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初旅行篇 2 花織課長の偽者
「うわぁ、高雄、久しぶり」
付き合ってたのは去年の夏くらいまで。そのあと、色々なものが合わなかったため別れた。俺の四番目に付き合った彼女、さやかだ。
地味すぎず、派手すぎず。ちょうどほどよい感じで流行りもしっかり取り入れて、男受けも良さそうなところは全く変わっていない。
「……あぁ」
「一年ぶりくらい?」
「あぁ」
まさか元カノとここでばったり遭遇するとはな。
「うわぁ、あんま変わってないねぇ」
「さやかもな」
名前を呼んだら、ほんのりとだが頬を染めた。
「ありがと。あ、あのね、友だちと来てるんだぁ。ほら、あそこにいるふたり。今務めてる派遣会社のところで仲良くなってね。彼氏いない三人で旅行とかいいかもって」
「……へぇ」
さやかが指差した先には女がふたり立っていて、こっちを見ては様子を伺っていた。誰と来ているかなんてことは一切気にしてないし、気にするつもりもない。だから、彼氏が今いないことも知らないし、気にならない。彼氏でもなんでも、別に。
そんな俺のスタンスは無視して、女友だちに視線を送り、こっちへ呼ぼうとするから、飲みたかったお茶はとりあえず後でにして、林檎ジュースだけを持って要のところへ戻ろうと思った。
「高雄は? 高雄は彼女と来てるの?
「あ」
「高雄? どうした……?」
あぁそうだ。彼女と来ているから察して欲しいと言いたかったのに。ホント、あんたのタイミングはいつだって俺の予想外だな。
「あ……」
要を振り返った俺で隠れていて見えなかったのか、今、さやかを見つけて目を丸くしながら言葉を失っている。
「え? 高雄。旅行、彼女とじゃ」
「あ、な、なんだ、庄司。遅いから」
さやかの言葉に俺が返事をするよりも早く要が答えていた。
「迎えに……そちらの方は……あ、すみません。庄司の上司で、花織と申します」
「……ぇ? あ! はい! こちらこそすみません」
俺の上司として答えてる。
「今、社員旅行中だったんです。といってもほぼフリータイムでそれぞれ好きなところに言ってるんじゃないかな」
「あ、そうなんですか」
「えぇ、結局、社員旅行で重要なのは夜の宴会のほうみたいで」
要がにこやかに嘘をついていた。
「そっか、社員旅行なんですか。あ、そしたら、今もフリータイム、なんですか?」
「花織課長、そろそろ」
「え? こんなにお若いのに課長なんですか? すごいです! 高雄、さんの上司さん……えぇ、すごい」
「いえいえ」
「課長!」
いいから、別にそこまでしなくたっていいから、もう行こうぜ。そう言って、この場を俺から先に立ち去ろうと思った。そしたら、要はついてくるしかないし、さやかも追いかけてくることはないと思ったのに。
「あ、そしたら、私は先に降りてようか? 庄司」
「は?」
「私のことは気にすることないぞ。せっかくなんだから」
「は?」
あんた、一体何言ってんだ? テンパってるだろ。せっかくなんだからとか、せっかく初めての旅行なのに、これじゃ。
「あ! そ、そしたら、ご一緒にお茶なんて、いかがです? ぜひっ」
俺の口調が上司に対するものとは思えなかったんだろ。観光地には似つかわしくない、不穏な空気が漂ったと思って、さやかがいらない気を使った。そんなことをしたら、今、絶対にこの人は、こう言うんだ。
「お気遣いありがとうございます」
そう言って笑って、頷くんだ。
「花織さん、年上にはちっとも見えないです」
「そうですか? あはは、ありがとうございます」
きっと、あんたはどうしたらいいのか、加減がわからない。俺との関係を男女のそれみたいに言えないからと吐いた嘘をどの程度の大きさにすればいいのか、どこまで膨らませたら隠せるのかわからず、ずっと笑いながら困っている。
そんなことしなくていいのに。どうせ、荒井さんも山口も、営業部の人間全員俺たちのことは知ってるんだ。なんで今更隠す必要がある?
何、笑ってるんだよ。
「社員旅行なんですよね。いいなぁ、こんな方の下で働けるなんて。高雄も、なんだか雰囲気が」
さやかが「高雄」と、さんを付けずに呼んだことに、要の指先が反応してる。ピクンと跳ねて、「その呼び方はしないで」と訴えてる。
「彼、の……雰囲気、ですか?」
「えぇ、けっこう、面倒くさがりな人だったんです。でも、花織課長のお話を聞いてたらとても楽しそうだったから」
「あ……え、ぇ……」
なのに、顔には微塵も出さないで。ホント、あんたはどうしてこうなんだ。
「気さくな上司さんと働けて」
別に、そこでテンパる必要ないだろ。
無理して嘘ついて、隠して、笑って、上司の顔して。
「おい、要」
でも、テンパりすぎて、上司の顔、間違ってるぞ。
「え? ちょ、高雄、課長さんに、そんなっ」
「いいんだよ」
あんたは鬼の花織課長で、そんなヘラヘラ笑ったりするような、緩い課長キャラじゃないだろうが。山口が必死に作った見積書を五秒で突っ返して、ちゃんと仕事をしろと一喝。いつでも眉間の皺は百円玉くらいなら余裕で挟み込めそうな深さ。厳しい顔つき、するどい目付きをさらに効果的に見せる、無機質な眼鏡に、への字の口元。
「行くぞ、要」
「え? あ、庄司?」
「……高雄だ」
そんな辛そうな顔なんて、一切部下には見せない鬼の花織課長だろうが。
「いつもみたいに、高雄って呼べよ。要」
テンパって、その顔が作れず、恋人の顔のまんまでしかいられないなら、そのまま、嘘なんてつくなよ。
「悪いな。さやか。帰る」
え? と、呟く声が聞こえたけど、そんなのは気にもしないで、カフェから要を連れ出した。深みのあるコクが香るコーヒーなんて、あんたは好きじゃない。あんたが好きなのはミルクも砂糖もたっぷり入れたカフェオレなんだから。
「た、高雄っ!」
カフェを出て、真っ直ぐ、とりあえず歩いていく。大きなスーツケースに暇になったらと詰め込んだトランプもいらないし、服もいらない。
「高雄っ!」
「……なんだよ」
あんたといたいだけなんだから。暇なんてあるかよ。どこまでも天然で、ひとりで暴走したかと思えば、今度はいきなり人のことをブンブンと振り回すあんたといて、トランプする暇なんてわるわけがねぇだろ。
「高、雄っ」
手を引いて、さらって、名前を呼ぶから振り返ったのに。あんたは慌てて顔を隠したけどさ。見えたっつうの。
「あんた、ホント、何してんだ」
大粒の涙がボロッボロ落っこちるのが見えたっつうの。
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