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第19話 柔らかくて温かい
連休二日目、二回目のデートも夕飯を一緒に済ませて、駅で別れた。
――それじゃ、明日は……。
ドライブって答えると、じっとこっちを見ていた。何か言いたそうな瞳と何か言葉を言いかけて止まった半開きの唇に駅前だっつうのに、クラッとした。まだ一緒にいたいって言われるかも、なんて期待しかける自分がいた。
何度も衝動に襲われた。
あんたは知らないだろ? あんたの食べかけのソフトクリームを一口分けてもらうのだって、ドキドキしてた。呆れるだろ? 高校生のガキじゃあるまいし、間接キスなんてことを気にする歳でもなければ、キャラでもないのに、あのバニラはやたらと甘く感じた。
甘くて、甘くて、喉が渇くくらい。だから、何度も喉奥でツバを飲み込んで気を紛らわしてた。
あんたの鼻先が寒さで赤くなっていて、頬も触ったら熱そうなくらい真っ赤で、触れって誘われてるんじゃないかと勘違いしそうに、何度もなった。
「プレゼントですか?」
声を掛けられて、自分が無意識のうちに目の前にあったストールを撫でていたことに気がつく。クリスマスカラー、赤と緑のストールが一枚ずつ、綺麗にテーブルの上にディスプレイされていて、それの緑のほうがあの人に似合いそうだなって思ったら、なんか、触っていた。
「すごく柔らかくて温かいんですよ」
店員に言われなくても、触ればわかる。あの人の頬もきっとこのくらい触り心地が良さそうだって思いながら、それを撫でてたんだから。
そういや、あの人、マフラーしてなかったな。そういうとこ油断っつうか、隙っつうか、ダッフルコートだけじゃ寒い時だってあるだろうに、なんで首元守らないかな。鼻先赤くしたりして、風邪とかすぐに引きそう。
不思議だ。仕事中のあの人は風邪菌が避けて通りそうなほど隙はねぇし、逆に風邪菌全滅できるくらいに凶悪な時あるし。
でも、俺の前にだけ現れるあの人は隙だらけ。風邪とか簡単に引きそう。まるで別人だ。
「どうぞ、ごゆっくりご覧ください」
でも、俺だけが知っている隙だらけの花織さんがたまらなく。
「あ、すみません」
たまらなく、愛しくて、引き寄せて抱き締めたくなるほど、この人の全部がツボだった。
家に帰って、風呂入って、スマホを見た。初回デート同様、律儀な挨拶文があの人から送られて来てた。笑えるくらい、昨日と変わらずカッチンコッチンに硬い文章。「今日もありがとうございました」から始まる定型文みたいにかしこまったメッセージ。それを二度確かめるように読んでから、まだ濡れている髪をタオルで雑に拭く。
――返信遅くなった。風呂入ってた。
そう返した。わざと、雑な言葉を使った。仕事上では上司と部下、でも、プライベートではその立場は関係ないだろ? だから、雑に返したらどんな返事が返ってくるかなって。今の俺たちがどのくらい深いプライベートゾーンにいるのか確かめたかった。
――風邪、引いたりしないように。
返信の言葉が少しだけ崩れてる。
そりゃあんただろ。鼻先真っ赤だったんだから。だから、急遽感ハンパねぇけど、買っちまったじゃねぇか。カシミアの、すげぇ高いストール。深い緑色はきっとあんたの綺麗な白い肌を引き立たせる。
――今日は寒かっただろ? そっちは風邪引いたりしてねぇ?
