54 / 140

新居、決めました篇 5 下半身センサー

 すげぇ寂しそうな顔してた。っていうか、させた。夜、うちに来たいって言ったのを断ったから。  でも、会わせるわけにはいかない。  豪は本当に女好きだから。女っていうか、ようは下半身で物事判断してんだろってくらいに、バカだから、あの人を見て反応しないわけがない。ゲイじゃない俺が普通に落ちたんだ。男だって、年上で上司だってわかってんのに、襲い掛かってた。俺でさえ制御できなかったんだ。 「あー、今度? いいよ。っていうか、けっこうアグレッシブだね。すーちゃん」 「……」  この下半身バカが制御できるわけがない。誰だ、すーちゃんって。お前、日本に帰国して早々もう女作ってんのか? 就職活動どうしたんだよ。ヒモにでも就職する気か? 企業面接受けずに、ヒモ面接か? 「おい」 「えー? いやぁ、部屋は無理かも、今、居候だから。違う違う! 兄貴! 彼女なんているわけないじゃん」 「おいっ!」  でかい声を出すと、顔の前に掌を立てて「ごめん」って顔だけで謝ってる。そこに俺がどついたら、お前は自分で自分の顔にチョップすることになるんだな。やってやろうか。 「はーい、そんじゃねー、またねー」  本気で体当たりしてやろうかと思ったところで電話が終わった。 「はぁ、兄貴、あんがと。ちょうどのタイミングででかい声出してくれたから、すーちゃんに相手が男って納得してもらえ……あ、なっちゃんだ」 「おい!」  本当にアホなんじゃねぇの? 女のほうもなんでこんなバカに引っ掛かるんだ。バカなのか? ヘラヘラ笑いながら、今度は電話をしていた相手とは別の女にものすごい速さでメッセージを返していく。下半身バカ頭、って名前に改名したほうがいいじゃないのか? って本気で思うほど、自分の弟のバカさ加減に呆れる。 「ここに女連れ込んだら、即追い出すからな」 「……」 「おい、聞いてんのか?」  そんなことしてみろ。今、このきつい言い方が要にあんなことをさせた苛立ちから来る八つ当たりだとしても、即追い出す。二月でたとえ極寒だろうが深夜でも早朝でも、追い出す。 「女を連れ込んだ形跡があっても」 「なぁ、兄貴、兄貴の恋人って、男?」 「……」 「今日さ、居候の身としては家のこととかしないと、追い出されっかもって思って飯くらい作らないとかなぁとか思ったりもして、んで」  豪が、うーん、って難しい顔をして推理探偵のように顎に手を置く。 「キッチンに何気にマグがペアであるし。洗面所には歯ブラシ二本あるし」  あるだろ、そりゃ。要がうちに泊まりに来る回数のほうが多いんだから。うちのほうが狭いけど、ふたりでずっとくっ付いてるから狭いとかあまりに気にならないし、昨日みたいに着替えが乾いてなくても、うちなら要はでかいサイズをダボつかせながら着れば済む話で、むしろ、生足に俺の服とか着て、下を履かせずにいるのとか楽しいし、って、今そんな美味そうな生足を思い出してる場合じゃなくて。っていうか、それを即想像するあたりが即物っつうか、豪と兄弟だなって思ってみたりもして。 「誰かここに半同棲している気配はすんだけどさぁ、でも、服が男のばっかで、でも、その男物が若干サイズ小さくねぇ? っていうのがあったりもして。しかも、そのサイズの小さいのだけが、ひとまとまりにされてるし」  そりゃ、そうだろ。だって、ひと回り小さいのは全て俺用じゃなくて、要専用なんだから。 「だから、相手、男なのかなぁって」 「……そんなわけあるか」 「えー? そう? でも、歯ブラシは? 緑と青が二本あるのはなんで? そこは普通女子カラーでしょ。あと、マグカップは?」 「うるせぇ」  なんで、そんなことだけは素早いんだ、てめぇは。いつものんびり、超マイペースなくせに、歯ブラシに即座に反応って。いらねぇよ。 「俺、そういう性別全然気にしないよ? 向こうでもゲイの友達いっぱいいたし、ほら、惹かれ合うのって、フィーリングじゃん?」  たいそうなことを言ってるように見せかけておいて、惹かれ合うのがフィーリングって、お前の場合は下半身が反応するかどうかっていう意味のフィーリングだろうが。 「いねぇよ」 「えー?」  絶対に、絶対に、本当に、こいつに要のことを教えるわけにはいかない。死守しねぇと、こいつがターゲットを見つけた時の速さとか想像もつかない。だから、絶対に教えてはいけない。 「それより、ここに女を」 「はーい」 「連れ込んだら」 「即追い出される」 「……風呂入ってくる」  スマホをしっかりと握り締め、風呂場へと向かった。いつもはテーブルの上だが、こいつがここにいる間は絶対に肌身離さず持ってねぇと危なくて仕方がない。 「くそ……」  これじゃ、要から電話がかかってきたとしても、出れないだろ。そうわかって、思わずぼやきながら、急に邪魔に感じられた前髪を無造作にかき上げた。  結局、昨夜、要から電話が来ることはなかった。本当に遠出だったらしいから、帰りが遅くなったんだろ。俺は、ムカつく居候のせいで寝ても寝た気がしない夜だった。そして寝不足になった俺はどこかボーっとしていて、パスケースを忘れた。最悪。定期がないって、改札んところで気がついたけどもう遅い。たぶん、あそこだ。帰って来て、あのバカ弟に文句を言った時。恋人は男かって訊かれて、動揺しながらパスケースをテーブルに出したような記憶がある。 「庄司さぁん、来客です」  ような、ないような。 「来客?」  今日、誰かと会社で打ち合わせをするような予定は入っていない。もちろん、誰かが訪れるような予定も。でも外に、誰かがアポなしで来ているって言われて、数秒後に慌てて立ち上がった。 「ちょっと外出ます」 「はぁい。いってらっしゃい」  あいつだろ。あのバカ。 「おーい、兄貴」  このバカしかいないだろ。ダウンにカーゴパンツにブーツ、ふわふわの茶髪はどう見たって会社員には見えない。大学生が楽しそうに笑顔で手を振っている。 「パスケース忘れてた」  いらねぇよ。わざわざ届けに来て、帰りまたお前の電車賃がかかるくらいなら、俺がパスケースなしで帰るのも大差ないだろうが。 「ありがと。それじゃ」 「え? ちょ、もう帰らせんの?」 「は? 仕事中だ」 「えぇ? ちょ、そろそろランチじゃん」  ねぇよ、バカ。追い払って急いで戻らないと、明日には一泊の出張だってあって、仕事が詰まってるし、その仕事に追われてこっちはまだロクに要と会話をしてないんだ。 「ひとりで食え、小遣いやるから」 「お金はいいから、俺は久しぶりの兄弟トークを」 「いらねぇよ!」  必死に食い下がろうとする豪の背中をどついて、そのままどうにかして強引に追い返した。  あいつ、何か勘付いてるのか? 下半身で物事考えるような奴だから、まさか歯ブラシとマグカップで相手が同じ会社って気がついたのかよ。  もし、もしもそうなら、本当に隠さないと。 「庄司? あの、誰か、来てたのか?」  この人のことは絶対に隠しておかないと。

ともだちにシェアしよう!