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第4話 はぁ、めんどくさ

 十二月、サラリーマンがあっちでもこっちでも一年間頑張った事を労い、年末年始の休みをもぎ取るべく必死に頑張りつつも、この日だけは無礼講だ! とおおはしゃぎすることを許される宴の席。  俺にとっては飲みながらも愛想笑いをしないといけない煩わしい席。  この時期に新課長の歓迎会と忘年会を兼ねた宴を催すはずだった。が、営業課に打ち解けられていない仏頂面課長は出張のため、宴は忘年会としてだけ行われる……はずだった。 「いや、アルコールは控えている」  なら、なんで、忘年会ゴリ押しで来たんだよっ! っていう、ツッコミを越えた心の絶叫をたぶん、全員がしてる。それに気がついていないのか、何度も眼鏡を指で上げる花織課長は少し疲れていそうだった。  そりゃそうだろ。  本当に出張で片道四間半かかる客先へ始発で向かい、向こうで打ち合わせをして戻ってきてすぐ参加してるんだ。移動だけで八時間、休憩を取らないフルタイムでの仕事時間分を費やして、なおかつ打ち合わせはばっちり済ませて帰ってくる。疲れていないわけがない。眉間の皺が今夜は心なしか浅い気がする花織課長の背後には小さめのボストンバックがあった。出張からそのままこっちへ向かったんだろうな。東北のほうって言ってたっけ。 「庄司くーん、飲み物頼むかぁ?」 「あ、はーい」  なんとなくテーブルは二つに分かれてた。営業と営業アシスタント。営業はほぼ毎日課長に睨まれ、絞られてるから、なんとなく離れたいって思ったのかも。課長だけがアシスタント組に入っていた。  追加メニューを訊かれて返事をした途端、そんな離れたところに座る課長と、バチッと音がしそうなほど視線がぶつかる。  日が浅いからっていうだけじゃなく、うちの営業に馴染んでない課長はきっと本当はこの宴会に来たくなかったんだろう。それなのに、出張で無理なスケジュールをこなしてまで参加した理由は。 「そしたら、ビールで」  理由はたぶん、俺、なんだろうな。  酒飲んで、ふわふわと緩くなった思考回路では何か言ってしまうかもしれないと思って監視してるんだろ? 休憩室で「毛」と呟いたところを目撃されて以来、気にかけて見てみるとちょっと視線が痛かった。  言わないっつっただろうが。っていうか、給湯室でゴシップネタに盛り上がる女子社員じゃあるまいし、しかもがっつり下ネタをどこで暴露するんだっつうの。「ねぇ、ねぇ、知ってる? 花織課長ってさ……パイパンなんだって!」なんて職場で言えないだろ。めんどくさい。 「あ……」  そっか。ここ、職場じゃねぇし。仕事仲間が集まってるけど、仕事をしているわけでもないここで、酒のつまみになるような話題は職場のゴシップネタが大半だ。そして、もう一度、課長のほうへと視線を投げた。 「?」  でも、さっきまで座っていた場所に課長はいなくて、ぽつんとひとり分のスペースを空けたまま、周りは楽しげに笑っていた。  あれ? もしかして監視終了? 宴会が始まって一時間ちょっと、もう暴露する気配のない俺を見届けて帰ったとか? 「あれ、課長、帰ったんですか?」 「え? あ、どうだろぉ、何も聞いてないけど」  女子テーブルへ行き、課長の行き先を尋ねても誰も知らなかった。でも、ずっと背中に置いていた鞄はまだあった。小さな旅行鞄。  じゃあ、トイレか?  別にかまわないけどさ。俺は話してねぇし、監視したきゃすればいいし、それはあの人が好きにやればいい。でも、少し顔色が悪いように感じられたから。いつも眉間に皺寄せて仏頂面してるから周囲も気が付きにくいけど、疲れてそうだったから。酒飲んでもいないのに、監視するためだけに出張後、無理矢理参加したって楽しくないだろ。