。 「え‍?」 「汚い、から。あ……洗わないと」 聞き返した薫に、樹はさっきよりはっきりと答えた。 「汚い‍?」 樹は俯いたまま、こくんと首を振り 「触られ、ちゃったし、首とか、舐められた、から」 薫は微かに息を飲み、目を見開いた。 (……触られた‍?舐められた……‍?) 一瞬、何のことだか分からなかったが、すぐに気づいた。 (……あいつらのことだ) 「樹」 「汚くなった、から、綺麗にしないと。兄さんに、移っちゃう」 薫は身を乗り出して、樹の肩に両手を置いた。 「舐められたって……あいつらにか‍?」 樹はきゅっと首を竦めながら頷く。 薫はちょっと絶句して、樹の柔らかい髪の毛を見つめた。 (……首を舐められて、汚れたから……だからそんなに真っ赤になるまで擦った……のか‍? 移る‍? 俺に‍? そんな馬鹿な。 ……おまえ、何を言って……) 悪戯目的で女の子だと思った樹を襲ったのなら、当然、性的な行為をするつもりだったろう。 首を舐められたのか。 だから洗ったのか。 触られた場所全部、綺麗にしようとして擦ったのか。 気持ち悪かっただろうから、それはよく分かる。 だが…… 皮膚が真っ赤になるまで擦るのはやり過ぎだ。それに、自分に移ってしまうという発想も。 (……それだけ、ショックだったのか) 樹の行動はちょっと過剰だ。でも、この年頃の少年は、性的なものに対して、好奇心と同時に激しい嫌悪感を抱いたりもする。要するに潔癖なのだ。 状況は違うが、自分にも身に覚えはあった。 薫は、樹の不可解な行動の理由が分かって、少しほっとした。 「樹。顔をあげてごらん」 穏やかにそう言って、促すように肩をそっと揺する。樹は無言でいやいやをした。 「顔をあげて、俺の目を見て‍?」 優しく繰り返す。樹はそれでもしばらく項垂れていたが、やがてそろそろと顔をあげた。 樹の目が、また涙に濡れていて、薫はちょっとせつなくなった。 「いい子だな、樹。兄さんの言うこと、ちゃんと目を見て聞いてくれな‍?」 樹は眉を寄せ、また俯きかけたが、思い直して顔をあげた。薫は泣き濡れた樹の目に穏やかに微笑みかけて 「おまえは、汚れてない」 樹はすかさず首を横に振った。 「汚れてるのは、あの男たちの心だ。触られたって、舐められたって、おまえは汚れないよ。移ったりなんか絶対にしない」 樹の目が大きくなる。薫は微笑みながら力強く頷いて 「無理やり触られて舐められて、すごく気持ち悪かったよな。でも俺の樹は心が綺麗だから、あんなやつらに汚されたりはしないんだ。分かるか‍?」 樹の目が更に見開かれる。 薫はしゃがみ込んで、樹と同じ目線になると 「そんなになるまで擦らなくても、俺に洗ってって言ってくれればよかったんだぞ。俺が軽く擦ったら、そんなもの1発で綺麗になる。おまえのことが大好きな、俺のこの手で洗えばな」 言いながら、自分の手を樹の前に差し出すと、樹の大きな目がくしゃっと歪んだ。

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