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第18話 楽しいです。
三連休のど真ん中がクリスマスイブ、なんて、きっとどこに行っても混んでるだろ? 昨日待ち合わせただけでも人にぶつかるほど不器用だから、どこに行くのも大変だと思った。男女のカップルがわんさかウヨウヨしているだろう繁華街を出歩くのもイヤだったし、店だって空いてる場所なくて、レストランで飯を食うのすら一苦労しそうだったから、この寒空、ただ屋外を歩き回るデートコースは不人気だと思ったんだ。それに、あんたなら――
「ほら! 見てみろ! 庄司! 虎が大きいぞ!」
あんたならはしゃぎそうだなって思った。こういうのをギャップ萌えっていうんだろうな。普段の仕事っぷりを見ていたら「虎? 虎の主な生息地は……」なんて難しい顔で解説するか、難しい顔でその動物に関しての解説文を全て読んで暗記すしそうな気がする。でも、本当のあんたはこんなふうにはしゃいで、笑って、目を輝かせる気がしたんだ。寒いし、ただ歩くばかりのデートコースも普段の俺ならめんどくせぇって思ってたけど、あんた相手なら、まぁ、それもアリかなって。
「はいはい」
きっと標準サイズなんだろう虎が暇そうに、もしくは目の前ではしゃぐ頬を、桃と同じ色にした男を、餌と間違えたように花織さんの前だけを行ったり来たりずっと繰り返してる。マジで餌だと思ってんじゃねぇの?
「はいはいって、お前、仮にも上司に向かって、なんだ、その」
「今は上司じゃねぇだろ」
「!」
虎に釘付けだったその人はこっちを見て、目を大きく見開いた。
「間違ってます?」
「ま、間違ってない」
美味そうだろ? でも、この人はお前の餌じゃなくて、俺のだから。誰にもやんねぇよ。
胸のうちだけで虎に言ったつもりだったのに、この人にはそれが聞こえたのか、顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。温かそうなダッフルコートからにょきっと現れた、白くて繊細なうなじがこの角度からじゃ丸見えだった。雄の本能を刺激してくるようなうなじまで真っ赤に染めて照れて戸惑うその人を挟んで、まさか虎と睨み合うなんて。かなり貴重な体験かもな。今度は俺をじっと威嚇でもするように「お座り」の姿勢になり、腰を据えて睨みつけてきやがった。
この人の全部を誰にもやりたくないと思った。
「あ、ほら! 見てみろ! 足がこんなに大き、い……ぞ」
「ホントだ」
じっと俯いていた花織さんがその斜め前、俺としてはちょうど真正面、そこに虎が座り込んだおかげで足をじっくり観察できて、その大きさを自分の手で示しながらこっちを見上げた。俺は逆にその足元を覗きこむフリをして花織さんへと顔を近づけ、間違ってキスすることもできるような距離まで屈んだ。
「!」
目玉が飛び出そうだぞ。三十路のくせに、この距離に人の顔があるだけで、「ボンッ!」って音が出たんじゃねぇ? って思うくらいに顔を真っ赤にしてフリーズしてる。
ぶっちゃけ、キス……してぇって思った。
この寒空、屋根もない、暖房もない、吹きさらしの屋外で丸一日歩いて過ごすようなデートコース。そこに、わざわざあっちこっちが煌びやかに光り輝くイルミネーションスポット無視して訪れるカップルなんてそうはいなくて、人はほんとうにまばらだ。
こんな開けた場所で、肉食獣、食物連鎖の頂点に立つ虎の前でキスするわけにいかないけど。それでも、この人のファーストキスが、欲しいと思った。
「次……」
この前、セックスした時には奪わなかったものを、今、俺は欲しくてたまらなかった。
「次、アフリカコースとアジアコース」
「……」
「あ、あと、昆虫館もあるけど? どこがいい?」
上体を起こすと、たったそれだけで空気が動くのか、頬に冷たい風が触れて、ひんやりとした。それだけ熱を持ってるって実感できて、思わず前髪をくしゃくしゃに掻き混ぜた。
「昆虫館……」
「昆虫館ね」
落ち着け俺。自分にそう呟いて顔をあげる。昆虫館はここから真っ直ぐ行った先にある。そっちへ歩き始めると、虎がじっと俺たちを見つめていた。座ったまま、首だけを動かしてこっちを眺めていた。
