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鬼もヤキモチ編 1 鬼にも飴玉

 秋といえば、食欲、読書、芸術などなど――。 「さて、もう十月だ」  それから、そうだな。あと、秋といえば。 「秋といえば、上半期決算になる!」  要の凛々しい声が営業フロアに響き渡った。 「今年は売り上げも現段階で目標を達成し、社長からも高評価をいただけている。また、残業代などの人件費の経費も削減できているとお褒めの言葉をいただいている。中でも」  鬼の花織課長、だ。  綺麗で整った顔は逆に取ると隙が全くなく、近寄るのも恐れ多い気がしてくる。仕事の時はこんな感じだ。まぁ、それでもここに着任した時に比べると随分柔らかくなった気がする。着任した直後なんて、声一つ、指先一つ動かすだけで周囲が、そこに気を向ける様なところがあった。何か、あったのでは、何か注意されるのでは、と、周囲が息を呑んでたっけ。 「庄司」 「……はい」 「今回、かなり大きな仕事を獲得できたのは、庄司のおかげだ」 「ありがとうございます」  今日も厳しく、営業課長として、鋭い眼差しで周囲に目配りをしつつ、ちゃんと貢献できればこうして。 「お疲れ様」  キラリと輝く鬼の目にも、笑み、って感じ、だ。 「はぁ……」  今日は打ち合わせ続きで疲れたな。  廊下の天井を見上げながら、休憩室にあるソファに浅く腰を下ろして、足を伸ばした。目を瞑ると、じんわりと疲れが目元に滲んで広がるような気がする。  あとは、客先に連絡をいくつか入れて。  あー、ヤバい。まだ、出荷情報を担当部署にメールしてない。そろそろやっておいて、手配かけて。それから――。 「お疲れ様」  その柔らかい声にぎゅっと閉じていた目を開けると、足元に要がいた。 「疲れてる」 「……まぁ、けど、課長のほうが疲れてるでしょ。午前、社長と打ち合わせにクライアントのとこ行って。午後も打ち合わせ、現場の確認、ズームで他部署の課長と会議」 「……私は、別に」  細くて華奢なのに毎日毎日分刻みのスケジュールをこなしながら、表情ひとつ変えることなく、いつでも背中はピンと一本芯が通っている。疲れなんて知らない。疲れないからミスもない。もちろん、油断もない。だからこそ社内では「鬼の」なんて冠がくっ付いてる。  けど――。 「あ、そうだ。さっき、荒井さんからいただいたぞ」 「?」 「京都限定の味噌のおしるこキャンディだそうだ。中に餅が入ってるらしい」 「ぇ、何それ」  なんか情報過多じゃね? おしるこを飴にする時点で奇抜だけど、味噌なんだ? 京都ってことは、白味噌か。あー、先週、出張で荒井、京都行ってったっけ。 「一緒に食べようと思って、二つ、いただいてきた」  そう言って、その名前と同じ、花のように要が微笑んだ。 「……ありがと」  疲れなんて知らない。  ミスもない。  油断もない。  鬼の花織課長。 「……!」  口に入れると、しょっぱくて、甘くて、美味くて、んー、けどちょっと微妙、なような。 「? んー……? ! ? ? んー?」  そんな顔を要がしてる。興味津々で、ふわりと柔らかい黄身がかった白色のまぁるい粒をじっと見つめてから、淡いピンク色をした唇でそれを咥えて、口に運ぶ。  目を見開いて、風味に戸惑ったかと思ったら、甘味を感じて、その表情は一度柔らかくほぐれて。 「っぷ」  思わず笑うと。艶めいた瞳を大きく見開いた。 「いや、可愛いなって思っただけ」 「? 俺が、か?」  あ、今、俺って。じゃあ、今、ここでは、オフになってるわけだ。 「けっこう甘いな」  鬼の花織課長はオフモードで、今、隣に座ってるのは、恋人モードの甘い要だ。 「ありがと。疲れ、吹っ飛んだ」 「! それはよかった」  恋人モードの要、はさ。  とにかく隙だらけ。今だって、ほら、じっと見つめるだけで狼狽えて、どうしてそんなに見つめるんだと困った顔をする。社長に業績のことで詳しい詳細を、と詰め寄られても、凛とした表情をほんの少しだって崩すこともないのに。 「それより」 「?」  こうして首を傾げてみたりするんだ。まるで愛くるしい小動物みたいに。 「今日は? このあと会議だろ?」 「あぁ、生産部とな」  生産部の強面課長たちとしっかり渡り合えるし。なんだったら、会議の後に、しゅんとして会議室を出てくるのは、その強面生産部課長たちだったりする。部下たちはあの会議室で鬼と対峙して何がどうなったんだって戦々恐々だとかって噂になるくらい。 「じゃあ、俺もインボイスの作成もあるし、一緒に帰ってもいい?」 「! もちろん」  けど、俺の知ってる要は。ただ一緒に帰るだけで、とびきり嬉しそうに頬を赤くしたりして。 「んじゃ、今日はあそこに寄るか。つくね、三十本千円」 「! それはとてもいい考えだ!」  上半期、目標金額を達成が十分見えてても、まだ上を見ろと厳しい眼差しを変えることのない課長が、つくね三十本に目を輝かす。こんなに細いのに、しっかり食うんだよな。三十本なんて余りそうなのに、笑顔でペロリと平らげるんだ。 「よし! 頑張るぞ! っと、わっ」 「ちょっ、おいっ」  隙なし、ミスなし、油断もなし。  けど、なんにもない床につまづいて、慌てて抱き止めれば。 「あ、ありがとう」  真っ赤になって照れくさそうにはにかんでる。 「どういたしまして」  愛しき花織要、だ。

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