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第25話 もちろんヒゲも生えてない
仕事がバリバリこなせて隙なんて一ミリもない花織課長は実はけっこう気持ちイイことに弱くて、敏感で、色々気にするほうで、すぐに落ち込んだりもする。
「要、そろそろ起きないと、ここ、俺んちだぞ」
それと、朝が弱いらしい。
「んー……」
すげぇ気持ち良さそうに寝てる。この寝方、この人のくせなんだろうな。布団に顔半分くらいまで埋めて寝るの。見ているこっちが心地良くなれるようなそんな寝顔で、可愛い寝姿で。
「要」
でも、そんな人があと数時間したら、眼鏡越しでも睨まれると縮み上がる「花織課長」だもんな。
「起きろよ」
「んー……」
「要」
「んー……」
眉を少し動かしただけで全然起きる気配がない。朝、すげぇ強そうなのに。俺より弱いなんて。
そっとベッドに乗り上げて、覆い被さるようにしながら、身体を前へと倒す。起こさないように、そっと近づいて、黒髪をそっと指でかきわけ耳にキスができるほど唇を寄せた。
「起きてください。花織課長。そろそろ営業会議ですよ」
「!」
「あ、すげぇ、目開けた」
さっきまで「んー」しか言わなかったのに、まるでスイッチがオンにでもなったみたいに目を見開き、頭をフル回転させ始めた。
そして、ここが自分のベッドじゃなくて、俺のベッドで、俺と昨日セックスして、一緒に眠った、っていうのをひとつひとつ思い出しながら、要が百面相していた。驚いて、そうだったと納得して、恥ずかしがって、微笑んでいるのを見て、あと数時間後には出社なのに押し倒したい衝動に駆られる自分がいた。
「あんた、スーツ着ないとだろ? 今日、車で送るから」
「え?」
会社の近くにあるコインパーキングに停めておけばいいし、電車じゃここから自宅に戻って出社するのも面倒だろうから。説明をしながら、ベッドから降りて、朝の色気を漂わせる年上の恋人から離れ、コーヒーと朝食の準備にとりかかった。
コーヒーは大丈夫だよな。たしかデスクでも飲んでいるのを見かけたことがあると思う。そうだ、その時、案外甘党なんだなって思ったっけ。
コーヒーはブラックしか飲まん。砂糖? ミルク? そんなの入れたら、コーヒー豆の風味がなくなるだろうが! なんて言いそうなのにがっつり甘いカフェオレなんて飲むんだなって思った。
でも、今ならカフェオレを飲むこの人のほうが想像できるけど。しかも両手で持って飲んでそう。
朝飯とかもさ、前に持っていたイメージでなら絶対に定番の和朝食か、イギリススタイルの朝食だった。
「なぁ、要、朝飯、パンでいいか? あんまちゃんとしたもの食わないから、ロクなものがない」
「……」
そうだな。要なら、パンにジャムを菓子じゃねぇんだぞって言いたくなるくらいに塗りそう。
「ソーセージは? 野菜とかないけど」
「……」
あと、猫舌だと思う。「花織課長」は静かに熱々の味噌汁とか飲んでそうだけど、要はずっとフーフーって冷まし続けている気がする。
「っつうか、今日って出張とかないよな? あった? もう年末だからないか」
「……」
「今週で終わりだもんな。っつうか、要、野菜なくてもいいか?」
ひとつも返事しないから、二度寝してんじゃねぇだろうなって振り返った。朝がこんなに弱いから起こすのも大変だけど、あんた、ひとり暮しでどうやって起きてんだよって思いながら振り返ると、要がこっちを真っ直ぐに見つめていた。ベッドの中に座って、裸の上半身剥き出しで、キスマークをあっちこっちにくっつけたまま、ぽかんと口を開けてこっちを眺めている。
「要?」
「……ぁ、いや、ヒゲが……」
「ヒゲ?」