別に、俺が頼んだわけじゃないし、向こうが勝手に自分でやったことだけどさ。  宴会場となっている大広間を出ると、忙しそうに店員がお膳を運んでいた。あっちこっちから聞こえる返事に、雑多な笑い声。居酒屋独特の賑やかさに耳がバカになりそうだ。赤い壁を曲がって、また、曲がって、トイレへと続く矢印を追いかけてた。 「……ぁ」  でも、そのトイレに行く途中で花織課長が死に掛けていた。どっからどう見ても泥酔したサラリーマン。トイレ前でしゃがみこんでたりしたら、誰だって怪訝な顔をして、自分に被害が来ないよう、少し壁に寄って通り過ぎる。そりゃそうだ。吐くほど具合の悪い酔っ払いの看病なんて面倒なだけ。別に向こうからは俺のこと見えてないし、トイレに行きたいわけでもない。このままきびすを返して宴会場に帰ったって、別に。 「何してんすか」 「え? あ、庄、司?」  面倒なことは嫌いなんだから。なのに、身体が勝手に動いてた。 「具合悪いんすか?」 「いや……別に悪くない……」  普通に悪いだろ、何言ってんだ、あんた。  そんな真っ青な顔して、口元を真っ白な手で押さえて、今にもぶっ倒れそうになりながら、どの口が「大丈夫」って言葉を言えるんだよ。 「っう」  で、その口が何かを堪えて唇に力を込める。あぁ、これはもう吐くな。限界っぽい。 「ちょっとだけ辛抱してください」 「っ」  本当に細いのな。片手で腕を持ち上げると、驚くほどだ。女よりほんの少し太くて硬いってだけで、手で握り締められるくらい。  立ち上がらせると真っ青だった。そして、急に動いたことで余計にこみ上げて来たらしく、ぎゅっと眉根を寄せて、強烈な吐き気に耐えている。 「い、いいっ! ひとりで」 「ひとりでトイレ前でへばってたくせに何言ってんすか。ほら、ネクタイに付きますよ」  トイレに入ってすぐ。マジで間一髪だった。その間、ずっと背中をさすってた。腕も細かったけど、背中も細いっていうか、骨っぽい。男の背中なんてそう頻繁に触らないから、贅肉が皆無の骨っぽい背中をさする掌が少し戸惑ってる。 「少し、すっきりしました?」 「あ、あぁ」 「これ、使ってください」  ハンカチを差し出すと目を丸くして驚いていた。いや、そんなに驚くなよ。営業マンなんだからハンカチくらい持ってるだろうが。 「よ、汚れ」 「いいから」  手の甲で口元を拭うなんて、普段のこの人を見てる限りじゃすげぇ似合わなかった。今のあんたじゃ、かがんだ状態から自分のポケットの中のハンカチを取り出すことだって苦労するだろ。 「ったく、人のこと、監視するのもいいですけど、そんなぶっ倒れそうなくらいに体調悪い状態で来ないでくださいよ」 「……」  よかった。吐く前に比べると顔色はだいぶマシになってる。でも、元から白いせいで、今でも青白い。ただ、さっきはもう死人か、もしくは雪山で遭難したみたいに真っ青だったから。血なんて少しも通ってなさそうな、そんな肌色だった。 「なんすか?」  そんな白い肌に細い腕、驚くほど頼りなげに思えた人がハンカチで口元を押さえたまま、目を丸くして驚いている。今、店のスタッフに言って水をもらってこようかと思ったけど、今、吐くのなら背中をさすろうと手を伸ばした。 「なんだか、別人みたいだ」 「は?」  別人はあんただろ。これがあの「花織課長」とは思えないくらいにフラフラして、折れそうなほど細く華奢だなんて知らなかった。 「庄司はもっとこう、温和で人当たりのいい明るく優しい奴だと」 「!」 「乱暴で口が悪くて、全然違うぞ」  あんただって全然違うだろうが。それに、今、あんたが言ったのって普通に悪口だからなって、今度は俺が「花織課長」みたいに眉間に皺を深く刻んでいた。

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