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ホワイトバレンタイン編 1 本当は優秀な人、なんです。多分。

 最近、要が変だ。  昨日だって。  ――イク! 俺は! イク! ……ぅ、う、うううううっ…………あぁぁぁっ!  いや、いつも、若干、変だけど。  ここのところ、かなり忙しくて、でかいプロジェクトを鬼の花織課長から任されてる俺は、少し残業続きで。  その日も頭がボーッとするくらいヘットヘトになりながら帰宅すると、リビングの方からそんな声が聞こえてきた。イクイクって連呼しながら、息も絶え絶えな、会社では「鬼の」なんて呼ばれているはずの俺の要の悲鳴じみた声。  慌ててリビングに駆け込むと。  ――あっぅ……。  片手にはヘロリとなったガムテーム。ピクピクと動かしながら、空を彷徨う、もう片方の手。そしてうつ伏せで倒れる「鬼の」花織課長。  どこから仕入れてきた情報なのか、抜くと、毛根が刺激されて毛が濃くなるらしい。それを少し実験してみようと、腕のガムテープ貼り付けて一気に剥がして、倒れ込んだところに俺が帰宅した。  それから二日ほど、ガムテープ一気剥がしをした腕は皮膚が爛れて大変なことになっていた。そりゃそーだろ。使ったガムテープ、あれどこで買ってきたんだ? 「貼れる場所は無限大。どんな場所にも強力くっついて剥がれることはありません! 庭仕事に、掃除に、お片付け! 全てのところにくっついて剥がれ知らず! マックス密着超ウルトラハードガムテープ!」って。  怪しいだろうが。  毛根を刺激なんてされるわけもなく、むしろ絶大なダメージを食らっただけ。  もちろん、要の腕はツルツルなままだった。  それで生えてきたとして、だ。  その「貼れる場所は無限大」……以下同文、の、ガムテープ股間に貼る気だったのか?  いや、あの人なら貼りそうだけど。  毛のためならたとえ火の中、水の中! だ! 気合いを入れねば! とか言って、頑張りそうだけど。  その前には、謎すぎる毛生え軟膏を薬局で見つけ出して、買おうとしてたし。慌てて止めたけど。  そういや、あれの謳い文句、「塗れる場所は無限大。どんな場所にも浸透してうんたらカンタラ」だったな。ガムテと同じメーカーなんじゃないのか?  つまり……そんな要が……最近…………じゃないな。  常に少し変だけど。  と、その変な要を監視しつつ、カフェで溜め息を一つついた。 「ね、なんかの罰ゲームとかしてんのかなぁ」 「でしょ。じゃないと、わけわかんなくない? あれ、絶対につけ髭じゃん。つーか、高校生っしょ? どこの高校か聞けばよかったぁ」 「確かにぃ。なんで高校生が付け髭つけて、リーマンみたいな格好して、なんなんだろー」  …………いや、結構常々相当変だけど。ほら、女子高校生になんか言われてるぞ。 「変装にしては下手すぎ」 「可愛いい、高校生だし」  変装はド下手くそだけど、あれで大企業の超有能営業課長だぞ。  高校生じゃないし。  もう三十路のサラリーマンだし。 「……」  まぁ、罰ゲームしてる高校生、には見えるけど。  何その付け髭。  毛生え薬といい、どこで見つけるんだ? その付け髭も。その怪しいものを見つける才能、なんなんだ? この現代社会でそのクオリティってすごくないか? 百円均一のとこだってもう少しクオリティ高いだろ。ほら、隣に座ってるサラリーマンがめちゃくちゃ見てるぞ。なんで付け髭? って、思わ……あ、あのリーマン、なんか見過ぎだろ。おい、頬、少し赤くするなよ。要の実はとんでもない美形に、気がついて、声を、かけ……ようとして、やめた。美形だろうが、あまりに怪しくて。  怪しいさがすごいな。  カフェでカフェモカ、そんなに睨みつけてたら、異様すぎるだろ。  付け髭なかったらものすごい美形じゃないか?  と気がついたところで声、かけられないよな。  流石に俺でも声かけないわ。 「……ったく」  ホント。  今度は何を発見したんだろうな、あの人。  そう思いながら、要がじっと座っている席がよく見えるところに俺も腰を下ろして、カモフラで持ってきたノートパソコンで少し自分の顔を隠そうと、背中を丸めた。  そんな風にいつも多少変な、要がここ一ヶ月、特におかしい。  挙動不審。  ……いつもそうだけど。  異様に多い独り言。  ……いつもだけど。  それから、最近、一人時間が多い。  ……これだけいつものことじゃない。  ――え? 昨日は、企業コンペの後、そのまま直帰予定だったっすよ?  要の様子がおかしいと気がついた発端は、山下のそんな一言だった。  山下と外回りだったはずの要は、その日、かなり帰りが遅かった。  翌日、同行していた山下は楽しい飲み会だったなぁと呟いた。  俺は、あんなに帰りが遅かったのに、飲み会に行ったのか? 元気だなって。  いやいや、昨日は帰りが早かったから、スッチーとの飲み会に参加できたんすと、山下が晴れやかな表情で話してくれた。  スッチー、って。  今時、フライトアテンダントのことをそう呼ぶ奴いないだろ。お前は昭和か。とツッコミするのも忘れた。  ――え? だって、今日は定時上がりって仰ってましたよ?  また別の日には荒井にそう言われたし。  ――んー、今日は何やら急いでいたみたいだねぇ。  ベテランにもそう言われたし。  とにかく、帰りが早いはずなのに、帰宅したのが遅い日が何日かあった。 「!」  何か、隠してる。  そうここ最近の異変を思い返していると、要は神妙な顔で立ち上り、懇切丁寧に、「ごちそうさまでした」と凛々しい声で店員に告げ、あっという間に飲み干したカフェモカの入っていたマグを片付けて店を出るところだった。  ほら、異常だ。 「そろそろ行かないと……」  そう呟く、要はそもそもおかしかった付け髭にたっぷりと生クリームをくっつけたまま、颯爽と、どこかへ向かっていっていく。  高恋生にしか見えない三十路、鬼の花織課長を俺は慌てて追いかけた。

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