101 / 140
寝てる後ろで……編 1 悲しみのミルフィーユ
比較的、「運」がないほうだと自覚はしている。
商店街のくじ引きでティッシュ以上の景品をもらえたことはないし、何もないはずのツルツル廊下で転ぶことは数ヶ月に一回はあるし、突然の雨降りなどで傘を誰かに持って行かれてしまうのはもう当たり前のことになっている。
親友だと思っていた同級生に身体的コンプレックスを笑われ、そのコンプレックスをどうにかこうにか改善できないかとありとあらゆる手段を駆使……。
――いいか? 絶対にこのことを他の人間に話すなよ?
しようとして、「パイパンプレイはダメ! 毛が濃くなっちゃうからぁ! ~昼間の情事は毛で暴かれる」といういかがわしい動画を参考に毛が生える様子を観察しようとしたら、スマホのイヤホンが外れていて、職場にいやらしい音声が流れてしまうという悲運。それに輪をかけるように、その惨劇を部下に目撃されて、あろうことか職場でそんな動画を堪能していると勘違いされる、ダブル悲運。
見ていたのではない! 観察したのだ!
と説明すれば、なぜに観察をしていたのかを言わないわけにはいかなくなり、ついには身体的コンプレックスを自ら語らなければいけなくなるという、悲運に悲運を重ねて重ねて。
まさにミルフィーユ状態に陥る。
いや、もうここまでくると比較的なんていう甘っちょろい言葉は似つかわしくないと思えてきた。
花織要、現営業課長を務める自分はまさに「運」がないと、自覚をしたほうがいいと言える。
『さぁて、今日のワーストワン星座はぁ…………乙女座の貴方!』
がびーん……。元々運がないのに。
『まさに、最悪の一日になってしまいます! 暑い場所には気をつけて! 十月だからって、油断は大敵! 水辺も要注意! もう秋だけれど、気温はぐんぐん上昇しまう! でも水浴び厳禁! 壊れ物はあまり持ち歩かないようにしましょう! 救済アイテムは早寝! 危険な一日を回避するためにも! 早い就寝を心がけましょう!』
もうこの星座占いを見たことそのものが「運」のなさ、なんじゃないだろうか。
「ど、どうしたらいいんだ……」
せっかくのデートなのに。せっかくの水族館デートなのに。水辺は要注意って、どうしたらいいんだ。水族館なんてほぼまるまる水辺じゃないか。ぁ、でも、暑くはないか。うん。その点では大丈夫。良かった。水族館は涼しいぞ。油断なんてするものか。この花織要、自慢じゃないが不運はすでに自覚している。だから、油断なんてするわけがないのだ。
大丈夫大丈夫。久しぶりのお出かけデートなんだから。
「…………暑い」
水族館なのに、とても、暑い。
「あぁ、すげぇな、あっつ。十月だっつうの」
足元、と言ったら失礼だが、今日はどこかの幼稚園? 保育園? の遠足らしい。その園児たちの熱気で水族館の中は汗ばんでしまうくらい。長袖を着てきてしまったことに、とりあえず後悔するほど暑い。
「きゃあああああ! あれ、蜘蛛だぁぁ、きょだいくもー!」
蜘蛛ではない、タカアシガニという大きな蟹だ。
「うわあああああ! クラゲだぁぁ、サラダにして食べたいー!」
あれは猛毒のクラゲで食すにはかなりの工程を踏んで毒抜きをしなければいけないから、とても高級なクラゲサラダになるだろう。それよりもスーパーマーケットで味つきで美味しいのが安価で売られているから、そちらをオススメする。
「うわぁぁん! タカクンがあああ、カナのことイジメルー! 先生―、山下せんせー!」
たかくんに、かなちゃんに、山下って。同じ苗字だからと決め付けは良くないが。だがしかし。
「ちょ、タカクン! カナちゃんいじめちゃダメでしょ! って、いてててて、股間キックはダメ! 痛いって! 股間なくなっちゃうから! タカクン!」
だがしかし、山下先生、もう少ししっかりするべきではないだろうか。他の客が大いに巻き込まれているぞ。ほら、今まさに、デートの真っ最中の我々が。
「ワレワレハ、ウチュウジン……ナワケアルカ、ぎゃははははは」
