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ケモ耳イチャイチャ篇 1 覚悟なら、できている。
社会人同士の恋愛なんて面倒ごとのほうが多いかもしれない。お互いに仕事があるんだ。社畜じゃなくたって、プライベートの時間や気力がごりごりに削られることもある。そんな時、めんどくさがりな俺は恋愛事を放り出したくなったっけ。
しかも年末。どこもかしこも「年末ですから」のワンフレーズで仕事が遅れるこの十二月に、短納期の仕事がまた去年みたいに捻じ込まれてきた。もう初っ端の工程からして遅れが出てるし、工程管理のほうは新人の動きが悪くてもたついてるし。
『おーい! 高雄、お前、忘年会来ねぇの? なんか新恋人とめっちゃ熱愛って伺ってますけどー? おもしれぇから、ノロケ聞かせろ。集まったのが一人身だけってくそ寂しいぞ』
知るかよ。っつうか、一人身なのはお前らの勝手だろうが。こっちは大学の同級生らで開いた忘年会に行く余裕もなければ、今、返事をする暇も本気でないくらいに忙しい。
今日だって、もたついてる工程管理の代わりになって下請け会社から商品を吸い上げてきて、駅のホームで立ち食い蕎麦で夕飯済ませて、自社に搬入。そのまま誰もいない会社の倉庫を走り回って、仕事片付けて帰る途中なんだっつうの。
「あ、もしもし? 営業の庄司です。はい。あ、搬入終えて、次の工程の受け取り場においてあります。はい……そうです。では週明け、朝一にお願いします。……いえ、失礼します」
電話を終えて、ひとつ溜め息が零れた。
これで、とりあえず、短納期の仕事が遅れることはなさそうだと、ホッとしつつ、コーヒー休憩もせずに、今度は、急いで家へ。
そう、それに――最近、要の様子がおかしい。
いつからだ? 年末、十二月入って、この仕事が来た頃には少し違和感があった。何か言いたそうな視線をこっちに向けるけれど、自宅でそれを訊いてみても「何もない」としか答えない。そのくせ、俺がテレビを見てる隙に覗く視線はやっぱり何か言いたげで。
ほんのわずかな違和感。
荒井さんも誰も気がついてない、俺しか知らない異変。物言いたげな視線が気になって、何が原因かを知りたくて、気が気じゃない。
何? なんなの?
ずっと、胸の辺りがざわついてる。
今までの俺だったら確実に面倒だと思っていたはずだ。年末のクソ忙しい時期に何か様子が違う恋人のことを気にしてなんていられない。夕飯を雑多に腹へ押しこめるような食事しかできない中じゃ、そもそも恋人の変化なんて気がつかないかもしれない。
「ただいま」
「……ぁ、高雄、おかえり」
でも、今はそうじゃない。
「搬入終わったのか?」
「あぁ、終わった。明々後日の朝一番にやってもらえるから、間に合うだろ」
「……そうか」
うちの中で仕事の話は最低限。職場とプライベートは別だろ。職場にいるこの人は、俺の上司。ここでは、恋人。
昔の俺だったら。四六時中一緒なんて疲れる、って思ったに違いない。
「なぁ、要」
「風呂、入れるぞ? 温めてある。俺は、あと少し片付けしたら入るから。先に休んでてくれ」
そして伏せられた視線。やたらと長いこの人の睫毛はただ視線を下へと向けただけで、色気を醸しだす。自然と手を伸ばして触れたくなる。でも伏せた視線に誘惑よりも不安がよぎるんだ。
「……あぁ」
何を言いたいんだよ。俺が返事をして、風呂場へ向かった途端背中に感じる視線。でも、きっと振り返ったら、また伏せるんだろう? この人は何もかもが柔らかいくせに、とても頑固なところがあるから。なんでもないと言ったのなら、頑なに物言いたげな視線の訳は話さない。
ホント、自分でも面白いと思うよ。
なんで、こんなに面倒じゃないんだろうな。言いたいことがあるくせに、訊くと言わない。言わないけれど、視線はうるさいほど俺に何かを訴えてる。
言わないんなら、それでいいんだろ。ほっとけよ――そんなふうに思っていたはずだ。今までなら。
