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電話しつつ……編 3 優しい部下の憂い事

 ――お疲れ様。同期会があるため、本日は先に退社します。大変申し訳ないが宜しくお願いします。帰りは。 「遅くならないようにする……ね」  恋人に送ったんだか、部下に送ったんだか、とにかく硬くて仕方ない文面に思わず笑った。要からのメッセージ。  外での打ち合わせから戻ってきて、会社の最寄り駅に辿り着いたところでそのメッセージを確認した。それからスマホをスーツの内ポケットへと突っ込んだ。職場は駅から歩いて五分程度。まだ駅前には酔っ払いたちは歩いてない。  七時……か。このまま直帰でもよかったんだけど、休み明けに要の朝一で書類チュックしてもらいたいものがいくつかあるし、どうせ帰ったところで一人なら仕事を片付けておこうと思った。 「?」  とりあえず会社に戻ると、オフィスの、営業課のある場所の扉から光が漏れてる。まだ誰かいるんだな。  うちの会社の営業も、昔は残業なんて当たり前の部署だった。どこの会社もそういうものだと思っていた。けど、要がそれを一新した。業務のスマート化を図り、残業を極力少なくしたんだ。だから今では営業だからとべらぼうに残業が多くなるわけじゃない。顧客からの急ぎの連絡に対応できるように、プラス一時間程度のオフォスに残ってる程度だ。  でも、まだ誰かいるようだった。  要……は同期会で帰ったし。じゃあ、残ってるのは。 「ぅ、うーん」 「唸るならトイレで唸れよ」 「んぎゃああああああああああ!」 「うるさい」  山下だった。  先日ヘアサロンで可愛い感じの女性スタッフに髪を切ってもらったと嬉しそうにしていたその頭を両手でぐしゃぐしゃにしながら、自分のデスクでパソコンと睨めっこをしながら唸ってた。 「だって、びっくりするじゃないっすか! 俺一人だと思ってたのに、急に背後から声がするんだもん」  もう新人枠じゃないのに、どこか新人っぽさが抜けない山下が、振り返ると半泣きになってる。 「別に驚かそうとしたわけじゃない。ノミの心臓か」 「ノミ?」 「なんでもねぇよ」  きょとんと首を傾げてる。多分ノミの心臓の意味がわかってない。けど、それをいちいち説明するのも面倒だからスルーして、山下が睨めっこをしていたパソコンを覗き込んだ。 「使用機器の概要?」 「はい……そうなんです。今度の打ち合わせまでに色々書類揃えておきたくて。けど、この機器の仕様とか俺全然わかんなくてぇ、まずそこから調べないとってなっちゃっててぇ」 「……あぁ、これか」  まるで永遠に終わらないのではと、そして、このまま一人このオフィスで夜を明かすことになってしまうのではと悲観しまくり。嘆いた末の半泣きなわけだ。 「これ、手伝ってやろうか」 「へ?」 「それに似たような案件、前に受けたんだよ。だから、参考になる資料なら俺の方にもあるし、一通りその辺は前に勉強した」 「……えぇぇ?」 「なんだよ」 「だって、庄司さんが手伝うなんて、九月なのに雪でも降るのかと」 「バーカ」  失礼なことを言う後輩の頭をパコーンとはたくと、頭を抱えていたせいでボッサボサになっていた頭がもっとボサボサになった。  多分、これ全部を本当に熟読してから参考資料を作るとしたら、冗談抜きで朝になるだろ。使用機器に関して理解はしておいた方がいいが、必要じゃない部分もある。それなら抜粋して必要な部分だけを熟読する方がいい。俺はその抜粋する部分を教えるだけ。 「ほら、早くそっちの資料メールでこっちに送れよ。マーカー引いておいてやる」 「うわああああん! 庄司さん、優しい」 「気持ち悪いこと言うな。それに」  この案件はこの前、要が山下に手渡したやつだ。頑張れって言われてたっけ。大変だろうが、これがちゃんと進行できたらとても成長できるぞと応援されていた。  だからだろ?  必死になって、ちゃんと頭の中に知識詰め込んで、付け焼き刃じゃないしっかりした参考資料を作ろうとしてるのは。 「俺はいつでも優しいだろ」  そう言って、ニヤリと笑うと、涙を溜めていた目を窓の外に向けて、雪が降ってやしないかと本当に確認しやがった。 「……課長って」 「は?」  今の時間が夜の八時半。  山下と二人っきり、聞こえてくる音はクリックの音とキーボードを打つカチカチって小さな音くらい。その中、ぽつりと山下が口を開いた。 「すごいっすよね」 「……あぁ」  営業部は俺たちのことを知っている。まぁ、一応は隠してたけど、いつの間にか……な。 「なんでもできて。頭の中は仕事の情報盛りだくさんで。使用機器なんてぜーんぶ頭に入ってるんですよねぇ。すごいなぁ」 「……そうでもねぇよ」 「へ?」  花織課長は、確かに仕事はできるし、なんだって知ってる。仕事に関わることならなんでも。多分冗談抜きで、今、山下が頭を抱えながら必死に読んでる使用機器の取説、デジタルデータで読んでるそれだって紙の本にしたら鈍器なみの重量になるだろうそれがリアルに頭の中にそれが丸ごと頭の中に入ってるだろう。しかも、それをいくつも別の使用機器に関しても同じくらいの情報量を持ち合わせてる。でも――。 「案外不器用だぜ?」  あの人ほど不器用な人はそうはいない。  俺の知ってるあの人は。 「内緒だけどな」 「……」  要は愛しくなるくらいに不器用なんだ。

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