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第22話 意地悪、しないで

 ドキドキしてた。ずっと帰りの車の中で、ハンドルを何度も握りなおして、意識が左手で触れていたあの人に全部持っていかれないようにって注意しながら。なら、離せばいいだろって思うけど、でも、離せなかった。 「ここが高雄の、部屋」 「そうです。どぞ」  要がキョロキョロと部屋を見渡してるのを俺はじっと見つめてる。きっとこの人だったら、俺はいくらでも黙って見ていられるんだろう。 「ぁ……も、申し訳ない」 「っぷ」 「なっ! なんで笑うんだ」 「だって」  セックスもした、キスもした、順番はぐちゃぐちゃだけど、今日恋人になった男に対して申し訳ないって、おかしいだろ。でも、あんたはずっとそんなふうにしながら俺を虜にしてる。 「あの、花織課長が俺の部屋にいて、ほっぺたんとこ、赤くしながら部屋物色してるって、けっこう驚く出来事だと思うけど?」 「こ、ここで仕事の話はっ! それに、物色って、別に物を盗ろうと思って侵入したわけじゃ」 「じゃあ、お茶、飲みます? 湖、冷えたでしょ? 車の暖房じゃ温まりきらないだろうし。コーヒーでいいですか?」  なんでだろうな。あんたといると笑わせたいって思うし、可愛がりたいって思うのに、こうして困らせて、泣かせてみたいとも思う。こんなふうにあれもこれもって忙しなく欲しいものが溢れることってあるんだな。そんなの、知らなかった。  わざと課長として接して、この三日間一度だって使わなかった敬語で話して、温和な庄司君のフリをする。ただ、この人を困らせたくて、意地悪をしている。 「それとも、紅茶? 花織課長だったら、紅」 「意地悪……」  男の一人暮らし。彼女を家に連れ込むことはあっても、基本はひとり住まい。だから、キッチンらしいキッチンはなくて、リビング兼寝室と玄関を繋ぐ廊下に簡易的なキッチンがあるだけ。手を伸ばせばすぐに紅茶もコーヒーも棚から取れる狭いワンルーム。でも、どちらかを取ろうと棚に伸びた手は引き戻された。肘のところをぎゅっと掴んで引っ張られた。 「……しないでくれ」  ストールを首に巻きつけたまま、口元を隠しながら、ぽつりと呟いた人の瞳は潤んでいてたまらなく、そそられた。 「いじわ、っ……んんっ、ン、っ……ン、んふっ……ぁっ」 「眼鏡、邪魔っ」  コートを着たまま、ストールも巻いたまま、さらうように抱き締めて、キスをした。眼鏡にぶつかるのもかまわず押し付けるように口付けて、自分でも呆れるくらいがっついて下っ手クソなキス。 「要、舌、もっと出して」 「ン」  絡まり合う舌にゾクゾクした。あの花織課長が俺のいうことを素直に聞くことにじゃなく、ただ、この人の舌が俺に触れて、しゃぶりついてくれたことに興奮する。  角度を変えて、もっと濃厚に舌を差し込んで、この人の唾液を舐めて、唇を吸って、噛んで、また舌を入れて。 「んくっ」  唇をようやく離した時、要は何かが溢れて零れてしまわないようにって、大胆に喉を鳴らしてた。  何、この人。マジで、よくこんなんで経験ゼロとかでいられたな。 「どうした? 高雄」 「んー?」  ちょっと感謝するよ。 「あんたがぱいぱんでよかったなって思ったんだ」 「は? バッ! バカ! なんてことを言うんだ」 「はぁ? あんたこそ、ぱいぱんって、三回、会社の廊下で呟いただろうが」 「それは! っ! …………い、いきなり顔を近づけるな」  あんたがぱいぱんで、「たかが毛」じゃなくて、「されど毛」って思ってくれて本当によかった。コンプレックスだと思ってくれてよかった。警戒心剥き出しで、秘密を知られてしまわないよう誰も近づけさせずにいてくれてよかった。  ふぅ、と吐いた溜め息さえ唇に触れるくらい、額同士をくっつけて、この人のコンプレックスに感謝してる。 「ドキドキするじゃないか」 「これで? これから、もっと近づくのに?」 「っ」 「一番、あんたの近くにいくのに?」  誰よりも近い場所。っていうか、他の誰も入れない、あんたの中にいくのに? 「風呂」 「え?」 「寒かっただろ。湖。あんたが駄々捏ねるから」 「あれは!」 「風呂、入ろう、要」  俺がドキドキしてんのか? それとも要? わかんねぇ。空気丸ごと緊張してる気がした。俺のことをこんなふうに変えたんだ。めんどくさがりの俺がこんなに面倒な人のことをこんなに夢中で追いかけてるように変えられたんだから。その責任とって、あんたの初めては全部俺にくれよ。キスもセックスも、一緒に風呂に入るのも、全部、これからあるあんたの「初めて」は全部俺に。 「何? やっぱお茶飲みてぇ?」  むくれた顔が可愛い三十路課長はまた意地悪をしたと俺に怒りながら、風呂場と間違えてトイレのドアを開けて、少し驚いて。 「風呂場は、どこなんだ!」  なんて言ってる。ホント、この人が可愛くてたまらない。自分から乗り込む勢いなのもすげぇたまんない。 「隣だよ」  そのくせ、ほら、入ったら緊張する。 「俺が脱がす」  そして、子どもじゃないから自分で脱げるって駄々を捏ねるのを笑って眺めて、脱がせたいんだって言った時のリアクションも堪能する。 「…………なぁ、あんた、何してんの?」  鼻歌を思わずしそうになるくらい楽しみながらこの人を裸に剥いて、自分が脱ぐのなんて雑に済ませて、風呂に入ろうと思ったところで抱きつかれた。 「……要?」  鏡には裸の男がふたりが映っている。身包み剥がされて、隠せるものがなくなったこの人は目の前にいる裸の俺に抱きついて隠れたつもりになっている。息を飲むほど真っ白な肌に首筋から肩の辺りまでをまるで酔っ払っているみたいに赤くしながら、その細い肩でぎゅっと抱きついてる。胸んところに顔を埋めてるから、鏡の中のいるこの人は色っぽいうなじを晒しまくってた。 「や、これはさすがに恥ずかしいんだが」 「セックス、もうしてんのに? あんたのぱいぱん、がっつり見たけど?」 「ぱいぱんって言うな!」  自分では連呼するくせに。 「恋人相手でも?」 「……」 「見せて、要」  顔を隠してるから耳へと甘く囁きかけて、ふぅ、と息を吹きかける。息を詰めて、敏感なこの人が鼓膜でさえ快感を感じた瞬間。 「やっ」  ふわりと柔らかな産毛を指先で撫でた。 「あ、っン」 「要……」  股間を撫でながら、もう片方の手で白く綺麗な背中をさすり、真っ直ぐな背骨を指でなぞって見せた。ぞわぞわっと駆け上ってきた快感に要が顔を上げた瞬間、キスをして抱き締める。 「敏感……素肌で抱き合うの気持ちイイだろ? ぱいぱんだから、指で撫でただけでも、すげぇ、感じる?」 「も、意地悪」  意地悪はあんただろ。そんな顔して、甘い声で誘惑するくせに照れて、意地悪はしないでくれなんて言うんだから。 「ン、ぁ……ン、そこ、触ったら、ダメ、ぁ、高雄っ」  キスで濡れた唇でねだるように俺を呼んで理性を吹き飛ばすあんたのほうがよっぽど意地悪だ。

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