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寝てる後ろで……編 2 ことあるごとに
おさらいをしてみよう。
暑い場所には気をつけて! 十月だからって、油断は大敵! ――大丈夫。今日のデートは室内だ。
水辺も要注意! 秋だけれど気温はぐんぐん上昇しまう! でも水浴び厳禁! ――水浴びなんてするわけがないだろう? あはははは。
そう、思っていたのに。園児の体温で水族館の中はなかなかに灼熱地獄で。水浴びなんてするわけないと思っていたら、光栄なことにイルカのルカから頂戴した求愛ダンスでびっしょびしょ。
救済アイテムは早寝! 危険な一日を回避するためにも! 早い就寝を心がけましょう!
――いやだ。今日は夜更かししたいんだ。デートだぞ? 大口の顧客との商談交渉でずっと忙しかった我々にとって、ひさぁしぶりのデートなんだぞ? 水族館行って、美味しい食事にワイン、そしてそして、帰宅後は高雄とたんまりイチャイチャをするつもりなんだ。早寝なんてしてたまるか。
絶対に絶対に大丈夫。今日は寝ない。そう心に誓ったんだ。
「ラッキーだったな。まさか、水族館からお詫びにイルカのルカTシャツをもらえるなんて」
「……あぁ」
そうだそうだ。ラッキーだ。イルカのルカTシャツを二人分もらえたんだぞ? サイズが少し、俺のだけ合ってなくて大きすぎて、首周りがガバガバだけれど。油断したら肩が出てしまいそうで、落ち着かないのだけれど。
どうして高雄は平気なんだ。フリーサイズだというのにまるで高雄のためにしつらえたようになってるじゃないか。
でも、まぁいいか。うん。そうだ。高雄の言うとおりラッキーだ。何せこれは。
「ペアルック!」
「あぁ、まぁ、そういうことになるな」
「そうだ! ペア! ルック!」
だから、これはラッキー!
「けど、あんた、本当に華奢だな」
高雄がそう言って目を細めながら、俺の首筋に掌を重ねる。大きな手、恋人のこの手が俺はとても大好きだ。
「めっちゃ脈はえぇな」
「……」
「やば」
「?」
「早く家に帰りたくなったわ」
「!」
俺もだ! 俺も! 早く帰りたい! けれど、この後に予約したレストランにも行きたい! 夜景の綺麗なレストラン。ビーフストロガノフが絶品らしくて、とても楽しみにしていたから、それをいただいて、ワインはやっぱり赤ワインだろう? それでそれで、帰ったら、たくさん愛し合おう!
「ビーフストロガノフだっけ?」
「あぁ!」
「っぷ、すげ、嬉しそうな顔」
だってだって、牛肉トロトロで、夜景の見える少しセレブリティなレストランで、ワインをカッシャーンってするんだ。久しぶりのデートならそのくらいしたほうがきっと高雄も楽しいだろう? 絶対に美味しいし、気に入ると思うんだ。
――美味そうだな。
高雄が前にそう呟いたお店なんだから。
「大変申し訳ございません。ディナーに限って、ドレスコードを……」
本日二度目の、声高らかなる「がびーん」だった。
特に今日はレストランのアニバーサリーらしくて、ドレスコードといっても、ノータイ、ノージャケットで構わない程度の緩いドレスコード。けれども、さすがにイルカのルカが「イエーイ」とポージングを取りつつ、背中に「イルカ乗るか?」という鮮烈な駄洒落はいかがなものか……らしくて。
「ほら、要、行くぞ」
「だ、だがっ」
「いいから」
「でもっ」
いいのか? だって、ここ、高雄が美味しそうって言ったレストランだったんだぞ? それなのに。
「要、別に俺は高級レストランじゃなくていいよ」
それなのに。
「だから、ほら、来いよ。そんなところでしょぼくれてるなよ」
最上階からエレベータで地上へ。高雄は鼻歌混じりで、背中に「イルカ乗るか?」の文字を踊らせながら、ふと見つけたラーメン屋に立ち寄った。
こ、ここ?
そう尋ねてしまうくらいに普通のラーメン屋。
もちろん中も普通のラーメン屋で、出てきたラーメンは……とても美味しかった。
「うっま!」
「! ほ、本当だ! これは美味い!」
さっぱりしている魚介スープで、いくらでも食べられそう。そして、ローストビーフサラダがまた絶品だった。
「火傷、気をつけろよ」
「! わ、わかってる!」
そうだ。そうだった。暑い、つまりは熱い、のだって気をつけるべきだった。危ない危ない。もう少しで舌を火傷して半泣きになるところだった。
「ごちそうさま」
そうお会計を済ませて挨拶をしたら、店主が「またおいでー」ととても柔らかい笑顔で手を振ってくれた。
「いい店はっけーん、だな」
うん。感じの良い店だった。ラーメンも美味しかったし、あのレストランの十分の一の価格でお腹いっぱいに食べられた。
だからとてもラッキー。
今日の運勢なんてへっちゃらだ――そう思ったんだ。
「…………」
今日のおさらい、はもういいかって思った。でも、おさらいしておくべきだった。油断したんだ。最後の最後に油断、してしまったんだ。
壊れ物はあまり持ち歩かないようにしましょう! ――眼鏡もガラスだものな。壊れ物といえば、壊れ物なのかもな。
運の悪さは自覚していた。何もないはずのツルツル廊下で転ぶことは数ヶ月に一回はある。最近そういえば、あまり転ばないなぁとぼんやりでも思っていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。
「大丈夫か? 要」
「…………」
すってんころりん、だった。
「…………あ」
そして、ぺちゃんこの粉々だった。
「ふぐぐぐぐ」
「見事に尻餅ついたな。その小さい尻で」
「ふぐー!」
何もないところで転んで、その拍子に意図したかのように眼鏡が足元に落っこちて、操られるようにその眼鏡の上で転んで尻餅をついた。本当にものの見事にその真上だった。
「あーあ、もうこの時間じゃ眼鏡屋閉まってるしな」
「平気……もう帰るだけだから」
これはもう寝るしかない。この悲運から逃れるためには、あのアドバイスに従うより他はない。
「まぁ、そうだな。帰って、風呂入ってさっぱりだ」
「……うん」
しょぼくれていた俺に、高雄がふわりと笑って手を取ってくれた。眼鏡がないんじゃ、歩くのすらちょっとフラフラだから、手を取って歩いてくれる。
大きな手は繋ぐと、心から安心できて、ホッとした。
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