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アンソニーとマリー編 2 アンソニーとマリー
「要の振り幅、ハンパねぇよな」
「?」
本人は本当にわかってないし、あの馬鹿息子のことなんてこれっぽっちも心配してないんだろ。危機感なんてゼロだ。なんで、こんなにエロいくせして、防衛本能ないんだよ。今だって、なんも知らないあどけない感じにきょとんとしやがって。
パイパンを気にしすぎて、パイパンもののアダルト動画で研究しようとするド天然課長は今日だって、ニッコニッコで笑って馬鹿ドラ息子に直々のOJTをしてやっていた。けど、まぁ、今日はボールペン折らずに済んだな。
「天然のくせして、かわす時はかわすだろ?」
「……見てたのか?」
「そりゃね。あんたとふたりっきりになりたくて、資料のコピーすんのトチったのなんて丸わかりだ。あ、この映画は?」
要はニコリと笑って、俺の差し出したディスクを手に取った。そして、怪訝な顔でそのパッケージと睨めっこを始めた。手渡したのは去年大ヒットした映画の完全パクリB級映画。本物のほうはカーチェイスが売りのアクション映画で、主人公の俳優がイケメンだと話題になっていた。そして、今、要が見てるのは、同じ真っ赤なスポーツカーに、まさにB級らしい顔立ちの見知らぬマッチョ男性の仁王立ち写真。
アクションモノはそんなに興味がない要は、そのイケメン俳優に今夢中の荒井さんに見せられた画像と、脳内で見比べてるんだろ。こんな顔立ちだっただろうかと、首を傾げている。
「もしも、あんたに触れようとしたら、ブン殴るところだった」
「……」
「なんだよ」
驚いた顔をして俺を見つめてた。
「……だって、面倒くさがりの高雄が」
そうだな。なんだっけ? 社長から遠すぎてただの他人だが、それでも、ブン殴れば大問題だ。それこそ面倒事でしかない。けど。
「あんたに関わることとなったら別なんだよ」
「……」
「ほら、何借りんの?」
「あ、うん。えっと」
本気で殴るつもりだった。いい加減にしろよって言うつもりでいた。でも、要は背後に忍び寄る、クソな手をスッとかわした。まるで、背後が見えてるみたいに一歩ズレて、その手をかわすと、ドラ息子へ明瞭にコピーを失敗しない手順、そして誤作動が起きた時の対処法を告げて、その場を立ち去った。だから、あのドラ息子のセクハラを目論む腕も、それを殴ろうとした俺の手も行き場を失った。
ぽやっとしてるようで、そうでもない。
「じゃあ、こっちのは?」
「へ?」
腕を引っ張って、連れ込んだのは暖簾の先。
「こっ、ここここっ!」
いわゆるお子様は見ちゃいけないものばかりが並ぶ場所。鬼の花織課長が昼休みに研究しようとした動画の類がびっしり並んでいる。
「ほら、こういうのとか」
「んなっ……な? ん? ろく、ろくじゅう……」
どこまで天然なわけ?
いぶかしげに見つめ、いかがわしい文章の中に突如出現した数字に戸惑っている。さて、これはなんの暗号なのだろう、なんて、この人なら本気で考えていそうだから、ヤバいんだ。
「シックスティナイン」
「し……」
「ほら、数字で書くと、丸が、人の頭で」
「……人のあた、っ! …………!」
想像したらしい。口を開けたまま、瞬間的に真っ赤になってそのまま茹ダコ状態になった。
ホント、すげぇ振り幅。あんなにベッドじゃエロい顔で、エロい身体で、俺のことを蕩けさせるくせに、たかがアダルトディスクひとつでしどろもどろになる。
清純そうなようで、俺の腕の中でひどく乱れて悦ぶスケベ。
「な、なんと……」
いや、キャラ変わってるから。何、「なんと」って。可愛すぎだろ。
「今度、してみる? 俺は大歓迎だけど?」
「んなっ! な、な、な」
クスッと笑って、真っ赤なタコになったまま戻らなくなった要をそこに置いて、本当にこのあと二人で見るための映画を探すことにした。あのドラ息子のせいでたまったストレスを発散できて、そんであんたが楽しめるのがいい。そうだな。そしたら――。
「まったく、高雄はすぐに人をからかって」
「なぁ、要、映画、これにしようぜ」
「え? ぇ…………えぇ」
パッケージを見るなり、さっき茹でダコのように真っ赤だった要が、今度は真っ青になって、ものすごく険しい顔をしていた。
「う、うぅ、うっ……」
今日はピザにサラダにスパークリングワイン、それと、ソーセージの盛り合わせ。夕食作りはさぼって、週末の晩酌を楽しんでる。
このあと、風呂入って、そのあとは。
「ううううううっ」
「泣きすぎ。要」
借りてきたのは要の大の苦手なホラー映画だった。しかもパッケージにはおどろおどしい外見をしたゾンビどもがのた打ち回ってる。一見したら、もうガッツリホラーでしかないけど。
「アンソニー!」
けど、中身は、実はものすごい純愛もの。ゾンビになったアンソニーは、最愛の恋人をゾンビにさせないため、必死に仲間であるはずのゾンビと戦いながら、人間たちが作った避難所へと向かう。けれど、恋人、マリーはアンソニーと一緒にいるため、ゾンビになりたいと願って。
まぁ、すれ違いの行き違いが続けざまに起こる、じれったいラブストーリーだ。
「どうしよう! 高雄っ」
それを見て、要が大号泣してた。
まさかそこまで泣いて嵌るとは思ってなかったから、俺は思わぬ収穫として、スパークリングワインを飲みながら要の涙を堪能してた。
「ああ、アンソニーがっ」
今、ちょうど、ゾンビアンソニーが抱き締めてとねだるマリーに手を……。
「うううっ」
そりゃ、そうだ。普通に考えて、人間であるマリーが幸せになれる道を選ぶだろ。愛してるなら、その手を突き離して、仲間のいる避難所へと置いていくのが正解だ。ゾンビになんてしたくない。かといって、人間のままゾンビの中に紛れ込んではいられない。なら、選ぶ道はひとつしかない。
そして、ラスト、エンディングにアンソニーが選んだのは、一緒にいた時間だけを糧にして、人も殺さず、襲わず、ただ、人から遠い場所へ逃げ続けて、命が尽きるまで。尽きないのなら、歩き続けるというものだった。
それが、最善だ。
普通はそういうもんだろ。
って、前に、似たようなことがあったな。そういえば。俺のことを考えて、会社のことを考えて、あんたはどっかの御曹司の愛人になれと言われたっけ。
あの時の要は自分を犠牲にしてた。
けど、今のあんたなら、どうする?
「要」
俺なら、あんた欲しさに、ゾンビにするかもな。落ちたいと、地の底に落ちたいとあんたが言ったなら、一緒にいたい俺は、そのままふたりで落ちてた。
あんたのうなじに噛み付いて、ゾンビにしてしまう。
「泣きすぎ」
「ん……だって」
号泣して、唇を噛んでたから、真っ赤になっていた。その唇にキスをすると少し涙の味がする。切ない味が。
「だって、アンソニーが」
この人を独り占めできるのなら、たとえ不幸だろうと俺はかまわない。そう、思った。
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