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第26話 鯉発見
まったく、どんな可愛い顔してたんだよ。
――眉間に皺寄せてるのに、なんか、ものすっごく可愛くて! 一瞬、見惚れちゃいましたよっ!
荒井さんは普段敬語を使うのに、その彼女が敬語で話すのも忘れて、大興奮でタメ口で俺に花織課長のことを語っていた。すっげぇ眉間に皺寄せて、すっげぇ可愛い顔してたって、飲み屋とかだったら絶対にテーブルをバンバン叩いてそうな、そんなハイテンションになるくらいに可愛い顔を、あの人がしてたんだって。
何見てたんだろって、あの花織課長がそんな顔をするなんてよっぽどのものを見たんだろうと興味津々だった。そのくらいにいつもとは違った表情。
眉間に皺寄せても荒井さんが食いつくってどんなだよ。
「庄司さぁん、三番にお電話です」
その食いついた荒井さんが電話を取り次いでくれた。電話の相手は取引先のうちのひとつだった。あと三日でうちの会社は年末年始の休暇に入る。そんなギリギリに取引先からの電話なんてあまり歓迎したくない。納期の前倒しか、もしくはクレームか。どっちにしてもイヤな話。
「お電話替わりました、庄司です……お世話になっております……アハハ、忙しいですよ……えぇ」
あー、納期前倒しだったか。そっちのほうがイヤだったんだけど。クレームだったらとりあえず内容聞いて、そこから別部署巻き込んでの対応だから。でも納期となるとなぁ。あ、でもたしかこの製品って。
「明後日に……えぇ……そう、ですね……ちょっと待っていただいてもいいですか? 今、進捗を……」
電話を首のところに挟んだまま、一応、パソコンでその製品の現状況を調べる。やっぱりそうだ。
「大丈夫ですよ。えぇ、明日出荷できます。えぇ……はい……わかりました」
よかった。これ、たまに納期が前倒しになったりするから、早めに仕上げて欲しいって頼んでたんだった。ホッとして顔を上げた。
「……えぇ、午前中着ですね……はい」
そしたら、花織課長、っつうか、要と目が合った。目が合ったというよりも、俺が電話で話している声に反応して、チラッとこっちを見たところで、俺もちょうど顔を上げて、ほぼ真正面にいる要を見つけたって感じ。
眉間に皺をちゃんと寄せていた。年下の彼氏の頼みをちゃんと守ったりして、すげぇ真面目すぎて、なんか俺はツボをまたゴリッと押されながら、困った。
「はい。いえいえ、はい。それでは、良いお年を」
そりゃ、荒井さんも萌えるだろ。何、その可愛いしかめっ面。あんたって不器用なんだか器用なんだかわけわかんねぇ。っていうか、器用だろ。
朝、あの人を車で送らなくちゃいけないのに、なんかふたりしてダラダラしてたっつうか、イチャイチャしてたっつうかで、時間がなくてあまり髪をちゃんとセットしてこなかった。でも今日は外回りは予定されていないから、髪が多少ラフでもいいかなって。そのせいでこんな時、前髪が邪魔になって、度々かき上げていた。
なぁ、その仕草が気に入った? 要のツボをゴリ押しできた?