本当に大いに巻き込まれているぞ。全く知らない幼児が宇宙人と名乗ったような名乗らないような、笑いながら、ものすごく前に立ちはだかっているんだが。
さすが、本日の運勢ワーストワンの実力だなと自分自身に驚愕する。
「高雄、すまない。せっかく今日はデートを……」
「? なんで? 楽しいじゃん」
「高雄?」
「おい、坊主、それもすげぇけど。これ、知ってるか?」
「?」
「見てろよ?」
高雄がくるりと振り返ると、園児に背を向け、俺にウインクをした。良い男がウインクをするととても様になるし、ドキドキする。
俺も、ウインクできたら、高雄をドキドキさせられるのだろうか。……できないけれど。目が、目がな、片方だけを瞑りたいんだ。けれども、どうしてももう片方も瞑ってしまう。あと、口も変なふうに開いてしまうというか、閉じてしまうというか。う、うーん。やっぱり難しい。どうして、こう、片方だけでいいのに、顔全体がくしゃくしゃになるんだ。全く。
「ぎゃああああ! 兄ちゃんの腹があああああ!」
一生懸命にウインクを練習していたら、ウチュウジン幼児の断末魔が手前の水槽からひょっこり顔を出しているチンアナゴもびっくりするほど響き渡った。
「あはは。ちげーよ。ここをこうするんだ。手を引っ込めて、そんで。裾を持って、交互に……そうそう。やってみ? 友だちに。すげぇびっくりされるから」
高雄のお腹に異生物が住みついてるみたいに見えて、ちょっと俺もびっくりしたじゃないか。なんだ、それ。すごいな。
「何? 要もやってみたいの?」
「い、いや、別に……でもすごいな。これ、面白い。今度、山下たちにやったら驚くだろうな。あ、年末の飲み会の一発芸にどうだ?」
「……何、あんた、これ知らないの?」
「あぁ、初めて見た!」
ぐいーっと手を下げると腹のところ、服の内側に隠してあったもう片方の手をびよーんと飛び出す。
ぐいーん。
びよーん。
ぐいーん。
びよーん。
「ガキの頃友だちと……」
「?」
ぐいーん。
びよーん。
「いや、いいんじゃね? あんたがやったら、何でも可愛いよ。両目瞑りのウインクもな」
「!」
「ほら、行こうぜ」
高雄は笑いながら俺の手を引くと、少しだけよろけてしまった。ドキってしたんだ。また高雄がウインクをするから。だから、これは悲運なせいではなく、恋にときめいてよろめいたのだ。
たぶんよろめいたのだ。
――油断は大敵! 水辺も要注意! 秋だけれど気温はぐんぐん上昇しまう!
わかっている。でも水浴び厳禁! なのだろう?
ゆ、油断をしたわけではないし。そもそも水辺はあっちこっちにあるからずっと注意している。けれど、俺は人間だから、プールや海でない限り、水浴び自体はしないし。いや、するはずがない――はずだったんだ。
「さぁて! それではイルカショーの始まりです! 手前の席の方は水、注意してくださいねぇ」
こ、こんな前にくるはずじゃなかったんだ。
気が付いたら、園児に、他のお客に押されて押されて、最前列に押し出されてた。これは危険だと帰ろうと思った瞬間、それを阻むようにショーが始まってしまって。
立ち上がったら、他の人が見えなくなってしまうだろう?
小さな子たちはとても楽しみにしていたようだし。
「大丈夫だって、そう濡れないだろ。座席カラッカラに乾いてんじゃん。盛り上げるために言ったんだろ」
そうか。そうかもしれない。うん。きっとそうだ。
「イルカのルカ最大級のジャアアアアアアアンプ!」
油断は大敵、そう言われただろうが。愚かな自分。
「あらら! イルカのルカ。どうしたんでしょう。あそこの眼鏡のお兄さんが気に入ってしまったようです」
できることなら、気に入ってくれたのなら、どうか、水をばしゃばしゃ、ばしゃばしゃかけずにいてはくれないだろうか。
「っぷ、すげぇ器用だな。イルカのルカ」
「わ、笑い事じゃない!」
さすが、悲運な俺。なぜかこの会場随一の濡れ鼠になっていた。
ともだちにシェアしよう!