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第34話 顔面が……

「明けましておめでとう、荒井さん。ねぇ、課長知らない?」  年明け早々の事務所はキンキンに冷え切っていて、エコモードのエアコンなんて意味がないほどただの冷凍庫と化してる。冷蔵庫じゃなくて、冷凍庫。で、そんな中じゃ制服と持参しているカーディガンだけで、この冷気の中をしのげるわけもなく、荒井さんはさっきからずっと腕の辺りをさすっている。 「明けましておめでとうございます。さっむいですねぇ……課長は朝イチで会議に出席してましたよ? 課長たちが集まって、今年の抱負とか語ってるんじゃないですか?」  そんなことよりも寒い、って感じに身体を縮めて、さっきよりも早く腕をこすっている。  会議なのか。あの人が新年早々いないわけねぇか。っていうか、事務所に入ってすぐ、どんな顔してるんだろうってちょっとワクワクしていた。だって、ほら、年末年始の間、ほぼずっと一緒にいて、鬼の課長どころか、呆れるほど可愛い花織さんでしかなかったから。むくれようが、膨れっ面になろうが、眉を吊り上げられようが、可愛いのは揺るがなかった。 「お休みどっか出かけたんですか?」  年明け早々じゃ営業へ客から電話があるわけでもなく、年末、ばっちり仕事はまとめて終えられているせいもあって、今日はのんびりとした始まり方だった。 「あぁ、別に、あんまり」  今、課長職が集合している会議に出席してる花織さんとほぼ一緒にいた、とは言えないからからなんとなく誤魔化して、彼女が話したがって話題を振ったんだろう年末の予定を聞いてあげていた。パソコンで進捗を調べたり、メールの確認をしたりしながら、タイミングだけ合わせて相槌を打つ。 「花織課長って親戚回りとかするんですかね」 「え?」 「あの怖い顔でおめでとうって言うのかなぁって」  それがあんまり怖く感じなくなってるから、今朝どうなのかなって、思ったのに。 「こーんな顔でおめでとうって言われてもビビるし。お年玉とかもらっても、何か、逆に……」  俺と荒井さんの脳内で完全に要のイメージが正反対なんだろうなって思いながら、彼氏にはきっと見せないんだろう眉のところを吊り上げられるように掌で顔面を引っ張った荒井さんの面白顔を眺めていた時だった。  俺はドアを背にした位置にデスクがある。荒井さんは逆に部屋に入ってきた人と斜めからばっちり目が合うような位置。そこで、面白顔をしたまま、引っ張られた口を大きく開けて、眉を吊り上げたまま部屋の入り口のほうを見て、静止した。  何か急に目を見開いて、でも手は顔面引っ張ったまま、言葉を失いながら入り口を凝視している。 「?」  あ? 何? そう思いながら振り返って……静止、した。 「明けましておめでとう、た、庄司、荒井さん」  マジで、フリーズした。 「花織課長!」 「うわぁっ!」 「……ちょっと、いいですか?」  そして、荒井さんが感嘆の声を上げて、この人のことを呼ぼうとしたのを遮るように立ち上がり、荒井さん含め、ここにいる営業課のスタッフ全員が目ん玉飛び出るほど驚いているのもかまわず、さらった。 「へ? ちょ、おいっ」  おい、じゃねぇ。 「おい、はこっちだっつうのっ!」  年初め、どこの部署も少しだけのんびりしつつ、少しだけバタついて、さっきからあっちこっちで挨拶の言葉が聞こえてる。休憩所も、非常階段付近の廊下もどこか落ち着いていなくて、ふたりっきりになるのは不可能だし、誰にも聞かれずに話をするのも難しいからトイレに連れ込んだ。  朝、始まったばかりの時間帯にキンキンに冷え切ったトイレにはあまり人は来ないだろうから。 「さ、さむっ」 「おい! あんたなぁっ!」 「なんだ? トイレになんて私は」 「アホか!」  アホとはなんだ! 上司に向かって! なんて怒った顔を呑気にしてんじゃねぇよ。なんなんだ、あんたは、マジで。 「なんで、眼鏡してねぇんだよ」 「コンタクトにしたんだ」  なんで、そこでニコーッて笑って、変か? なんて訊いてくんだよ。  なんで、ずっと眼鏡だったものを心機一転コンタクト? あんたって、自分のツラがどんなかって理解してんのか? してねぇだろ。絶対にしてねぇ。パイパンとか、乳首がピンクとかと同等レベルであんたのツラも危険なんだっつうの。眼鏡かけてたって関係ねぇのに、何、その眼鏡取っ払って綺麗な顔剥き出しにしてんだ、てめぇ。マジで、荒井さんが息飲んで見惚れただろ。っつうか、その顔面のまま会議とか出たのか? 出たんだよな? アホだろ、絶対にアホだろ。  課長集合ってことは、あの経理のツルハゲ課長もいたのか? 他にも、あれとそれと、あんなのもいて、その中でその顔面で新年の営業課抱負とか語ったのか?  「……はぁ」 「んなっ! なんで溜め息なんだ!」  溜め息吐きたくもなるっつうの。 「なんで、いきなりコンタクトなんだよ」 「え? だって」  だってもクソもあるか。新年早々何してんだ。 「だって、お前が言ってたんだろう」 「あぁ?」  上司に向かって何たる口の聞き方だって、ムスッとして、口をへの字に曲げて、不服そうにぷいっとそっぽを向きやがった。 「何? コンタクトなんて、あんた持ってたっけ?」 「……買ったんだ」  完全、上司と部下の立場を無視して、彼氏の立場で話してた。要も鬼の課長じゃなくて、ただの要として、恋人に腹を立ててヘソを曲げている。 「は? いつ」 「この前」 「なんで」  覚えろよ。自覚しろよ。マジで、あんたってどうしてそう人を振り回すのが得意なんだ。 「なんでって」  俺が何を言ったら、あんたはコンタクトにするんだよ。俺はあんたのこと、可愛くて綺麗な要のことをできる限り隠していたいのに、その逆になるようなことをいつ、なんて言ったっつうんだ。 「お前が言ったんじゃないか」 「だからっ! 何を!」 「邪魔だって」 「はぁ?」  眉を吊り上げて、唇を真一文字にして、厳しく怖い顔。 「キスする時、眼鏡が邪魔だって」 「……」 「だから、眼鏡をやめてコンタクトにしたんだ」  どこが厳しく怖いんだっつうの。柔らかくて甘いゼリーみたいなピンク色の唇に思いっきり噛み付いてた。。 「ン、んんんっ」  眉を下げて、舌先で口の中を蹂躙するような激しいキスに気持ち良さそうな吐息を吐き散らかす、ありえねぇほど可愛い上司に朝から思いっきりツボんところをやられて、すげぇムカついたから、思いっきりのその唇を貪ってやった。

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