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アンソニーとマリー編 4 君は斜め上

「俺! 好きなんです! 庄司さんのことが」 「ちょ、は?」  目を潤ませて、真っ赤になりながら、何言ってんだ? このドラ息子は。 「前に、パーティーで見かけた時からずっと、好きだったんす!」 「お、おい」  じりじり距離を詰めるんじゃねぇよ。 「ちょ、お前が落としたいっつってたのって、花」 「庄司さんのことです!」  その瞬間、ドラ息子の絶叫がまるで除夜の鐘のように、頭の中に、ごおおおおおん、と響き渡った。 「まっ」  マジか。マジで言ってんのか? っていうか、普通に予想外すぎるだろ。だって、どう見たって、こいつは要のことを狙ってるとしか見えなかったぞ? それがなんで、俺なんだよ。 「一目惚れでした! そんで、ここの営業にいるって聞いて、親に頼んで、二週間社会人経験だっつって。けど! 入ってみたら、なんか、その課長とラブラブって聞いて。しかもあのカチョー、俺が庄司さんとこにいかないようにって、ぴったりマークしてきて。だから、対決してたんすけど」 「はい?」  マーク? じゃ、あいつがずっと優しく教えてたのって。 「課長より俺のほうが好きです! 俺は! 本当に!」  おい。おいおい、おい。なんでネクタイ緩めるんだ。シャツのボタンを外そうとしてんだ。 「ま、待て」 「庄司さん、俺を大人に」  ベルトを外そうとすんじゃねぇよ。ここ職場だぞ。そんでもって、ここはコピー室で。 「だから、待てって」 「俺をもらって」 「誰がやるかああああ!」  次の絶叫に、今度は鐘を頭に被せたまんま打ち鳴らされたのかと思うほどの耳鳴りがした。 「課長!」  そこには、仁王立ちで、息を切らして、本当に鬼みたいな顔をした要が立っていた。そんで、コピー室の中には思考が追いつかずパニックになったまま、にじり寄られて、壁際に追い込まれた俺と、半裸のドラ息子。  どう見たってヤバイ状況だ。 「か、要!」 「水村君……」  あ、マジで、ヤバい……かも。あんな顔をした要はそうそう見かけない。デレデレに砂糖菓子みたいに甘くて、生クリームみたいにトロトロな要じゃなくて、皆が恐れおののく「鬼の花織課長」だ。目が、こえぇ。 「君は社長のいとこの奥様の妹の旦那さんの姉の、息子さんだ」  要が鬼の顔をして、けど、ご丁寧にちゃんとこのドラ息子の血縁を覚えてることにびっくりした。どこまでいっても真面目な要は眼鏡を指先でクイッと上げると、そのままドラ息子の目の前に立ちはだかった。  半裸のドラ息子は口を開けたまま、まだ、さっき鐘のごとく響き渡った要の声に放心状態だ。 「そしてここは職場。だから、ブン殴ることはしない。だが」  俺のネクタイを手綱のように、グンと引っ張って、そして、そのまま―― 「ここが職場じゃなかったら、君のことをブン殴っていた」 「かなっ、……っ」  そのまま奪われるようにキスされた。あの真面目な要がコピー室で、半裸のドラ息子の前で、舌を絡みつかせるディープでエロいキスを、した。 「庄司は、俺の、男だ」  その、予期せぬ、青天の霹靂に、俺も、ドラ息子もしばらくフリーズしていた。  あの常々マイペースなドラ息子がすげぇ固まってたな。しかも半裸で。まぁ、そだよな。いきなりあのクソ真面目な課長が部下に濃厚ディープキスかましたら、びっくりするだろ。  っていうか、要は本当に予測がつかない。常に俺の斜め上を突き抜けてくる。ホント、初っ端からあんたには驚かされっぱなしだ。 「おい、庄司、ここの見積もり、もう少し値段交渉をしておけと言っただろ。来週ちゃんと煮詰めとけよ」 「あ、はい」 「荒井君、申し訳ないが、この資料をコピーとあとメールにも添付したいから、スキャンを頼めるかな。あぁ、でももう終業時間だな。来週の月曜朝一で宜しく頼む」 「はーい」  まさか、キスをぶっちゅううううとかました直後、「シャツをしまえ、仕事中だぞ」と言って、淡々と仕事をする羽目になるとは思いもしなかった。何事も無かったかのように、普通に業務を進めるところが要らしくて、いつもどおり俺の予想外なところを攻めてくるから笑った。 「今日もお疲れ様。水村君も定時だから帰りなさい」 「ぁ……はい」 「あと一週間、宜しく」  午後、半裸になったドラ息子はそれからずっとどこかぽかんとしたままだった。  今も、ふわりと立ち上がり、社会人としてはどうかと思うけれど、無言でこの場を――。 「お、お疲れ様です!」  無言で帰るかと思った。けど、思い返したのか、数秒後、扉から顔を出し元気に挨拶をしてその場を去った。 「庄司、今日、田中は?」 「会社訪問から直帰です」 「島崎は?」 「打ち合わせで顧客のところです」 「山井は?」  言いながら、要が立ち上がり、今ちょうど顧客に渡す書類を作っていた俺の隣、プリンターの前へと歩いてくる。絨毯が足音を吸い込んで残りカスのような音だけが聞こえた。そのくらい、誰もいなくて静かな室内に俺と、要だけ。 「山井は、歯医者があるから直帰って言ってました。皆、いません」 「……そうか」 「……知ってたの?」  ふたりっきりだから、空気が恋人のそれに変わる。 「あの水村のこと」 「……あぁ、わかってた」 「すげぇな。俺、ちっとも気がつかなかった」 「そりゃそうだろう」  だから、俺が狙われてる自覚あるのかって言ったら笑って、そんなものいらないって言ったのか。俺はてっきり、無自覚で天然で鈍感な要のことだからわかってないんだとばかり思ってた。 「だが、俺にはわかる」  クスッと笑ってた。要が仕事モードをオフにした合図。俺って自分のことを言いながら笑って、今、コピーしたプリントを手に持つ。 「俺も、お前のこと、好きだからな」 「……」 「すぐにわかったよ」  照れてるのか、今、コピーしたばかりのプリントに不備ないかと確かめるため視線を自分の手元へと向けた。けど、それがフリなんだって、わかる。あんたはクソがつくほど真面目だから、出来上がった書類をすでにしっかり確認済みのはずだ。だから、視線を逸らしたのはただ照れただけ。ほら、耳が赤い。 「要……」  たまらない。  あんたのそういうこと、ホント、我慢できないくらい、好きだよ。 「かな、……」  キスしようと思ったのに。それは要の綺麗な手で防御された。ぶちゅっと激突するように唇の行く手を遮られてしまう。  ズルいだろ。あんたはさっき思いっきり俺にキスしただろうが。しかも、何だっけ、社長の……なんとかの、息子の目の前で。 「帰るぞ」 「……仕事は?」 「終わった! 今、プリントしただろ! それで今日の業務は完了だ! ほら、帰るぞ!」 「……」 「か、帰らない、のか?」  そいういうとこ。そういうきっちり真面目で、たまに砂糖菓子のように甘くて、生クリームのように蕩けてて、苺みたいに赤くて美味い、とこ。 「帰るよ。すぐにでも」  そういう斜め上を行く感じがすげぇ、たまらなく、好きだよ。

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