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第29話 明けまして、おめでとう
長ねぎに、ほうれん草も? は? ほうれん草ってこんなにすんの? 高くねぇ? っつうか、入れなくても良くねぇ? テンカスとかあれば充分な気がすんだけど。
大晦日に年越しそば食べるのなんて何年ぶりだろう。いつもはカウントダウンとかしてた。友人、もしくは彼女と。
「高雄、ほうれん草高いな」
真顔で悩みながら呟く要と過ごす年越しはカウントダウンをバーでするんじゃなくて、ふたりで年越しそばを食べる。
「いらないだろ」
「いや、これは外せないだろう?」
そう言って、眉間の皺を深くしながら、渋々、めちゃくちゃ正月価格になっているほうれん草を手に取った。
「あとは……」
綺麗な横顔。っつうか、真面目な性格もあるのか、すっきりとして見える服装に、真っ直ぐに伸びる美しい姿勢、んで、その「美人」って言葉がしっくりくる小さな顔。
買い忘れはないかと俺が持っているカゴの中を確認して、大丈夫だとひとり頷いてからレジに向かう姿をじっと見つめてた。乾物の蕎麦を手に持ってるだけなのに、その姿に見惚れる。
「……高雄?」
隣じゃなく後ろからついて来られて不思議そうに振り返る。
「あんたって、告られたことねぇの?」
目を丸くして驚いている、この綺麗な人は俺のだって、言いふらして回りたい。
「コクラレ?」
そこに驚くのかよ。レジカウンターにカゴを置き、ふたりで会計のほうへと進む。代金払って、カゴの中身を鞄に詰め替えて、それを持って、スーパーを出て向かった先はこの人の住んでいるマンション。
買い出しに行く前に温めた空気が僅かに残った部屋でふたりして年越し蕎麦を作る。
「告白。好きって言われたことねぇの?」
質問の内容がわかった瞬間、顔をボンッ! って、擬音がつきそうなほど瞬間的に真っ赤にした。そして、漫画みたいに慌てて、ズリ落ちてくる眼鏡を絵に描いたように長い指先で何度も押し上げる。その動揺にホッとする自分がいた。
俺はゲイじゃない、別にその機会がなさすぎてそっちに走ったわけじゃない。この人だけだ。今、こんなに目が離せなくなる、そんな美人、好きになるに決まってるだろ。
「そ、そっちこそ」
「……俺はフツーだろ」
本当に普通だ。普通に彼女作って付き合って別れて、また別の彼女が見つかって、また付き合っては別れて。だから、カウントダウンは騒ぐだけ。年間イベントのひとつでしかなかった。
それが今年は変わった。この美人で、鈍感で、それでいて敏感な上司のおかげで違う年始めになる。
「フツーじゃない。高雄は特別だ」
「……」
「俺にとって、すごく特別だ」
噛み締めるように二度そのことを口にしたこの人の横顔は凛としているけれど、その頬がピンク色で可愛かった。ずっと見ていたいと思う程度には可愛かったんだ。
それなのに、帰って来て、ふたりで年越し蕎麦の汁をだしからゆっくり作って、しんみりした年越しになるはずだったのに、なんでか、スーパーマーケットでさえロケ地のように見せてしまう美人が口をへの字にして、さっきから膨れっ面だ。
「要?」
自分が三十路の年上上司だってことを今は完全に忘れてるだろ。酒は一滴も飲めないけど酔っ払ってるみたいに、顔を真っ赤にして、何も言葉にしていないのに丸々考えていることが全て顔に出るほど隙だらけ。デスクに座って仕事を淡々と片付ける花織課長からは想像もできない。
「高雄のスマホ、ずっと鳴りっぱなしだな……」
「あ? あぁ、挨拶だろ」
たしかにスマホはさっきからメールやらラインのメッセージが来ているせいで、コートのポケットに突っ込んだままで、時々くぐもった振動音を鳴らしていた。でも、別にひとつもそれを確認せずに、ずっと要の隣でテレビを見ている。
こたつに大人の男がふたり。狭いのに隣り合わせで座ってる。小さなこたつ。仕事をバリバリこなす課長職にいる完璧な男、しかもすげぇ美人が使うにしてはどこか庶民的で抜けてる感じがした。
「挨拶……」
