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第21話 駄々っ子の欲しいもの
なんなんだ、この人、本当に。
「ちょ! イヤだ! 俺は! まだ帰りたくない!」
三十路の課長が遊園地にまだいたいとダダを捏ねる子どもみたいにぼろぼろ泣いてんじゃねぇよ。なんだよ、帰りたくないって。ここはただの湖でドライブ中、狭い車内ばかりじゃ縮こまりそうだから気分転換くらいにはいいかもしれないが、別に丸一日いたいような場所じゃないだろ。
ここは遊園地じゃねぇ。
「離せ! 俺はっ!」
なのに、あんたはそんなにここが気に入ったのか? 今、掴んで引っ張っている手首がこんなに冷たくなるほど寒い湖にまだいたいのかよ。それとも――
「ッチ、マジで、めんどくせぇ、帰る」
「んなっ! イヤだっ!」
「俺の部屋」
それとも、まだ、デートの続きがしたいのか?
綱引きでもするみたいに、ズルズルと強引に引きずって連れてきた車の前、助手席のドアを開けた。乗ったらもう湖はお仕舞い。ドライブも終了。
「……ぇ?」
駄々っ子を止めた途端、ぽろり、と大粒の涙がひとつまた転がり落ちた。心臓を簡単に鷲掴みにできる綺麗な粒がコンクリートの上に落ちて、消えた。
「それともまだここにいたいのかよ」
こんなガタガタ震えるほど寒くて、クリスマスだっつうのに人がひとりもいないような場所にあんたはまだいたいのか? それとも、このデートの続きがしたくて駄々を捏ねてるのか?
でも、もしもデートの続きを望んでいるのなら、それはわかって言ってんだろうな。お手手繋いで並んでお散歩、なんてデートを俺は望んでいない。俺が望んでいるのは、今さっきしたキスの続きだ。強引に噛み付くようにしたせいで、柔らかなあんたの唇が赤くなったキスの続きを俺は望んでる。
「いたく……ない」
「……」
「ここに、いたくない」
そして、この人は涙に潤んだ瞳のまま車の中に自ら乗り込む。変な感じだ。まるでこの人を誘拐でもした気分になる。
バカみたいに不器用すぎて、綺麗な、何も知らない真っ白なこの人を引っ張って、連れ込んで、独り占めする悪人の気分がした。
「しょ、じ……お前の部屋って」
「……」
「その」
睫毛に涙が残ってた。何度も瞬きを繰り返したらまた転がり落ちそうなほど大粒の雫を目元にくっつけたまま、鼻先を寒さと泣きべそのせいで真っ赤にした年上の上司が、俺を、俺だけを上目遣いで見つめてる。
悪人でいい。
極悪人役、大歓迎だ。
「……ン」
助手席のドアをロックするように手を伸ばして、ここを完全な密室にしてから、もう一度、今度は深くキスをした。
「ん、っン……んふぁっ……っ」
唇を開かせて舌をそこから差し込んで、しっかりと味わうように口の中を蹂躙する。たっぷりと好きなだけ、この人の頬の内側、歯を舐めて、くすぐって、唾液を交換し合うように卑猥に舌を絡ませて、その唇が濡れて色づくまで深く口付けた。
「……ンっ」
唇を離す時、下唇だけを吸って、わざと音を立てると、すぐ目の前にあるこの人の瞼がきゅっと力を込めたのが見えた。睫毛、すげぇ長いな、なんて思ったのも、それをこの距離で気がついて見惚れるのも、あんたが初めてだ。
クリスマスデートにクリスマスプレゼント、アホみたいに考え込んで、めんどくさがりの俺が丁寧に丁寧にエスコートしたのも、こんなに楽しくて、こんなに困って戸惑って、ムカつくくらい周囲が見えなくなったのも、全部、あんたが初めて。だから――
「また、キス、した……」
「あぁ」
「あの、庄司、お前の部屋に俺が、その、上がったら、その」
だから、あんたのファーストキスも、初めての彼氏役も、全部、俺がもらったって別にいいだろ。
「その」
「……何?」
花織さんの熱い吐息が唇に触れるだけでイきそう。こんなに欲情したこと一度だってねぇ。
「その、お前の部屋にお邪魔したら……してくれるのか? ちゃんと、してくれるのか?」
この前のセックスは? あれはちゃんとしてなかった? そう思いかけた。
「ホント、あんたって……」
「しょ、庄司?」
「高雄」
でも、あんたの言いたいことがわかったから、その質問は言わなかった。
「恋人になるんなら」
ちゃんと恋人同士としてしたわけじゃない。あのセックスはこの人にとってはコンプレックスとトラウマを改善するための荒療治っていう意味合いのほうが強いんだろ。そんな理由だけでゲイじゃない俺が男相手にサカるわけないけど、でも、半分は合ってるかもな。
もうあの時みたいなセックスはできそうにない。もうあの時以上に嵌ってるから。
「苗字じゃなくて、名前で呼んで……要」
「っ」
今の俺はあの時以上にこの人を欲しがってるから、きっとあれはまだ、だった。まだ、今よりは余裕があった。でも、もうその余裕はどこにもない。あるのは胸が焦げそうなくらいに甘くて切ない感情だけ。
耳朶にキスをしながら、名前を呼んだ。どんな顔してんのかなって覗き込んだら、ぎゅっと目を瞑って、あの潤んで綺麗に輝く瞳を見せてくれなかった。
「く、くすぐったいじゃないか、た、た、たか」
「……」
高雄って呼ぶのが恥ずかしかったのか、ぽろぽろ泣いて溢した雨粒が染み込んだストールに顔を全部突っ込んで隠して、この密室だから聞こえる程度の、本当に小さな声で、俺の名前を呼んでいた。
でもちょうどよかったかもしれない。
今、俺も恥ずかしくなるくらい顔が赤かったから。この人がこんなに柔らかな声で俺を呼んだことに、窓の向こうでも見てないとどうにかなりそうなくらいに、照れていたから。
「帰る」
「……あ、あぁ」
お互いにぽつりと呟いて、そこからは無言だった。帰りのドライブはほとんど何も話さなかった。
「手、要の手って、あったけぇ」
そう一度だけ告げて、ずっと手を繋いでいた。乗り物酔いしやすいこの人の手を握って、その指の付け根にあるツボを押しているっていう大義名分をかざしながら、ずっと手を繋いでいた。
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