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初旅行篇 7 ウソ? じゃない!

 要が家族以外とした初めての旅行、だったのにな。  まさか、元カノにこんな観光地で会うとは思いもしなかった。日常の中で遭遇するのならまだありえるだろうけど、どうしてここで会うんだよ。連休で行きたい場所なんていくらでもあるだろうに。  要にとっては、最悪、の旅行だったかもな。湯葉料理食えてないし。 「……  自分の手にぶら下げたコンビニの袋を見て、溜め息がひとつ零れた。宿戻ってすぐ衝動的に押し倒したまんま、抑えがきかなくて、ずっと抱いてた。  アホだ。  割烹どころか、夕飯も食わずに、手放せなかったなんて。俺はどこの盛りのついたガキだよ。  バカだ。  なんで温泉旅行に来ておいて、夕飯がコンビニのサンドイッチとおにぎりなんだっつうの。 「高雄っ!」  要の、初めての旅行だったのに。  部屋の戻ると、要が昼間着ていた服の上だけで、玄関へと飛び出してきた。 「か、要? おい、どうし」  そして、飛び出してきた勢いのまま俺に抱きついて。要は華奢でも男だから、抱き疲れた勢いで、倒れないようにコンビニ袋を放って受け止めた。背中に手を回すと、要の腕がぎゅっと抱きついて、柔らかい黒髪が俺の首筋をくすぐる。 「……どこに行ったのかと」  きつく抱きついてるから、要の甘く低い声が俺の内側から聞こえてくるみたいで、それもくすぐったい。 「もしかして、元カノと夜遊びでもしてるかと思った?」 「……」  そこで、腕の力を強めるなよ。息、できないだろ。 「するわけねぇじゃん。あんたのことが好きなのに」  こんなに甘くて美味い、極上の味がする年上の男がいるのに、他なんて舌で味わえると思うか? もう、舌が肥えてるから無理だ。すぐに吐き出すだろうし、口の中に入れたくもない。 「なぁ、要、腹、減っただろ。飯、買ってきた」 「……え?」  腕の力を緩めてくれた要を見て、急に空腹感が増す。首筋に俺のつけたキスマークをちりばめて、下着はつけてても、その太腿に歯型と唇の痕、それに潤んだ瞳。ほらな? こんな人がいて、他所に目がいくわけがない。目移りしようがない。 「コンビニのだけど、せっかく露天あるんだし。そこで食おうぜ」  今、あんたが着てるのが、俺の服だったら、また玄関で押し倒して抱いてるぐらいには、あんたのことしか欲しくないよ。 「すげぇ、星」  屋根がついてるから、真上を見上げても見えるのは木の天井。でも、後ろに倒れながら、手で身体を支えて、屋根の外へと顔を出せば、本当に満天の星が見えた。  かけ流しの湯だから、さらりとした質感のお湯が立てる音が心地良い。足先で湯を蹴ると、ピシャン、と楽しい水遊びの音がした。  湯船のところに腰をかけて、俺は膝上までズボンをまくって、要は下着に長袖のTシャツ一枚っていう、少し目のやり場に困る格好で、足湯を楽しみにながらの夕飯にした。 「おお……本当だ。すごいな」  要も俺の真似をして、後ろへ倒れながら、手で支えて、屋根の外へと首を伸ばす。部屋から零れる光と、露天の端に置かれた照明の光に照らされた横顔は楽しそうに笑ってた。その横顔があまりに綺麗で。 「……」 「……高雄?」  キスしてた。まるで、ガキが初めてするような、初々しいキス。そっと、唇の端に唇を寄せて、すぐに放してしまうような、そんな感じの。 「ソースがついてた」  ウソだけど。  あんたにはウソはつかない。一生、本心だけであんたの真正面に、隣に立つつもりでいるけど、こんな可愛いウソなら許されるだろ。衝動的に、どうしても唇に触れてみたくなったなんて。あんなに絡まり合って、ぐちゃぐちゃに掻き乱すようなキスもセックスもするくせに、こんな幼く拙いキスひとつするのに緊張してるなんて、恥ずかしいから、ごまかすくらい許してくれ。 「ごめん。要」 「え?」 「湯葉、楽しみにしてただろ? それに、今日一日、なんもしてないし」  滝見て、あんたがパンフレットで行ってみたいと言っていたところ全部回るはずだったのに、ひとつも行けなかった。ドロドロになるまでセックスしたあと、足に力の入らない要の身体を拭って、寝かせたから、露天風呂付の宿なのに露天にはまだ入ってもいない。湯葉料理はコンビニのサンドイッチとおにぎりに変わった。 「要の初めての旅行だったのに」  要は星を詰め込んだように光る瞳を見開いて、それから、クスッ、と笑った。 「なんで笑うんだよ」 「だって……」  かなり台無しだろ? あんたが楽しみにしてたことを何一つしてないなんて。 「俺は、楽しかったから」  そう言って、白い足先で湯気の漂う水面を蹴った。ピシャンと、軽やかな音は人魚が尾びれで水面を撫でたような音に似てる。 「コンビニのおにぎりとサンドイッチ、ひとり暮らしの時はとても嫌いだった。味気なくて。でも、こうして、高雄と食べたらとても美味しい。この、卵とハムのサンドイッチなんておかわりしたいくらいだ。それと、足湯って、楽しそうだなと思ってた。お湯にずっと足を浸けてられるなんて、素敵だろう? ちょっとふやけすぎたら困るけれど。それに……おっとっとっと、ほら、湯船に浸かってないから、星が見える」  上体を倒して、また星を見上げようとした要がバランスを一瞬崩しかけた。手を伸ばすと、その手に自然と掴まって、笑って、星に目を輝かせる。  あの鬼の花織課長からは想像もできないだろうけど、誰も知らないだろうけど、要は俺とふたりっきりでいるとよく話す。この旅行のことだって、すげぇ楽しみにしてたから、あっちに行きたい、こっちを見てみたい、あれが食べたいって、ずっと話してた。  俺はそんな要を見てるのがたまらなく好きで、全部叶えたくて、ひとつも聞き逃さないようにと横顔を見つめてた。 「初めての旅行が高雄と、だなんて最高だ」 「……」 「夕飯も美味しい、景色も最高、それに」  今もじっと、その横顔を見つめてる。 「それに、気持ちイイ……」  要が俺を見つめて、満天の星に負けない光を詰め込んだ瞳を向けて、白い頬を花の色に染めながら、ひとつ、触れるだけのキスを唇の端にくれる。 「た、高雄の口に、こここ、米粒が」  すげぇ、ウソが下手だな。  これなら、いつ浮気されてもすぐに見破れて、即連れ戻せる。 「要、ウソ下手すぎ」 「んなっ!」 「そんなんじゃ、浮気、できねぇぞ」 「なっ! そんなこと! しない!」 「わかんねぇじゃん。いつか、俺に飽きるかも」 「飽きない!」 「……」  満天の星空に要の声が鳴り響く。世界中に届きそうなくらい、大きな声で余所見はしないと言い切ってくれる。 「ウソだと思うのか?」  への字にして怒ってる。本心なのにウソだと思われてるかもと怒ってむくれてる。 「旅行、とても最高に楽しい」 「……」 「こ、これもウソじゃないからなっ!」  だから、言ってるじゃん。あんたはウソが下手だから、ウソじゃない時もすぐにわかるんだ。 「んー、どうかなぁ」 「んなああああ!」  可愛い人が頬を真っ赤にして怒っているのがたまらなく楽しくて、愛しくて、ただのコンビニのサンドイッチなのに、おかわりがたしかにしたくなってきた。

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