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課長初めての◯◯編 2 課長の初めて
音痴改善とかさ、音痴修正とか、なんかないわけ? なんで、その単語? 調教ってさ。
――私をっ、調教してくれ!
いや「の音痴」っていうとこを今脳内が勝手にミュート処理したけどさ。一瞬、マジで、開けることはないだろうと思っていた扉を開けそうになった。
あの白い肌に赤い縄、目隠しに、それから。
「お、おぉ……ここがカラオケ。なんだか思っていたのと違うぞっ高雄!」
俺の脳内でどうされそうになっていたのかを知りもしない、けど、「調教」を望んだ要が目を輝かせてカラオケの一室を探索していた。
音痴の度合いを確認しないといけないだろ? ほら、歌唱力の総合得点で二課との勝敗を決めるのなら、どのくらいの得点を要が取れるのかを把握しておく必要がある。っていうのとさ、もう一つ。
「マイクがあるぞ!」
そりゃ、カラオケですから。
「ぁ、スイッチが入った」
そりゃ、スイッチ今入れましたから。ご自身で。
それからもう一つ、カラオケに仕事帰りに寄った理由。
――え? カラオケ、やったことない?
――あぁ、ないんだ。前の職場でもそういうの参加しなかったし……。
――でも、学生の頃とかさ……。
言いかけて、そこで苦笑いを零す要に俺は言葉を止めた。
要は学生の頃、友だちがいなかったから。コンプレックスのせいでずっと一人でいたから。カラオケに学生の頃も行ったことがなかった。
「あーあー、あー、マイクのテスト中、マイクのテスト中」
なぁ、そんなに楽しい? まさかの、たかがマイクにそんな天真爛漫な笑顔を見せちゃうの?
「おおお! これはなんだ? これで、曲を入れるのか?」
小さなノートサイズの機械を手に取り、両手でそれを握り締め、嬉しそうにいじり始めた。
「お、ぉ……」
「何か、歌いたい歌とかある?」
「う、うーん……俺は特に歌とかあまり聴かないから、あ! あれがいい! あの、ドラマの!」
要と毎週欠かさず見てるドラマ。救急医療の現場を描いたドラマで、要はそれを見終わると、医者とはなんと素晴らしい! って、ちょっと子どもみたいにはしゃぐんだ。毎週、命の危険にさらされた人を、そしてその人を取り巻く環境を医師たちが「助けていく」姿に感動してる。泣いて、笑って、怒って、また泣いて。
俺はクールどころか、俺の前でだけくるくると表情を変える要の横顔をじっと見つめてる。
「あぁ、あれね」
「うんうんっ」
「ちょっと待って」
主題歌がまたすげぇ良い歌なんだ。挿入歌も俺は好きなんだけどさ。毎回、ラスト、感動のシーンとかで流れるから、要は大概泣いててその曲はあんまり聞こえてないのかもしれない。
「はい、要」
「き、緊張してきたぞ!」
かっわいい。
「うー……」
薄暗い中でもわかるくらいに顔を真っ赤にしてさ、マイクをぎゅっと握り締めてる。スーツ姿は確かに日中の仕事ができる花織課長そのままなのに、中身が俺といる時にしか見せない可愛い要で。
これは、けっこうヤバイ。
「わ、笑うなよ!」
「笑わないって」
「よ、よし……貴方にぃ、あぁ! まだだった」
急に気合を入れたかと思ったら、まだ演奏中なのに早とちりで歌い出して、もっと真っ赤になった。いつもどおり背筋はシャキッとしているのに肩は今の出だしのミスに思わず、きゅっと縮こまる。
「うぅ」
「要」
あぁ、マジで可愛いな。
「何、高雄、……っ」
可愛かったからキスをした。隣でさ、いつも眺めてる横顔で、職場の花織課長の格好の要が可愛くて、可愛くて、思わずキスをした。
「はわぁっ!」
「緊張がぶっ飛ぶおまじない。ほら、歌い出し」
「!」
そして、要はまっかっかになりながら、人生初のカラオケに挑もうと、マイクを両手できゅっと握り直した。
これは……まさかの……だ。
人生二度目の、青天の霹靂かもしれない。
「これじゃ、戦力にはならないだろうか……」
要が気に入っているドラマの歌が得点十七点。簡単そうな別の歌で二十五点。国民的アニメの主題歌、これなら子どもだって口ずさめる歌だから……二十四点。その前の歌より一点下がったし。
「あーまぁ」
戦力っていうか、ある意味、戦闘力は抜群の歌唱力かもな。
「やっぱり……欠席したほうが皆のためだろうか……」
「……」
カラオケの帰り道、しょんぼりと肩を落とした要がカクンと頭を下げて、俺のスーツの端をきゅっと指先で摘んだ。
「そんなことねぇよ」
「……」
あんたは一緒にやりたいんだろ?
そんで、山下たちは要と一緒にカラオケ対決したいんだろ。
「一緒に二課倒そうぜ」
「……高雄」
今までカラオケなんて行ったことがなかった。誰とも。学生の時も、社会人になってからも、一度もなかった人生初。
「俺が付きっきりで個人レッスンだ」
「! よ、宜しくお願いします!」
まさかの、だな。青天の霹靂ってやつ。
あの、鬼の花織課長に頭を下げられるなんてな。会社の奴が誰か見てたら、大騒ぎだぞ。一社員に頭を下げる鬼課長も。
「是非! 音痴の調教を個人レッスンで!」
「あのなぁっ」
歌が壮絶下手なのも。
「その言い方、勘弁してくれ」
「? なんでだ」
「なんででも。ほら、帰るぞ」
そして、その鬼課長がめちゃくちゃ可愛い顔をして笑ってるのも。
「あ、高雄! 待ってくれ」
頑張ろうな、打倒、二課だ! そう気合を入れた要の横顔を繁華街の明かりが照らして、少し眩しかった。
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