眉間にしっかり皺を刻んでいるのに、色白だから薄っすらだろうが頬を染めると目立つし、綺麗だし、艶出るし。それだけじゃなく、なんか怖い顔をしているつもりの愛玩動物っぽい。怒ってるのに撫でくり回したくなる。
――何見てたんだろ。
あの人が見てたのは、俺だよ。俺が今日は時間がなくてあまりセットしなかったラフな髪をかき上げる仕草を見て、ツボ押されて、見惚れてたんだよ。あの人は自分の彼氏の仕草を見て照れて困ってたんだ。
「は? そんなこと、私はしてない」
そう言うと思った。
「してたんだってさ」
ムスッとしているのは、デレた顔なんてしていない! っていう文句と、あと、午後の一服タイムにコーンポタージュが飲みたかったのに、何度ボタンを押しても自販機がいっこうに吐き出してくれないから。
「ここを叩くんだっつうの」
中央から少し下、右よりの辺りを思いっきり一発。ほら、出た。
「……ありがとう」
「どーいたしまして」
眉間に皺を寄せて、口をへの字にして、両手であっつあつのコーンポタージュを持つ、三十路の鬼課長がヤバいくらいに可愛いって話をしに、ちょっと追っかけをしてみた。
荒井さんが見てしまったっていう要の可愛い表情を指摘するために。
「コーンポタージュ、好きなの?」
「悪いか」
悪いよ。すっげぇ悪い。可愛いから。だから指摘して、直させないといけないのに、俺が今ほだされて抱き締めたくて仕方なくなってる。
器用な顔。眉間に皺を寄せて、たしかに怖い顔のはずなのに、皆がビビる「花織課長」のはずなのにどこか可愛いんだ。頬がピンク色だから? 唇がみずみずしいから? レンズ越しでも見惚れるくらい綺麗な瞳だから?
「髪、かき上げる仕草、好き?」
「!」
呟くと素直に顔を上げて、その瞳に俺がしっかりと映っている。キラキラ光っている瞳が大きく見開いて、「バレてしまった!」ってうろたえた。
「別に、邪魔なら切ってしまえばいいのにと思っただけだ」
「こういう仕草も好きだったりして」
「! す、好きじゃない! 仕事中だぞ!」
少しだけ眉間に皺を寄せつつ、ネクタイを緩める仕草。腕まくりもしておくと効果的かもしれなかったと思ったけど、でも、要にはネクタイっていうアイテムひとつで充分だったらしい。
「今、休憩中」
口はへの字だし、眉間すごいし、怒った口調だし。でも、その瞳はキラキラ輝いて、俺だけをめいっぱい見つめてる。口元とは正反対に俺にだけ向けられるビームっつうか、熱っつうか。
頬がピンクだからってだけでも、唇がみずみずしいからってだけでもない。どうしてって、そりゃ。
「休憩は五分で終了だ! ほら、お前はちゃんとデスク戻れ! 俺は、まだあと一分ある!」
「じゃあ、早く飲みなよ」
「熱くて飲めないんだ!」
そりゃ、恋、してるからだろ。
「猫舌とか……」
「ちょ、おい!」
花織課長は自分のことを「私」っていう。なのに、今、俺って言った。怒っているのも、俺って間違えて言ったのも同じ理由? ドキドキした? なぁ、今、彼氏にドキドキしすぎて動悸がすげぇ?
「火傷してないか診てやる」
「まだ飲んっ、ンっ…………ん」
強引に引っ張って、自販機の陰にこの人を隠してキスをした。唇に触れて、離れて、でも、みずみずしい唇はごちそうみたいに美味いから、もう一度口付けて。
「っ、しょ、しょ、職場だぞっ」
今度は離す時に音を立てて啄ばんだ。それをすると、こっちが困るくらい可愛い困り顔をするから。職場で、まだ仕事中で、五分休みの短い時間だけど、それでもキスしたくなったのは要のせいだろ。あんたが可愛いのが悪い。
「あ、花織課長、さっき今年最終日の予定について回覧来てたんで、課長のハンコ、お願いしますね。……それと」
耳元にキスで濡れた唇を寄せる。
猫舌のくせにコーンポタージュを好んで飲もうとするのも、毎回自販機に意地悪をされるのも、そもそも猫舌っていうことも、何もかも、その眉間に皺寄せるのさえ可愛いなんて。
「舌、舐めてみたけど、火傷してなさそうでよかったですね、課長」
そう言ったら、顔面真っ赤にして口を鯉みたいにパクパクさせる、要が悪いんだ。
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