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ホワイトバレンタイン編 2 花織課長の隠し事

 ジムとか、かなぁって思った。  一番、ありそうな隠し事。  最近、ジムってあっちこっちにできていたし。この前もうちのマンションの最寄り駅のところが建物を建て壊しされて、何ができるのかと思ったら、そこにジムができた。最新鋭のトレーニング機器完備、新規会員募集ってチラシが入ってきてた。オープンは三月って言ってたっけ。  ジムで筋肉つけて、男性ホルモンが増えたら毛が濃くなる、とかな。  要ならそういうこと思いつきそうかなぁって。 「……」  そう思いついたんだと、嬉々として打ち明ける要の表情を想像したら、ふわりと気持ちがほぐれていく。  これは素晴らしいことを考えついたぞ、ってさ、きっと、頬をピンク色に染めながら、嬉しそうに話すんだ。  ありえるなぁって、さ。  本当にここ最近は、今度のコンペに向けて忙しくて、資料作りも難航していて。仕事は仕事、プライベートはプライベート。そう思ってはいるし、帰ってきてまで仕事するつもりなんてなかったけど。それでも頭の中にはあの資料をどう展開しようか、どう説明を挟むと効果的なんだろうか、と、仕事の考え事がこびりついて剥がれないくらいだった。  そんな間に、なんか、そんな可愛いことを思いついているんじゃないだろうかって、あの見慣れた綺麗なシルエットの後ろ姿を追いかけた。  追いかけてるから表情は見えないけど、頑張ろうって気合いを入れてさ、一生懸命ジムに通う要を想像したら、気持ちがほぐれて、口元が柔らかくなっていく気がした……んだけど。 「!」  そんな要が入っていったのは。 「……カルチャースクール……」  ジムは……ぁ、ほらあった。一階にある。習い事が各フロアにある、総合的なビルらしい。 「?」  けど、その一階には行かない、らしい。  要はジムへと続く扉を開けることなく、エレベーターの方へと向かって行く。距離を開けつつ、要がそのエレベーターに乗り込むことを確認して。  降り立ったフロアは……。 「…………ここって」  エレベーターの小さな箱で要が上がっていったフロアには、ジムはない。  あったのは――。 「……」  もう乗客をその希望されたフロアへ降ろし終わったエレベーターがまた地上一階の俺のいるところに降りてきた。もちろん、要は乗っていなくて、俺は要が降りたであろうフロアの数字を押す。一階、二階、三階と、またエレベーターは静かにそのフロアまで上っていく。  止まって、扉が開くと、もうすでに甘い香りがした。 「……」  そっか。  忙しくて、季節感がなくなってたけど。  そろそろ、バレンタイン、だった。  降り立ったフロアにはパティシエ教室があった。  社会人向けのお菓子作りを学べる教室。壁に大きなポスターが貼られていてる。バレンタイン特別企画、短期教室って。 「……ったく」  ホント、あの人は俺の予想の斜め上をいく。  ジムだと思ったんだけどな。 「……はぁ」  まさか、チョコレート教室だとは思わなかった。  そんな可愛い隠し事だとは思ってなくて。 「バレンタインって、今年 、いつだっけ」  スマホで調べると、どうやら今年のバレンタインは平日ど真ん中らしい。 「水曜か……」  その時だった。  教室の向こう側から元気な声が聞こえてきた。  あまりに素直なその声に思わず笑ったんだ。  だって、うちの会社じゃみんなが一目置く、鬼の花織課長なんだ。有能で、仕事には厳しいはずの人だけど。 「今日も是非よろしくお願いします!」 「はい、それでは、皆さん、テーブルに並んでください」 「はいっ!」  はぁ、もう。  本人は、見られてるなんて思いもしないよな。 「つか、マスクしてるんだから、付け髭取っとけばいいのに」  なんとなく、マスクの中が忙しそうな変な付け髭要。  隣にいる女性の生徒と楽しそうに、けど、真剣な表情をしながら、先生の指示に耳を傾けている。  今年の新人研修の時に言ってたっけ。  メモはしっかり取りましょうって。二度同じことを尋ねることのないように、教わったことをしっかり覚えられるように、メモはとても大事ですってさ。その言葉を自ら実践して、小さな、その綺麗な手に収まるサイズのメモ帳に一生懸命、先生の解説をメモっていく。今のこの時代に、超アナログなメモ帳とシャーペン。  その頬は、俺がここに向かう要の後ろ姿を追いかけながら想像した、柔らかいピンク色をしていた。  少し華奢なスーツ姿を追いかけつつ思い描いた、真剣な眼差しで、真面目に。  でも、教わってるのはトレーニングじゃなくて、鍛えるとかじゃなくて。  バレンタインに送るチョコレート作りを他の女性生徒たちと一緒に学ぶお菓子作りの教室だった。 「駅前のデパートならあるかな……」  もう出揃ってるだろ。バレンタイン向けのプレゼント。  これから「隠し事」を頑張る要にそっと背中を向けて、どうしても笑みが溢れる口元を手で隠しながら、俺が戻るのを待っていたかのように、そこに止まっていたエレベーターに乗り込んだ。  何にしようか。  お菓子とかは、要が作ってくるんだろうから、それを一緒に食いたいし。  デパートならきっと社会人向けのアイテムが揃ってるだろうから。 「何がいいかな……」  駅からここへ向かう時は、一生懸命な要を想像した。  今度、カルチャースクールから駅へと戻りながら想像したのは、俺のためにって頑張る要で。  仕事のことがこびりついていた頭の中は、どこかスッキリと晴れ渡っていて。  外を歩きながら感じた風は真冬のそれよりもいくらか温かくなってきていることに気がついた。

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