――大丈夫だ。
「みじかっ、つうか、愛想ねぇ……」
クスッと笑って呟いた独り言が部屋に響くと、なんか、しんみりした。寂しいとか、ひとりがイヤとかじゃなくて、なんか、一本糸がこの人と繋がってるような錯覚が妙にくすぐったくて嬉しい。
――ならよかった。おやすみ。
そこで間が空いた。もしかしたら向こうは「大丈夫」と打ってすぐに風呂へ向かったのかもしれない。メッセージのやりとりを延々やるタイプじゃないだろうし。
「!」
――おやすみなさい。また、明日。
たったそれだけ。でも、その言葉はたしかに昨日よりもぐっと近くに来ていて、なんで、たったそれだけなのに。
「……っクソ」
マジでなんなんだ、あんたは。自分でも恥ずかしいくらい真っ赤になっただろうが。いきなり人の近くに来んじゃねぇよ。すげぇ、ガキみたいにドキドキしただろうが。こんなこと、ホント、あんたくらいだ。
面白くなんてないメッセージのやりとりを何度も読み返したり、クリスマスプレゼントを用意してみたり。今までこの時期にいた彼女に贈ったプレゼントは全部一緒に選ぶことのほうが多かった。そうしたら考える手間が省けるだろ? 一緒に選べば外れはないし、向こうだって欲しいものをもらったほうが嬉しいだろうし。
「……ったく」
こんな、これをもらった喜んでくれるかどうか考えるなんてこと、面倒だろ。どうやったって、次に会う時までわからないことをあーだこーたと考えたって仕方がない。そんなのわかってるのに、これを買ってからずっと考えてる。
喜ぶだろうか、って。
っつうか、喜べよ。高かったんだから。
「……」
あんたにきっと似合うって、すげぇ想像して、すげぇなんかドキドキしながら買ったんだから。人の心臓こんなにしたんだから、ちゃんと明日これを見たら、喜んで笑えよ。
そう勝手なことを胸のうちで溢しながらついた溜め息はどこか熱くて唇が震えてしまった。
三日目のデートはドライブ。それなら寒くないし、ふたりっきりで、この人の表情全部を独り占めできる。なんて、営業課の連中に言ったら、大騒ぎだろうな。絶対にふたりっきりになんて、社長に頼まれたってイヤだと断固拒否とかしそう。
しかめっつらの般若がずっと隣で前だけを見つめていたら、しかも無言で、たまに口を開けば、仕事のこと。あれができていないとか、これをどうして早く片付けられないんだとか欠点を指摘しまくられて、黙っていても、話をされても、どっちにしても攻撃力がハンパじゃない。だから、絶対に乗りたくない。
「…………」
「おい」
「……なんだ」
「こっち向け」
「無理だ」
そんな「花織課長」の弱点を発見した。まぁ、ある意味同じだよな。眉をキリッと吊り上げて、真っ直ぐに前を向いているだけ。楽しい会話なんてあるわけもなく、ただ車の走る音だけがしている車内。
「あんたなぁ」
「……」
「そんなに乗り物弱いんだったら、ちゃんと昨日言えよ」
「……」
いつも自分が言っているだろうが。「報・連・相」は必須だと自分で言っておいて、今回全然できてねぇじゃねぇか。
そう「花織課長」は乗り物に滅法弱かった。少しでも横に顔を向けた途端、車酔いで吐くらしい。また、吐くのかよって、あの晩のことを茶化してみても「申し訳ない」といって前を向いたっきり。
普通ドライブっつうのは音楽聴きながら、話をしながら、景色を楽しみながらするんだろうが、この人相手じゃそれもままならない。さすがだよって、呆れるとか面倒とか通り越して感動すらした。
本当に一瞬だって横を見たりしない。真っ直ぐ前だけを見ている。すげぇ面白い。まるでロボットみたいに会話も端的。あまり長く話しているとそれも車酔いに繋がるらしい。
さっきからずっとこんな調子で短い言葉のやりとりを繰り返している。
途中何度か停まって休憩を挟もうと提案はしてみたけれど、前を見ていれば「もつ」んだそうだ。っつうか、その「もつ」っていう言葉が逆にこえぇよ。山道だから車は停まらない。そしてずっと蛇行運転。酔うタイプには地獄みたいな道のりなんだろう。
「んなに無理なら言えばよかっただろ。車酔いするって」
「だから! まだ! 車に酔ってなどいない」
「や、酔う寸前だろうが」
そういうのを屁理屈っつうんだよ。厳しい横顔をチラッとだけ見て、さっきからずっとくねっている道に視線を戻す。たぶん、いつもよりも厳しいのは車酔いに意を決して挑むために気持ちを引き締めていたんだろ。
「ほら、酔いそうなんじゃねぇか」
「酔ってな、ぃ、うっ」
「あ、ちょ! 吐くなよ!」
「ううううっ!」
自分で横は向けないって車が走り出してから自白したくせに、なんで、今、この信号もなくただ走り続けるばかりの車の中で、いきなりこっち見るんだよ。さすがにこの密室はきついって慌てる俺の隣で、予想外ばっかしやがる課長が両手で口元押さえて唸ってた。
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