生えてる、本当に生えてるって思ったんだ――と、昨夜のセックスで少し掠れた声が呟いて、顔を隠そうと俯いてしまう。
ヒゲ? そう言われて顎の辺りを触るとたしかに少し伸びてる。そりゃ朝だからヒゲくらい伸びてるだろ。
「今、起きた時、すぐ近くに高雄の顔があって、その顎にヒゲが生えていてびっくりした。俺は朝でもヒゲ剃る必要なんてほぼないから」
「……」
「さ、触ってみてもいいか?」
今、すげぇ思った。
「どうぞ?」
今日も休みだったらよかったのにって。もしくは、二回目のデートの時に押し倒しておけばよかったって。
「おお……チクチクする」
「そりゃぁ、ヒゲだからな」
せっかくベッドから、昨日の余韻を身体にも雰囲気にも残したあんたから離れたっつうのに引き戻すなよ。
年上の綺麗な上司は少し嬉しそうに頬を蒸気させながら、ベッドに戻ってきた年下の顎を撫でている。ただのヒゲに目を輝かせて喜ぶ姿に何かが沸点を越えかける。でも、だから、あと数時間で出社だっつうの。今さっき、頭の中で朝食をテーマに色々考えながら、追い払ったばかりの衝動がまたグツグツと腹の底で煮立ってきそうになるから。それを押さえ込もうと、この後、出社までの数時間のタイムスケジュールを考えようと思った。
朝飯食って、身支度を俺は手短に整えて、車でこの人の自宅に寄るとして、おおよそどのくらい時間がかかるのか、とか。
「ヒゲだけじゃなく、朝から高雄はカッコいいな」
「……」
「! ちがっ! 違う! その! ヒゲのせいだ! ヒゲ! 俺には生えてないからっ! だから」
あぁ、もう。人が色々考えて、今はダメだって堪えてんのに、そんな俺の我慢を簡単に吹き飛ばして煽るなよ。思わず零れた言葉とふわりと微笑みながら見惚れる視線に、もう遅刻でもいいだろって、目の前にいるのが自分の上司だっつうことも忘れて呟きそうになっていた。
「ねぇねぇ! 庄司さん!」
「あ、荒井さん、このメールなんだけど」
朝から今ハイテンションな彼女を相手にするのはめんどくさいんだけど、会社では温和で優しい庄司君で通してるから、ここではニッコリ笑顔を向けないといけない。
「見ましたっ? 課長の!」
すげぇ目を輝かせて、小声のつもりなんだろうけど、このデスク界隈にいる人は、ほら、皆耳を大きくして盗み聞きする気満々だ。
「課長がどうかした?」
チラッと、話題の課長へと視線を向ければ、眉間の皺を深く刻んだ厳しい表情で電話をしていた。あんな怖い顔で誰と話してんだと思うほど、眉間に皺を刻んでいるのは今朝した約束があるから。生真面目な性格だな、本当に。
――その可愛い顔、社内ではやめろよ。
どれだ! どれが可愛い顔なんだ! って、自分では無意識らしいから、ずっと眉間に皺寄せててって言ったんだ。可愛くて、押し倒したくなるからって、それは大問題だと一生懸命に眉間に皺をゴリゴリ刻んでる。
「首んとこに! キスマークがあるの!」
「へぇ……恋人いるんだね」
俺だけどな。
「ねー! いるんだねーっ! あんな怖い顔しててよく彼女怖がらないよね」
俺がその彼女だけどな。
「あ、でも、すこーしだけ、わかるかも」
「え?」
思わず、こっちの眉間に皺ができた。
「だって、さっき、すっごい可愛かったんだよ。何見てたんだろ」
その時の笑顔がすっごく可愛くて、キスマークがあの花織課長についてる、っていうか、あの花織課長があんなふうに笑うなんてっていうほうがびっくりだったよ。
そう呟く荒井さんに見つからないようにしつつ、隙だらけじゃねぇかって文句を言いそうになるのをどうにかして堪えていた。
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