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ホワイトバレンタイン編 3 久しぶりの残業で思うこと

 コンペ、コンペティション。  クライアントが複数の企業に対して、プロジェクトの目的、要望、条件などを提示し、それに対し、参加する複数の企業から回答を提示してもらい、最も良いと思った企業の提案を受け、発注する形のこと。 「………………っっっはぁ」  くっそ重たい溜め息を会社の休憩エリア天井に吐いてから、目を閉じた。  クソ疲れる。  ほぼ手足を放り出すようにソファに浅く腰を下ろして、そのまま寝転がるように背もたれに寄りかかった。こんな格好、もう残業時間でも遅い時間帯じゃなくちゃできないような座り方だ。  今の時間は。 「……」  夜の九時にそろそろなる頃。  こんなに残業してるのなんて、要がうちの課の課長になってからはほとんど無くなってた。けどその前は、営業は遅くまでいるのが普通、くらいのノリでほぼ毎日残業してたっけ。 「はぁ」  疲れた。  コンペの準備と、プレッシャーと、それから……緊張とで普段の仕事の倍以上の疲れがずっしり蓄積していってる。  天井を見上げながら、そっと自分の額に手のひらで触れて、それから目を隠すように目元を覆い、その手の中で目を閉じた。  もうひと踏ん張りなんだ。  あとは、もう一度、原稿のチェックをして、資料の方を再確認。それから山下に頼むアシスタントの役割分担の確認を、けど、これは前日でも間に合うだろ。本当に少しだけ手伝ってもらうだけだし。俺が完璧にこなせればいいんだ。だから――。 「あ、ここにいたんすね。庄司先輩」 「……山下」 「お疲れ様でーす」 「あぁ」 「資料のまとめ終わったっす。あとは当日配る分のコピーとか荒井さんがやっておいてくれるって」 「頼んでくれたのか?」 「はい」  そっか。やばいな。コピーのこと完全に頭からすっぽり抜け落ちてた。前日に大慌てになるところだった。  もう一度、そのギリギリセーフで助かった安堵と、そんな当たり前の準備をすっかり忘れていた自分のいっぱいいっぱいなことへ呆れたのが溜め息となって、口からこぼれ出す。  コンペに参加するのなんて初めてじゃない。  むしろ営業だから何度も何度も出席している。コンペを自分で仕切ったことだってある。  けど、この大規模な案件で全てを一人で任されたのは初めてだった。規模のデカさは関係ない。やることは同じ。提示された条件を熟知して、企画を練って資料集めて、クライアントが気にいるものをプランニングするだけ。  なんだけど。  この規模となると逃した時の損益は相当なものになる。  言い返せば、選ばれれば莫大な仕事が舞い込んでくる。この、会社を背負うプレッシャーがハンパじゃないんだ。 「さすがに疲れましたねぇ。もうここのところ残業続いてますもんねぇ」 「あぁ」 「けど、もう一踏ん張りっすね。あーぁ、俺も彼女がいたらなぁ。コンペ終わったーってめちゃくちゃ甘えて癒してもらうのになぁ」 「スッチーはどうしたんだよ」 「うっ」  そこで山下が心臓を射抜かれたのか、潰れたのか、止まったのか、胸の辺りを突然押さえて、苦しそうな仕草をしてみせたのをチラリと横目で見て、また溜め息をついた。 「いいなぁ。庄司先輩は甘えるところがあって……ん? でも、課長相手に、そんなの、甘えられるのか? う、うーん」 「……アホ」  うちの課の奴らの数人にだけは話してる。一緒に住んでるし、どこかでバレるより、何か詮索されるよりもその方がいいだろって。要と俺が恋人の関係になることは。他の部署は知らないことだし、この小さな営業のうちの、そのまた数人、けどこの数人は他に、このことを漏らすこともなく、変に気を使うことも、冷やかすこともなく、そのまま変わらない態度でいてくれてる。  だから俺たちもそうたいして変わることなく、職場では上司と部下でいられる。もちろん率先して、プライベートをペラペラ話すこともなくて。 「俺を探しに来たんじゃないのか?」 「あ、そうでした! 今日、資材部から俺と花織課長で担当してる案件のことでメール来てたんですけど、庄司先輩にも転送しておきます。なんか、海外からの部品に延滞が発生してるみたいなんで、課長が転送して情報展開しておくようにって」 「あぁ、助かる」 「そんじゃ、あと一踏ん張りっすね」 「そうだな。もう一踏ん張りだ。俺ももう戻る」  山下は飛び跳ねるようにベンチから立ち上がると、そのままパタパタと駆け足でオフィスのデスクへと戻っていった。 「……」  あと、一踏ん張り、か。 「……はぁ」  このコンペが終わったら。  ――コンペ終わったーってめちゃくちゃ甘えて癒してもらうのになぁ。 「……甘えて癒してもらう、ね……」  要が一緒にこの案件に携わっていたらもっと全然気が楽だっただろうな。一人で請負うだけでこんなんじゃ、カッコつかない。だから、甘えて、癒してもらえるくらい仕事ができるようになったら、だ。まだ――。 「ふぅ……」  要の相手として、このコンペくらい平然とこなせないとだろ。  じゃなきゃ、カッコ悪い。 「……よし」  一つ、息を整えて。立ち上がると、颯爽と見えるように、大きく一歩を踏み出した。

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