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初旅行篇 3 彼の恋人

「要」  いつもみたいに呼んだ。たったそれだけのことで、そんなに切ない表情をして、見たことのない透明な雫を零す、自分から吐いた嘘に胸を痛くする。  俺が何かを言う前に、俺と昔の恋人のツーショットにダメージ食らって、傷ついて、テンパって。  社員旅行じゃない。あんたにとって人生初の旅行だろうが。  今、ここにいるのは上司じゃなくて、俺の恋人としてのあんただろうが。 「……た、っ……お」  言いたくなかったくせに。笑いたくなかったくせに。あんたはたまに呆れるほど不器用すぎて、愛しくなる。 「言えよ。要」 「っ」  屋外だとか、連休の観光地で人がわんさかいるとか、そんなにどうでもよくなるくらい。ここがどこだろうと関係なく、今すぐ、あんたのことを抱き締めたくなる。 「本音……」  嘘がクソがつくほど下手なあんたを。 「あ、の人は、高雄の恋人だった、女性か?」 「あぁ」 「綺麗で可愛らしい人だった。とても似合ってた」 「……」 「でも――」  もう夕方で、旅行客はそれぞれの宿に向かっているんだろう。滝のあった場所から降りてきてカフェでさやか達とお茶をしていた俺たちはまだ、宿にも行っていないけれど、ちらほら、浴衣姿で歩いているカップルもいた。そんな中で余計に目立っているんだろうが気にならない。 「でも、高雄の恋人は、俺だ。彼女じゃなくて、俺が今、高雄の恋人で、綺麗でも可愛くもないけれど、似合ってないかもしれないけれど」  あと、あんたは呆れるほど、自分のことをわかってない。 「たかっ!」  近づいて、涙を親指で強く拭ったら、目を丸くして驚いてた。男同士、片方が泣いていて、その涙をもうひとりの男が指先で拭う。どう見たって上司と部下、どころか友人にも見えないだろ。  見開いた拍子にポロリと零れ落ちた涙の雫。よく泣くくせに、強がりで平気なふりをするのが癖になってる、面倒で、愛しい年上の男。 「あんたは綺麗で可愛いよ」 「っ」 「ずっと、そう思ってる」  泣くくらいなら最初からワガママになればいいのに。ひとりで空回りするのが本当に得意なのに、どうして、仕事じゃあんなにてきぱきなんでもできるんだよ。 「他には?」  こうやって、せっつかないと自分からは手を広げない。手を広げることも、手を伸ばすことも、そのやり方をこの人は知らないんだ。ホント――。 「高雄は今、俺の恋人だって、言いたかった。誰にも、今の高雄は」  ホント、誰にも、どこにもやりたくないくらい、面倒なこの人が愛しい。 「お食事はお外ということでしたが、もう行かれますか? お客様がお帰りの時間になるまでにお部屋のほうにお布団を」  話なんてほぼ聞いてなかった。風邪でも引いたみたいに、高熱にボーっとしている時みたいに、目の前にいるフロントスタッフの話が右から左へ流れていく。それよりも、背後にいる、座って俺を待つ要のことしか頭にない。  チェックインを済ませている間、ロビーのソファに座って、窓の外を眺めてぼんやりしている。木々に囲まれた、静かな高級旅館。でも、あの瞳には庭師が綺麗に整えたんだろう木々の景観、なんて写ってない。 「要、部屋行こう」 「……」  その泣き腫らして真っ赤にしなった瞼で、外を眺めながら、何を考えてる? 「……高雄」  俺のことだったら、たまらなく嬉しい、なんて思いながら、俺は要を眺めていた。  部屋は離れになっていて、それぞれが石畳の道一本で本館に繋がっている。完全個室で、そりゃ高いだろうなって思えるほど、何かもが上等だった。玄関からして、そして、そこ飾られたオブジェも、本館から続く小道で眺めて楽しむ景色も、全て、上質で、要にぴったりだった。  上品で、高級で、最高。 「ンっ高雄っ……ン、ふっ、ンンっ」  そんな男が道端で泣いて、俺を欲しがった。自分が恋人なんだと、言いたくて、ひとりで慌てて戸惑って、躊躇って。 「ンン、高雄っ、ぁっあぁ」  首筋に強く吸い付くと甘い声が鈴の音みたいに綺麗に響く。でも、まだ、部屋に行ってない。玄関先で要を捕まえたまま。 「待っ」 「何? 要」 「泣いたりして、ひどい顔、してないか?」 「……」 「さっき、あぁ、なんてバカなことをしたんだろうって後悔してた」  昔の恋人を見てしまって、ショックで動転した。荒井さんからその存在は聞いていたのに、それでも目の当たりしたら、心臓が止まって、何も考えられなくなった。そして、昔の自分が身につけた身を守るための嘘と距離感を体が勝手にやり始めて、そしたら、止まらなかった。傷つかないように笑いながら、皆から遠くに行って、目立たないように流れに身を任せて。 「あぁ、バカだ。もう、昔みたいな方法じゃ、無理だろ?」 「え?」 「普通に傷ついただろ?」  今までなら、その方法で守れたはずの自分が、今はもう守れない。逆に痛くて仕方がないだけだったろ? どうしてわかったんだと、そんなに目を見開いて驚くことじゃない。あんたほどわかりにくくて、わかりやすい奴なんて、他にどこを探しても見つけられそうもない。 「今の要はもう昔とは違うんだ」  人を好きにならないでいた頃の要とは、もう、違う。 「ひとりで勝手に突っ走らないでくれ」 「……高雄」 「ちゃんと、俺の隣に」  俺を好きになって、恋を知ったあんたはもう昔みたいにはなれないよ。 「もしくは、ここに、いてくれ」  力いっぱい抱き締めると、甘い声が俺の名前を呼んでくれた。 「ン、んふっ……ん、たか、おっ」  キスをしたら、柔らかくてやらしい舌が俺を捕まえて、瑞々しい音を立ててた。 「高雄っ」  要の白い腕が俺の首を引き寄せて、もっと、って切なげな瞳でキスの先を欲しがってた。

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