毎年、こんなふうに年越しをしているんだって教えられて、内心すげぇ暴れ出したいほどツボだった。美人なのに、完璧どころかテレビを見てるだけの、ぼけっとした年越しを迎えていることがものすごいギャップ萌えで困るほど。
いや、だから、顎をこたつのテーブルに乗っけて、そんなに恨めしそうな顔で見つめられても、別に可愛いだけだっつうの。
「要は?」
「話しただろ。友達なんていなかったと」
もしかして、めんつゆの中に入れた調理酒で酔っ払ったりしないよな? なんか、今日は一段と可愛い気がする。
それか、浮かれているのかもしれない。
俺がこの人の年越し風景に混ざれていることに、この人は毎年ひとりで迎えていた年越し風景の中に彼氏っていう俺がいることに、なんか嬉しくなっているのかもしれない。
「高雄は毎年、もっと騒いでるんだろう。こんな年越しつまらないんじゃないのか?」
蕎麦食ってテレビ見て、今、あと数分で聞こえてくるだろう除夜の鐘待ち。
なぁ、もしも、これがつまらないと感じてるのなら、さっきから鳴り止まない挨拶メッセージの中にきっと混ざり込んでいるだろう、カウントダウン飲み会の誘いに乗っかってた。でも、どんなに楽しい飲み会だろうと、たとえそこにすっげぇ美人が同席していたとしたって、俺はここがいい。
「テレビ見てたって大して面白いものが」
「たしかにな」
小さなこたつで丸くなる上司の隣に無理矢理足突っ込んでさ。男ふたりならフツー隣同士には座らないよな。実際、今、窮屈だし。だから、足の位置を変えてみた。一回出て、今度は要を足の間に置いて座る。そうしたら、俺と要は前後になるわけだから狭くて小さなコタツテーブルでもそこまで窮屈じゃない。男同士でも、まぁ、それなりに座れるだろ?
「んなっ! なっ、なんだ!」
テレビがつまらないことに同意されて、その間もブブブっと二通メッセが来ていることを俺のスマホが伝えてる。外出てこないのか? カウントダウンで騒ごうぜ、みたいなメッセージが届いているかもしれないと思って、ちょっとムカつきつつも、後ろから抱えられて慌てて耳まで真っ赤になった、もしかしたら本当に調理酒で少し酔っ払ったかもしれない年上の人。
「テレビはたいして面白くねぇけど」
細い肩に少しだけ顎を乗っけると、要の長い長い睫毛がすぐそこにあった。
「要を見てるのは楽しい」
「俺は、高雄のおもちゃか」
「まさか」
ムスッとへの字になった唇がみずみずしいピンク色をしていた。こういうのを魅惑のナントカっていうんだろうな。さっきからキスしたくてうずうずしてる。でも、あと一分だけおあずけだ。
「んなわけねぇじゃん」
テレビ画面の向こうではタレントがカウントダウンを始めた。毎年俺はそれを飲み屋で騒がしく一緒に数えてた。でも、今、数えているこの年越し以上にドキドキしてワクワクしたことは今まで、ない。
あと、十秒。
「すげぇ嬉しいんだよ」
「高雄」
あと、五秒。こんなに一秒一秒を噛み締めることってそうはない。こんなに要の時間を独り占めしてることを実感できて、幸せだと感じる一秒が楽しくないわけねぇだろ。すげぇ、嬉しい。
だから、ギュッと後ろから抱き締めて、その白い首筋に顔を埋めて、この人を感じてた。
「きつい?」
「……きついわけあるか」
「よかった」
あと、一秒。
「要」
「あの、明けましておめでとう」
次の年が始まった。
「それと、こ、こ、こ、こ」
この人と迎える初めての新年。
「今年も是非宜しく」
「…………言いたかったのに」
「無理。これ言うのをすっげぇ楽しみにしてたから」
「俺だって楽しみしてたんだ」
ムスッとしながら目を潤ませたりして、俺だけのたまらなく美しい人と迎える新年はたまらなく嬉しくて幸せに決まってる。
「明けましておめでとうございます。花織課長」
「おまっ! 今、それっ」
あまりに嬉しいすぎてつい意地悪をしたくなるくらい、俺だけの花織課長にぞっこんなんだってこっそり伝えたら、腕の中にいるこの人の身体がぐんと体温を上げたりするから、愛しくて仕方なかった。
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