「……」
湯気で満ちた風呂場で要が温めておいてくれた湯船に沈みながら、揺れる水面を見つめてた。あの伏せた睫毛を思い出して、ざわつく胸がうるさくて、洗って濡れた前髪を無造作にかき上げながら。ただ、あの人の考えてることが、開けてみれば笑えるほど愛しい悩みであることを願って。
「要、風呂、空いたぞ」
「あ、あぁ、ありがと。少しは疲れ取れたか?」
「平気だよ。あんたの顔見れたたら大丈夫になる。それに、お湯、あれってバスオイル?」
「あぁ、荒井に疲れてる時にはいいって、聞いたんだ」
花の香りがした。ただ甘いのとは違う、なんだろう、瑞々しい蜜のような香りに、柑橘系の爽やかさが混ざったような。
「いいにおいだな」
「そうか。よかった」
「……」
そう言ってふわりと微笑み、俺の横を少し慌ててすり抜けた。
あんただって疲れてるだろうに、それでも俺を気遣ってくれる。つまり、そこに愛情はきっとある。
全体を見ながら納期の管理表、営業スタッフ分、自分が担当しているところだけでも把握するのが大変な量の顧客別に全て頭に入ってるはず。もう新人じゃなくなったけど、まだまだ危なっかしいところのある山口が一件忘れてた納期調整をあの人はさりげなくフォローしていた。それだけじゃない。会議だ打ち合わせだ、顧客への挨拶だと、あの人の評価が社内で高まれば高まるだけ、仕事の量は増えていく。
生真面目な人だからいつか押し潰されやしないと、心配でたまらない。あの人が言いたいことを全部言えるように、俺にだけは甘えられるようになりたいと願いながら。
「……高雄」
ふわりと香るバスオイル。花束を鼻先で揺らされたみたいに、独特の甘い香りはさっき自分からも香ったはずなのに、なんでこんなに鮮やかなんだ? と、不思議に思いながら、ゆっくりと意識がはっきりしていく。
「高雄」
あぁ、要から香るからか。
気がつけば、先にベッドに横になってウトウトしていた。
「…………」
自分の上に感じる重みに、半分寝ていた俺は目覚めて、瞼を開いて、そして、驚いた。
「は? 要?」
「……ど」
一瞬、疲れきった俺の夢なのかと思った。
「ど、どうだ? 似合ってる、か?」
だって、目の前、俺の上に乗っかったこの人は白い猫耳をつけて、白い尻尾付きの黒の際どい下着姿だったから。
「は?」
「! なっ、ななな、なんでもないっ! 悪かった! すまないっ」
「ぇ? ちょ、は? って、要っ、待てっ、って、あぶなっ」
びっくりして思考停止している俺を、自分の姿に呆れてると勘違いした要が慌てて飛び上がり、ベッドから逃げ出そうとしたから、咄嗟に手を掴んだ。そして、ベッドから落ちかけた要を抱きすくめて、俺が床に転がった。
「ごっごめんっ!」
「いってぇぇ……」
とりあえず、夢じゃないらしい。打った箇所がしっかりとズキズキ痛むから。
「何? どうした? 要、可愛い耳なんてくっつけて」
びっくりするだろ。あの花織課長が白い猫耳ビキニ姿で俺の上に跨ってるんだから。
「す、すまん……」
「は? なんで、謝るの?」
「だって、変だろう?」
「は? 可愛いけど?」
「ほ、本当に?」
「あぁ」
そんな必死に俺の真意を探ろうと瞳の中を覗き込んだって、そこにあるのは「あんたが可愛い」って言葉だけだ。
「本当だよ」
「可愛いのか?」
「あぁ」
「かっ」
何? そう思いながらも、次に来る言葉はきっと俺の心臓ぶち抜くだろうなって、予感があったんだ。わかってる。この人の可愛さがどんだけ俺の想像を遥かに超えるレベルかってことくらい、一年も一緒にいたら、わかってくる。きっと、一瞬で、全身の血と体液が沸騰するレベルの問題発言が飛び出すって、覚悟したほうがいい。
「か、か……可愛がりたく、なったか?」
ほらな? 心臓にぶっ刺さっただろ?
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