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第17話 もしもし、そちらはどうですか?

 すっげぇ顔してた。季節外れのホラー映画を観ている間、俺は突然出てくる幽霊よりも、隣でひとり百面相をしている花織課長が気になって、そっちを見ることに忙しくて、もうラストとか映画の結末なんてどうでもよくなっていた。たしか、「ラスト十分、貴方は目を離してはいけない」ってテレビコマーシャルで言ってた気がするけど、そのラスト十分、俺はスクリーンじゃなくて隣の三十路上司だけを見てた。  恐怖のあまり叫びそうになるのを堪えようと何度も唇を噛み締めて、ぎゅっと目を瞑って、でも、目を瞑っていると音ばっか飛び込んできて、緊張から鋭敏になっている聴覚にはよっぽど怖い音に聞こえるのか、息が持たず水面に顔を出したみたいに、パッと目を見開いて、で、なんでかその度に画面いっぱいに広がる幽霊に白目寸前。幽霊が出てこないシーンだって山ほどあるのに、花織さんが目を見開く度に幽霊とばっちり目が合っていた。すげぇ奇跡的なタイミングでそれを繰り返すその人は、マジで奇跡みたいに三十路とは思えなかった。  あんなに誰かのことを見つめていたくなったのは初めてかもしれない。こんなに見ているだけで胸のところがじわっと熱を持ったのも、全部。 「……っくそ」  思わず、熱っぽい溜め息を吐く自分自身にムカついた。呆れるほど、あの人といる時の自分は予想外すぎる。なんで、今、ひとりになった帰り道、自宅マンションへと歩いていく途中の夜道で舌打ちして、溜め息吐いて、寂しいとか思ってんだ。デートが終わって別れてからずっと、あの人の全部を噛み締めるように思い出してるとか、ありえねぇ。 ――え? 駅まで?  駅まで送るって言ったら、眼鏡の奥の瞳が少し驚いてたっけ。  映画観て、カフェでコーヒー飲みながら、映画の話題、じゃなくて、あの人のおもしろ百面相の感想を伝えては、真っ赤な顔で怒られて、その怒った顔に笑って、また怒られて。コーヒーなんてほぼ飲むのを忘れて冷め切っていた。  ディナーは、クリスマスディナーを予約してなかったが、本番は明日明後日なんだろう、二件目のレストランで予約なしで入ることができた。そこで夕飯済ませて、レストランんを出たところで、バチッと音がするくらい目が合ったから。 ――駅まで送るよ。  そう言った。 「……驚いた顔とか……すんじゃねぇよ」  引き止めて、駅じゃないほうへ連れ込みたくなっただろうが。そうしたら、絶対に驚いて飛び上がって、眉吊り上げて怒るくせに。  あんたってバカなんじゃねぇの?  一度したセックス、それが遊びだと思ってた。でもそれは違ってた、遊びじゃなかった、ってなったら、「では、あの行為の意味は?」ってなれよ。なんでそこスルーして、嫌われてないのなら、もっと話がしたいって方向に進むんだよ。話がしたいって、お友達じゃあるまいし。あんなに仕事ができるくせに、なんで恋愛事に関してだけは劣等生なんだよ。見積もりの工程抜けを指摘するんだったら、あの晩の行為に関しても留意しとけっつうんだ。  そんな生真面目な三十路上司に、俺たちのことを、あの人が持っている感情の正体をわからせるために、すっ飛ばした工程ひとつひとつを今、追いかけてる。  クソめんどくせぇことをしている。デート初回はこんなもんだろ。二回目のデートはもう少し距離を縮めて、三度目のデートは、キス。 「あの人、できんのか?」  そう呟いたところで自宅に辿り着いた。鍵を開けて中に入って、ふぅ、とひとつ息を吐く。部屋の空気は冷たく凍り付いていて身震いするほど。本当にブルッと震えると、同時にコートのポケットの中にあったスマホも振動したから、体感センサーでもついていて、ここは寒すぎるって震えてるのかと思った。 ――今日はありがとうございました。とても楽しかったです。では、また、明日、駅前にて十時に。何卒、宜しくお願い致します。 「……っぷ」  思わず吹き出した。何、このカッチンコッチンの岩みたいに硬いメッセージ。なんだよ「何卒」って。 「ありえねぇ」  笑い声が冷え切った部屋に響いて、なんとなく一度くらいなら部屋の温度が上がった気がする。  二回目のデートも宜しくお願いしますって、そんなメッセージもらったことねぇ。 「歩きやすい靴、履いてきて」  そう返信をしたら、すぐにまた返事が来た。 ――はい。わかりました。 「っぷ」  なぁ、あんたは今どんな顔をしてこの文字を打ってる? 面倒くさいほどの堅物で、生真面目だから正座でもして、言葉に迷いながら眉間に皺寄せて、難しい顔でスマホを睨みつけてるところが簡単に想像できた。 「……」  そんな奴、どこ探しても見つからない。 「はぁ」  今日はとても楽しかったです。そう書かれているのを何度も確かめた。楽しかったんだ、とホッとした。明日のデートも宜しくと言っているあんたの本心が喜んでいるのかどうなのか、それが気になって仕方がない自分がいた。 「今日は花織さんのほうが早かったな」 「……」  昨日と同じダークグレーのダッフルコートに深い緑色のスニーカー。カジュアルな靴を合わせたせいで、昨日よりもまた歳がいくつか若くなって、もう大学生と間違われることもなさそう。それと、居酒屋には入れなさそう。っていうか、三十路の営業課長が男子高校生にしか見えないってどうなんだよ。 「何?」  そんな三十路男子高校生がこっちをじっと見つめていた。昨日はあんなに慌てふためいてぎこちなかったのに、今日はボーっとしている。その視線があまりにも真っ直ぐで、相手は男だっつうのに、なんでか昨日のこの人みたいに俺が落ち着かなくなる。こんな、ただ見つめられただけで顔が少し熱く感じるなんて、今まで誰にもなかったかもしれない。居心地が悪いような、良いような、説明のできない落ち着かなさ。 「昨日と全然違うから、びっくりしたんだ」 「は?」  それはあんただろうが。俺より年上のくせに、なんで一緒に並んでる俺が男子高校生を連れ回す悪い大人の気分にならなくちゃいけないんだよ。同じダッフルコート来てるくせにどうして靴ひとつでそんなに歳が逆行すんだ。  俺のは服がカジュアルになったからそう見えるだけ。昨日はレストランに行くことも考えて、黒のコートにシャツだった。今日はダウンジャケットにしたから、だから昨日と違って見えるんだ。問題はそっちだろうが。 「よく似合ってる。とてもカッコいい」 「!」  心臓がトクンと鳴って、きゅっと縮んだ。 「今日はどこに行くんだ? わた、俺はあまり運動は得意じゃないんだが」 「ちげぇよ」 「?」 「動物園」 「……え?」  違った。この人が昨日と比べて変わったのは靴だけじゃなかった。 「クリスマスに動物園デート」 「!」 「それならあんたも人にぶつかずに歩けるし、俺も、ぶつかりそうになるあんたを引っ張り上げなくて済む」 「んなっ! 失礼なことを言うな」  頬が、頬の色が違った。昨日よりも赤くて、でも緊張はあまりしていないのがあどけない表情って感じがして、それで昨日以上に若く見えて、昨日以上に、目が離せなかった。

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