114 / 140

課長初めての◯◯編 4 ひとりじゃないって、素敵なこと

 バケツを被っての歌練習が一番斬新だったかな。あと、滑舌がよくなるらしいってネットで要が調べた舌体操はちょっと興奮した。口を開けて、舌を上下左右に動かしたり、先端を窄めて見せたり。それをなんでか、ちゃんとできてるかどうか確認してくれって俺に見せるから、ほら……あらぬことを妄想しかけてさ。濃いピンク色をした舌の柔らかさを知ってる者としては。けど、要は真剣にやってるから、邪な妄想なんて欠片ほども持ち合わせていないわけで。ちょっと肩透かしっていうか。でも、そんな楽しいような、我慢をただ強いられてるような舌体操も、本当は口を閉じてするものだって後々気が付いてからは、面白かった。  あ、けど、一回だけ。 『ひゃはっ! いひゃい!』 『要?』  仕事はあんなにできるのに、こういうのが不器用って不思議だけど。 『舌、噛んだのか?』 『い……ひゃい』 『血は出てねぇよ。赤いけど』 『ひょんひょ?』  ホント? なんて訊いて首を傾げながら見せてくる舌が美味そうだから、この人のこういう変な不器用さは大歓迎だ。 『ホント……ほら、血の味してねぇよ』  少し卑猥なディープキス。痛いと嘆くこの人をあやすように、その舌先を舌で撫でて、濡らして、可愛がるように絡めて口付けた。 『ン……ひゃか、ほ』  それに、フェラしてる時みたいな舌っ足らずも楽しかった。 『ン、ん……んひゃ』  痛がって舌を伸ばすこの人に興奮して、絡まり合うキスは、ちょっと、個人レッスン中の美味しくて楽しいことだった。  そんな歌練習を続けた数日。  本当は前日にどれだけ歌唱力得点が上がったのかを確認しておきたかったんだけど、夕方から発生したクレーム案件への対応に追われていて、カラオケには寄れなかったんだ。 「はぁい! それではー! 二次会に行きますよー!」  けど、大丈夫。  あんだけ特訓したんだから。 「みなさーん! 二次会はー! 課対抗のカラオケ大会ですよー!  山下と営業二課の幹事が行き交う人の中を二次会の会場であるカラオケ店へと誘導してた。 「がっ、頑張ろうな!」 「あぁ」  少し飲みすぎな気もする山下がひらりひらりと掌を旗のように振っていて、荒井や一課二課の女性スタッフ、その後ろを営業が歩いていく。俺と要はその最後尾にいた。会計後、少し……な。 「おまじない、してあるものな!」 「あぁ」  少しだけ、トイレに寄ってたからさ。緊張せずに、練習の成果が発揮されるようにするにはリラックスしないとだから。舌っ足らずにならないように、キスのおまじない。 「うおーい! かちょおおおお! ちゃんとー、ついて来てくださいねー!」 「だっ、大丈夫だっ! しっかりついて行ってるぞ!」 「ういーっす」  いつもの要だ。綺麗な顔をしているからさ、重要な商談前、何か大事な会議の前、難しい局面を切り抜ける時、真剣な顔をすると少し怖くも見えて、近寄り難い印象になりかねない。鬼の花織課長って感じ。だから、山下の隣にいる二課の幹事はそんな要を最後尾に発見して、ちょっとビビってた。歩道をめいっぱいに広がって歩かないように。他の通行人に迷惑にならないように。あの鬼の花織課長からお叱りを受けてしまわないようにって、慌てて皆を誘導し始める。  でも、これはいつもの要だ。  いつもの、何事も真剣に取り組む、頑張り屋の要。  山下達はもうそんな要を知ってるから、ビビることなく、打倒二課に燃えていた。 「頑張ろうな! 高雄!」 「あぁ」  そして、俺もちょっとだけ、燃えてた、かもな。 「うふふふー」  スーツ姿にキリリとした眼鏡、美人でクールで頭脳明晰。仕事はばっちり。 「ふふふふふぅ」  営業一課の花織要課長。 「たーかーお!」 「あぁ」  もちろん歌唱力だってばっちりさ。見事な九十点。やっぱり営業一課の鬼の課長はすごい人。  だろ? まさかの九十点。一課二課の中で最高得点をたたき出したんだ。 「たーかーおー!」 「あぁ」  そう言われてた花織課長は営業メンバーと分かれてから、まるで羽でも伸ばすように生き生きと両手を夜空に向かって伸ばした。 「びっくりしたぞー!」 「……あぁ」  さっき、山下達と駅のところ分かれるまでは「あぁ、皆、お疲れ様」なんて涼しい顔をしていたけれど。もう今は俺しかいないから、ただの要で、ただの可愛い人。  ずっと緊張してて酒の味なんてわかんなかった? 一次会の時はちっとも酔ってなかったのに、二次会は歌のことに集中するからってちっとも飲んでなかったのに、今頃、酔っ払って千鳥足になっている。 「すごいだろぅ?」 「あぁ」  ちょっとはしゃいでる。まぁ、そうだよな。  さっきまで真一文字に結んでた唇をふにゃりとさせた。  たくさん練習したけれどその成果がちゃんと出せるのかどうかって。皆と一緒にできるのかって、怖い顔をしてた要は、今、頬を赤くしながら、とろんとした眼差しで濡れたように艶めく髪を揺らして微笑んでる。 「ありがとう、高雄」 「……」 「高雄のおかげで歌が上手になった」 「俺は何もしてない。要が頑張ったからの成果だろ?」 「うん。俺は頑張った」  仕事ができてさ、この若さで課長で、社名で営業一課だけじゃなく会社をも立て直せたのは、今までもこのカラオケみたいに頑張ったから。 「いつも、何事も頑張ろうって思ってきたんだ。その、コンプレックスがあるから、それを埋めようと……」 「……」 「でも、いつもと違ってたんだ」  俯いて、足元を見ながらぽつりぽつりと話していた要が、パッと顔を上げた。瞳の中にはキラキラと輝く星がいつも。 「今回は高雄と一緒に頑張れたから」 「……」 「だからとても嬉しいんだ」  あぁ、ホント。 「えへへ」  あんたはどうしてそう、俺の予想外から来るかな。 「だから、ありがとう、高雄」  そんなことをそんな笑顔で、そんな真っ赤な頬で、潤んだ瞳で囁かれて、心臓射抜かれてぶっ倒れるかと思っただろ。

ともだちにシェアしよう!