二回目で、しかも、屋外でキスなんてしてみろ。きっとこの人は飛び上がって背中仰け反らせて逃げていくぞ。
「んぎゃあああああ! ば、ばばば、バッタが! あんなにいっぱい」
ほら、こんなふうに「背中の骨持ってる?」と訊きたくなるほど仰け反らせて避けられるぞ。
「そりゃそうだろ。昆虫、館なんだから」
昆虫のところを強調してあえて伝えたかったのに、ちょうどそこで何かを見つけたのか、虫―っ! って叫びながら飛び上がった。
「何の虫だよ。つうか、虫全般苦手だったら昆虫館とか選ぶなよ」
「だって」
だって、って、あんた三十にもなって「だって」って言葉が似合うってさ。
「庄司がずっと寒そうに手をポケットに突っ込んでいたから、昆虫館なら温かいからいいだろうと考えてやったんだ」
「……」
なんで、ここは人が多いんだ。さっき、虎のところには誰もいなくて、いても遠くで別の動物をのんびり見学してる人だけだったのに、なんで、ここにはこんなに人がいるんだよ。って、そりゃ、寒いから暖を取りに来てるんだろうが、俺たちも同じようなもんだが、それでも、すっげぇ邪魔。
なんで、自慢気なんだよ。
なんで、三十路のくせに可愛いんだよ。なんで――
「あんたは虫が苦手、んで、俺は寒い。なら、こうしたらいいだろ」
「!」
別に寒いから手をポケットに突っ込んでたんじゃない。そうやって手を閉じ込めておいたほうがさっきみたいな衝動に駆られた時、抑えになるだろ。あんたといると俺は自分でも驚く行動に出るから。あの晩だって、俺自身、男相手にあんなになるなんて思いもしなかったんだ。一晩中なんて。
だから、こうでもして止めていただけ。でも、止めるのなら、暖をとるのなら、こっちのほうがいい。
「あったけぇ……」
「んなっ! なっ、な、な、しょ、しょじ!」
手を繋いで、俺のポケットにあんたの手をホッカイロの替わりに連れ込んでおけば、衝動もいくらか収まるし、手を握り締めているからそれで多少なりとも満足できる。あんたの一部に触れてれば、本能だって少しは我慢できるだろ? そして、温かい。しかも、虫はいない。
「デート、だからな」
繋いだ手から、この人の思っていること全部が流れ込んでくる気がした。デートって言葉に過剰に反応して、きゅっと掌を握って、そして、体温が上昇する。
俺が振り返って、あんたを見ただけで、掌はまるで返事をするように細かな反応を返すんだ。
「んで? アジア? アフリカ?」
外はまた誰もいなかった。ぽつり、ぽつりと人がいるけど、この寒さの中でここをデート場所に選ぶくらいの動物好きか、健康のために歩いているのか年配の人ばかりだった。だから、俺たちが手を繋いでいることに気がつく人はひとりもいない。
「あ、アイス」
「は? この寒い中でか?」
「わ、悪いかっ!」
悪くはねぇけど。でも、たしかにアイスが食べたいかもな。掌はやたらと温かくて、熱いくらいだから、アイスくらい食べて冷やさないとのぼせそうだった。
ちょうど近くにあった売店、昆虫館でのぼせた人に「はいどーぞ」とでも言うよう準備された店へ立ち寄りアイスクリームをひとつ。
「食べないのか?」
「食べるかよ。さみぃのに。それに、あんたの一口もらうからいい」
「! っ、ど…………ど、どうぞ」
すげぇ間を置いて、意を決したようにアイスを差し出す姿もツボだった。こんなふうに、提出した見積もりを返却されたら皆大喜びで直して提出してる気がする。
「ごちそうさま」
「……っ」
もちろん、そんなのさせないけど。
「なぁ、明日は……」
この人のこんな顔は誰にも見せないほうがいい。だから、明日は――
「ドライブ、にしようぜ」
そうしたら誰にも見えないだろうから。そんな思惑が繋いだ手から伝わったのか、花織さんが頬を綺麗に染めて、瞳を潤ませながら俺を見上げていた。そして、陽が傾いて来たからなのか、急に冷たさが増した風が俺たちの周りを駆け抜けて、落ち葉を慌しく走らせるから、思わず、ポケットの中にあるこの人の手をしっかり、逃がさないようにと強く握り締めていた。
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